necox

柳は緑、花は紅

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「天国からの手紙」を見た。こういう番組は苦手。ラジオの「幸せのレッスン」でも、「天国への手紙」っていうコーナーが始まると、つい本を読み始めちゃったりする。

苦手なのは、いまだに人が死ぬことがなぜ悲しいのか分からないから。私には理解できない嘆き、深い悲しみ、慕情の生々しい吐露に、正直辟易してしまう。話についていけず、劣等感に近いものを感じてしまうのもある。

私は心が凍ってるだろう、って思う。冷酷なのかもしれない。この人が死んだら生きていけないなんて、思ったことない。人にも物にも、この地球自体にもそんな愛着ない。私自身が、できることなら、今生きていたくないんだから。(だから今FESのシューティング・スターが入ったブレンドを飲んでるわけなんだけど。)


にもかかわらず、今日の番組の最後の手紙では号泣してしまった。手紙の書き手である「お母さん」の言葉には力があって、愛があった。私が一度も経験したことのないものだと思った。まぶしすぎた。絆がある家族っていうのは、こうものなのかって。

生きる気力、かなり出てきたと思ってたけど、こういう人を見てしまうと、いかに自分が現世に根を張っていないか、ということを実感してしまう。子どもほしい、家庭築きたいなんて、まったく思えないもんな・・・

家族はかけがえのないものだなんて言葉、空々しい。順調にいってるフリをし続けないと認めてくれない家族なんかいない方が楽になれる、って思う。でも、こういう家に生まれたのが自分の課題なんだからしょうがない。

そもそも私がいくら親なんか邪魔だと思ってもどうしようもない。だって、実家を出て10年経った今でも、母が幼い頃に刷り込んだ影響から逃れられないでもがいているというのに。母が死んだからといって、その影響から自由になれるはずがない。逆に、ずっと影響から逃れられなくなるかも。相手が死んじゃったら新しい進展はそうそうないだろうから。(そういう意味で、私怨で殺人を計画する人間の考えが、まったく理解できない。)

父母がまだ現世にいるってことは、心が通い合う体験をこれからする余地があるってことなんだよね・・・・・・と、今月末の帰省を前にして、「頭で」考えてみる。
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