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柳は緑、花は紅

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博士(はくし)が100にんいるむら
博士(はくし)が100にんいるむら
を読んだ。 ちょうど1年くらい前に話題になったらしい。世界がもし100人の村だったらのパロディ。
「しあわせ」について考えてしまった。


以下ネタバレ注意。

富氏さんがおっしゃっているように、「医師」や「研究者」といった分かりやすいレッテルを貼れない人生がXだと決めつけるのはどうかと思う。(今はニートっていうレッテルがあるけれど、これってアンケートでの「その他」みたいなものだ。ひとまとめに論じられるわけがない。。。)
私の場合、社会に適応しようと頑張って会社勤めしてた頃は、ニートな今より確実に不幸だったな。。。自分の力で生活していない今が幸せなはずもないのだけれど。。。

最後のページのこの文章に癒しを感じてしまう自分が少し哀れ。こんなこと言ってくれる人いなかったもんな。。。(私は博士ではないが、念のため)

まちではくし(のら)をみつけてもいじめないでください。

そのひめたちからをいかせずにくさっていく毎日に
たえきれずに身をかくしたのですからー
そっとしておいてくださいねー


元優等生で、今社会との不適合を抱えるひとの多くがこういう「そっとしておいて」感を感じるものじゃないのかなと勝手に想像する。人生の前半にスポットライトが当たっていたから、そうでない今を「腐っていく自分」と感じる?

いやそれ以上に、マスコミやWeb上に氾濫する「しあわせ」の定義に惑わされすぎているのではないか?
安定している(と信じられている)大手企業に入り、高収入を得ることが本当に本当に自分にとっての幸せなのか?世間で言われるような幸せへのレールをうまく辿れない自分は本当に「腐っていく」だけなのか?勝手に外野の情報に踊らされて自分を過小評価し、「身をかくした」くなってるだけじゃないのか。
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