necox

柳は緑、花は紅

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- --:-- | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) | edit |
明らかなサイン。

先週、実家で事故に遭いそうになった。あわや大惨事というやつ。(Google使いである親の検索防止のために詳しく書けない)スローモーションみたいに見えた。でもなぜか、最初の一瞬で「あ、これはぶつからない」って分かった。実際ぶつからなくて、そのスリル?が去ってみると「結局、死ねないのか・・・」ってなんとも言えない気分だけ残った。母親は「神様仏様ありがとうございます!」って状態になってたけど、なんで、生き残って、ありがたいと思えるのか、これからも生きたいと当たり前に思えるのか、本当に疑問だった。

でも、今まで事故の類から完全に護られていたわたしが、今、このタイミングで、両親とともにいるときに、事故に遭いそうになるのは、何かにメッセージだ、とも思った。生きていること、親が健在でいるということに、当たり前でいすぎることへの警告?


そしたらこないだの金曜日、その日も、死にたい死にたいって呪文のように唱えてた。会社の帰り、よく覚えてる。その前日に、ウィルコムの2年月賦でPHSを買い換えた(アドエス!)から、あーこれで2年は死ねないな・・・って思ってた。その直後。

駅のホームで、私の本当に目の前で、千鳥足の男の人がフラフラッと歩いてきたと思ったら、線路に飛び込んだ。

気づいたら、わたしは非常停止ボタンを押しに走ってた。結局他の男性が押してくれたのを見て、振り返ると、男性が何人か線路に降りて、酔っぱらいを抱えてホームに引き上げてる。警笛を鳴らして迫ってる電車・・・・・・はぎりぎりで停止し、助けにいった男性達も、間一髪でホームに引き上げられた。

自分が轢かれるかもしれないのに、他人を助けに線路に飛び込める男達には、びっくりした。私、死ぬ覚悟なんてないんだ。本当に死ねる覚悟ができてるなら、私がまっさきに飛び込めばいいのに。

なぜ、無意識のうちに非常停止ボタンを押しに走ってたのか、ていうのも分からない。ただ、人が死ぬのを、見たくなかった。

何かのメッセージだってことは明らか。何を伝えようとしてるのだろう。あと何十年もの生が待っていることを、当然のことと思い、重荷に感じていたけれど、死は、そんなに遠いものじゃなくて、いつも死の瀬戸際を歩いてるんだよってこと?


※電車の非常停止ボタンは、意外と高い位置にあるので、目線よりも上を探そう。
関連記事














   

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。