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柳は緑、花は紅

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このジャンルは盲点だった。作られたヒーリング音楽よりも、ある意味ずっと癒し系。こんど図書館で探してみよう。
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8/26の「幸せのレッスン」から久々にテープ?起こし。今回は特にドキッとする言葉満載だった。以下に書くののほかに、上戸彩ちゃんへの江原さんの言葉も、すごく心に沁みた(「不運期」にいっぱい考えたことがエナジーとなる)

***

人との関わりがうまくできないっていう人っていっぱいいると思うんだけど、
あとは人が怖い、なんて思う、当たり前なんですよ。それでいいんですよ。
で、それを、脅える必要ないの。
そこでね、怖いとか、脅えちゃう、という人は、私は常に言ってるんだけど。。。
傲慢なんですよ。

それこそイルカさんの息子さんでね、シンガーソングライターの神部冬馬くん
っていうんだけど、彼が曲にしてくれて、私が詩を提供したんだけど、
私がいつも言ってることなんですよ。「小さき者」ってこと。

人間ってね、自分がちっぽけな者だと思えば、何も怖いことないんですよね。
あの・・・肉体じゃないじゃないですよ、ちっぽけっていうのはね、
「私、大きいから」って、別に関係ないんです。
心の上でね、謙虚で、自分っていうのは「あー最低だ!」って思ってればいいんです。
あのね、ちょっとね、「できる」っていう尊大な気持ちがあるから、
「あんたできないの?」って言われてショック受けるんです。
ね、もともとできないって思ってたら「できないの?」って言われたら
「はい、できないんで教えて下さい」って言えばいい。
でしょ?傷つかないんですよ、最低って。

だから、人との付き合いが苦手とかってのはね、妙ーな自尊心、プライド?、
変な傲慢さがあるからなんですよね。
謙虚でいたらば、絶対めげることも、落ち込むこともないんです。

で、あと最近、私はね、「人間の絆」っていう本を書いたんだけども、
人というのは 結局、生まれたときから最期まで、
人との関わりのために生まれてきて、そして生きるっていっても
過言ではない、ってことを書いているわけですね。

人生に人はいなくてはならないものなの。
仕事も何も、それは全部方便としてあるものだけど、
人は、人としか磨き合えない、学べない、ってことが言えるんです。

<わたしのアンテナに強く反応したのはここまで。追記にあと少し続き。>
明らかなサイン。

先週、実家で事故に遭いそうになった。あわや大惨事というやつ。(Google使いである親の検索防止のために詳しく書けない)スローモーションみたいに見えた。でもなぜか、最初の一瞬で「あ、これはぶつからない」って分かった。実際ぶつからなくて、そのスリル?が去ってみると「結局、死ねないのか・・・」ってなんとも言えない気分だけ残った。母親は「神様仏様ありがとうございます!」って状態になってたけど、なんで、生き残って、ありがたいと思えるのか、これからも生きたいと当たり前に思えるのか、本当に疑問だった。

でも、今まで事故の類から完全に護られていたわたしが、今、このタイミングで、両親とともにいるときに、事故に遭いそうになるのは、何かにメッセージだ、とも思った。生きていること、親が健在でいるということに、当たり前でいすぎることへの警告?


そしたらこないだの金曜日、その日も、死にたい死にたいって呪文のように唱えてた。会社の帰り、よく覚えてる。その前日に、ウィルコムの2年月賦でPHSを買い換えた(アドエス!)から、あーこれで2年は死ねないな・・・って思ってた。その直後。

駅のホームで、私の本当に目の前で、千鳥足の男の人がフラフラッと歩いてきたと思ったら、線路に飛び込んだ。

気づいたら、わたしは非常停止ボタンを押しに走ってた。結局他の男性が押してくれたのを見て、振り返ると、男性が何人か線路に降りて、酔っぱらいを抱えてホームに引き上げてる。警笛を鳴らして迫ってる電車・・・・・・はぎりぎりで停止し、助けにいった男性達も、間一髪でホームに引き上げられた。

