necox

柳は緑、花は紅

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対人恐怖っていうレベルではもうないと思ってる。でも、相変わらず「不自由」だ。ハンデがある。人間に対して構えていないらしい人にたいして、嫉妬する。。。

笑さんの以下の文、まったく同じでびっくりした。

そうまでして「情報」をやっと手に入れ、何をするかといえば、「最も”適切そう”なレスポンスを返す」。笑う、頷く、眉をひそめる、視線の方向、自分の声音、話し方、返す内容、等々…「”反応”として考えうる、全ての選択肢」から、ベストでありそうなものをチョイスして、それを出す。

もちろん、反応の選択肢は「私が思いつく限り」の範囲にしかなくて、それが有限であることを、どこかで知っているんですよね。
だから、そうまでして提示したレスポンスに対して、相手がどう反応してくるかを、また「全力で」待ち構える訳です。

返ってきた反応を見て、先ほどの選択が「正しかった」かどうかを厳しくチェックし、「合格」か「不合格」かの判断を下します。(「不合格」だったら、内心、一瞬凹み、また怯んだりします・苦笑)

そうしつつ、また自分が次に出すべきチョイスを行い…以下ループ。


その反応をいくら完璧にやっても、心を開いている人々の自然な反応には絶対かなわないことが分かってることからくる変な劣等感。罪悪感ですらあるかも。しかも、頭の約半分がそっちに割かれているから、人の倍以上頭を回転させても追いつかないというか。

本来、会話の内容に集中しているはずのときに、「私の目の奥が笑っていないことに、この人は気づいているんでは?」と全力で考えていたりする。話した内容よりもそっちを覚えていたりする。

自然でいるっていうのがどういうことなのか見当がつかない。本当は彼といるときだけ、自然体でいられるんだけど、そのときの感覚をほかの人にも拡大するっていうのはちょっと想像できない。笑さんと同じで、親との関係ですでに緊張してるんだもの・・・。だからといって、親に恵まれなかったとかいう話じゃないっていう気は最近してるんだけど。
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