自分が轢かれるかもしれないのに、他人を助けに線路に飛び込める男達には、びっくりした。私、死ぬ覚悟なんてないんだ。本当に死ねる覚悟ができてるなら、私がまっさきに飛び込めばいいのに。

なぜ、無意識のうちに非常停止ボタンを押しに走ってたのか、ていうのも分からない。ただ、人が死ぬのを、見たくなかった。

何かのメッセージだってことは明らか。何を伝えようとしてるのだろう。あと何十年もの生が待っていることを、当然のことと思い、重荷に感じていたけれど、死は、そんなに遠いものじゃなくて、いつも死の瀬戸際を歩いてるんだよってこと?


※電車の非常停止ボタンは、意外と高い位置にあるので、目線よりも上を探そう。
久々に床で寝てしまった・・・
先週末実家に行ったときのこと、気持ちが重くて、考えたくなくて放置してしまったので、まとまらないけど、本当に忘れてしまう前に書いておく。

・「家族」と思えない、心情的には「他人」と言ってしまった
:罪悪感、傷つける、言わなくていいことを言う

・交通事故に合いそうになるが奇跡的に助かる
:死に損なった、死にたかった、感謝「すべき」、護られてる、生きるのは義務

・父親にどう接していいか分からない
:見透かす、暗闇、得体の知れない、緊張、不躾、突き刺さるような、ストレートな、社会人、怖い、


箇条書きとキーワードだけのつもりだったけど、以下は文章で。(短くまとめるのも頭を使うので疲れた)


母が、私に「そんなんで友達できるの?」ってしきりに言ってたのが相当不愉快だった。

前回の毒だしの続きで、母が「言ってもらわないと分からない」っていうから、お母さんがこういう言動取ったときは、私はこう思ってるんだ、と過去の例をいくつか持ち出して説明したところ、そんな些細なことをいちいち気にしてて、友達できるのかって。

友達・・・確かにいませんが。わたしの心に一定の距離以上近づける人は彼しかいませんが。それは欠陥でしょうか。



親ってなに。レジャーに行った先で、「基本給はいくらだ」と父に突然聞かれて、恐怖を感じたから答えなかった。怖かったのは、質問の内容なのか、父の聞き方なのか、タイミングなのか分からない。どちらにしても、それをネタに、さらにあれこれ言われる(それは主に母)のが怖い。

でも、親子では「普通は」そういうこと話すんだろうね。だから、聞いてくるんだろうね。話さない私を、世間では「親不孝」って呼ぶんだろうね。

親子ごっこを、朗らかにこなせるほど成熟してない私のせいなんだろう。

私が急に主張し始めたことのわけが分からないもんだから、「反抗期」扱いされてる。「necoxは反抗期がなかったから、いけなかったんだ、今反抗期だと思おう」ってのが両親の合い言葉。ちゃんとした時期に反抗できなかったのも、私のせい?

・・・私のせい。私が成長するしかない。
「変わろう」としなくなると、ある日「変わった」ことに気づくんだと思った。

わたしは、これまで、飲み会に出席する人としてのちゃんとした行動が取れないっていうコンプレックス(or 思いこみ)があった。学生時代の飲み会でも居場所がなくて苦痛だったし、新卒で入った会社では、「先輩のグラスが空く前につぐ!今年の新人は気が利かねーな」みたいなことを言われまくって、気が利かないことを自覚してる私にとって、ますます飲み会は怖いものになった。

今回の就職は、自分はこれでいい、自分を変える必要はないっていうのが、基本的なスタンス。新人の頃みたいに「ちゃんとした社会人になるように、先輩の言うようにしなきゃ!」みたいな初々しさはないわけでw

昨夜も、わたしはわたしでいる、とにかく、今の私のできる限り楽しむ!、ってことしか考えないようにした。結果的には、飲み会の席でも、結構リラックスできてしまって、びっくりした。わたし、人の反応に前ほど一喜一憂しなくなったみたい。

あとは彼のアドバイス、「黙って座ってるんじゃなくて、なんでもいいから、人に質問しな」ってのがすごく役立った。場を盛り上げる器のある人に話を振って、盛り上げてもらうのなら、私にもできる。すると私も楽だし、まわりの人も楽しくなるから一石二鳥だった。

後から疲労困憊はしたけれど、意外にも飲み会の時間中は結構楽しめた。会社の人の、別の一面見るのって結構面白い。これって、「見られる者」→「見る者」へのシフトなのかも。
今の会社にお盆休みはないから、ごく普通に会社行ってたんだけど、ものすごく長く辛い4日間だった。夜はとにかく早く寝ることだけを考えて、「明日やろう」って寝るのに、朝は朝で全然疲れが取れておらず、ぎりぎりに会社行って。

今日はとうとう心もくたびれてしまったのか、帰りは鬱状態そのものだった。それでも、一瞬鬱に振れても、振り子みたいに戻ってくるだけの慣性が今の私にはあったみたい。あと1日。明日は明日で、今の会社で初めての飲み会というものにチャレンジするので・・・・・・ものすごく億劫、だけど、その場に行けばなんとかなると思ってる。(そういう風に、「過去」の後悔や「未来」の不安を「今」から切り離すのはうまくなったと思う。実は今週末は実家に行くんだけど、それもほとんど考えてない。)



今日、一時的に鬱に行ってしまったきっかけは、昨日から今日にかけて自分の”人間関係スキルの無さ”を実感したことかもしれない。今週、お盆気分の力も借りて、結構世間話に参加できた。すると、今まで気づかなかった視点も生まれる。

いま、ニンゲンたちはもう、一方的に怖いだけのものじゃなくなった。「怖い」はわたしの心が作りだすもの。たとえば、自分が傷つけられた!という一見一方的な状況も、元々の原因は私にあったりする。わたしのある時点の行動が、巡り巡ってわたしの思いを作ってる。すべては自分のせい。

話がずれたけど、みんな楽しくやってるように見えて、誰もがもう蜘蛛の巣みたいに網の目(network)を張り巡らして、相互に影響しあいながら、個々人がダイナミックに変化を続けていく、それが「生きる」ってことだと気づいた。わたしは、その「人間関係」って表現される、相互に絡み合ったねばねばしたまとわりつきが、汚らしく、泥臭く、得体が知れず、空恐ろしく、鬱陶しくてしょうがないんだ!!(初めて、この感覚を言葉にすることができた!一言で言うなら、人間関係は私にとってブラックボックスだ。)

今救いなのは、FESのシューティングスターとかフォーンリリーっていう概念を知っていること。上に書いたようなことを思うたびに、こんなことを思ってちゃいけないって自分を否定してたけど、あ、またシューティングスターが出てる、とか突き放すと、そういう自分も認められる。

これがわたしなんだからしょうがない、今は。
昨日、パーソナルカラーの人の2回目に行ってきた。昨日のメインイベントはファンデーションの塗り方だった。マジックみたいだったな。塗るそばから顔のパーツが上に上がってく!!

できあがった顔はまるで別人のよう・・・ってんじゃなくて、確かにわたし、本当に私らしいわたしなんだけど、今までみたことないくらいに明るい表情に見えるわたしだった。

その顔を作るためには、まず質の良い材料(ファンデ)、質の良い道具(スポンジ)、そして、練習を重ねたテクニックのすべてが必要。いくら技術があっても、安物の材料や道具では最高のものは作れないって、当たり前のことなのに、そっかぁ・・・って。

それでも明るくなった自分の顔が嬉しくて、よし、道具揃えるぞ!ってテンション高く、帰り道にソニプラへ。メイクし終わってから1時間くらい経ってたかな。

そこで、わたしが鏡で見たものは、、、生まれて初めてのシワでした。目尻にはっきりとした何本かのシワ。自分の顔にシワがあるのを初めて見て、心から驚いた。化粧崩れなんてほとんど起こしてない、相変わらず明るいわたしの肌に、あるはずのないくっきりとしたシワ。不思議なものを見た感じだった。

でも、不思議と、そのシワを憎いとか、あのファンデがいけないんだとか、はたまたそのメイク方法が悪いんだとか、そういうことは一切思わなかった。ただ、不思議だなぁと。初めてシワができる日が、なんで、今日なんだろうって。

わたし、初めて、ファンデにこだわる人の気持ちを少しだけ推測できた気がした。このシワが嫌だと思う人は、これをファンデで隠したいって思うかもしれないな、って。

***

書くのが面倒くさくなったので端折るけど、今日海水浴して、家帰って、超長時間の半身浴した。水分補給しながら超大量の汗をかいた後、風呂出る直前に鏡見たら、今度は目元に、くっきりとしたシワ!

でもその後、バスローブ着て(顔からも汗が噴出すので顔にもタオル巻いて)1時間くらい汗を吸わせながらうとうとした後、鏡見たら、シワなんて跡形もなかった。今度は、普段あるはずの角栓がただの1個もなくなっていて、肌がありえないほどツルツルになってて、なんじゃこりゃって感じだった。

肌のケアなんてやったことない(化粧水すらつけない)から、一体何が起こったのか分からず・・・。

***

綺麗ってなんだろう?シワがないこと?んなはずない。わたしは、自分のどんな顔を綺麗だと思うんだろう?

昨日までは、とりあえず、そのビューティ・アドバイザさんの言うことを、とにかくまずそのままやってみようって思ってた。でも、その人は40代で、アンチエイジングのプロで、若く見えること=キレイっていう世代。

わたしは、どういうのが綺麗っていう指針を持たないけれど、若く見えることイコール綺麗だとは思わない、それだけは確か。若く見えるって言われても(童顔だからしょっちゅう言われるけど)全然嬉しくない。逆に恥ずかしいくらい。長期的に考えて、たとえば私が40代になったとき、私はどうなってたいんだろう。

まだ、それが分からないなら、今は別に、言われたことをそのままやって、消化して、その後考えるのでもいいと思うんだけど。初めてこんなこと考えたので、どうしても今日、書いておきたかった。

(imported from: necox.beta2.0 美容館@Seesaa blog)

料理や家事が少しできるようになったのは、キャンプがきっかけになったかも。自然の中では、自分が動かなきゃ居住空間すら保てない。そういうのを少し経験したら、快適な家の中でほんの少しだけの「手をかける」ことを、前ほど厭わなくなった。

今習ってるメイクも、技術をみがく以前の問題として、少しだけでいいから「手をかける」、そのための「時間を作る」、ことから始めるつもり。大体、今の私の化粧時間はたったの1分、会社の最寄り駅のトイレでファンデーションと眉だけ!

だって、メイクよりも風呂や朝ごはんのほうが重要なんだもの。それやってると、時間ギリギリになるんだもの。

いまだにノーメイクが恥ずかしいっていう感覚がないんだよね。。。。。。もっとメイクがうまくできるようになって、メイク顔のほうがスッピンよりもずっといい!って自分で思えたら、メイクは自分にとって気持ちいいことに変わるはず。メンタル面にもいい影響を及ぼすはず。それなら、頑張って早く起きてでもやるでしょ?

綺麗を作るために朝早く起きるっていう、そういうことにも、エネルギーを回せるようになればいいなあっていう、それが私がメイクを習う目的みたい。

フラワーエッセンスのカウンセラーさんが言ってた。「私にはエネルギーがない」っていう前提に立ってると出し惜しみする。するとますます枯渇するって。私は数ヶ月前までまさにその状態だった。部屋の中で一歩動くのすら辛かった。お風呂に入るって行動を選択するだけで、すごいエネルギーを絞り出してる感じだった。

「エネルギーは自分の内側からどんどん湧いてくるもの」っていう前提に立てば、惜しみなくエネルギーを使って、後から後から湧いてくるって。わたし、そのサイクルに乗ろうとしてる、って自分で思う。

てか、そういうエネルギーの原理、前からここにも書いてたけど、頭では分かってた。でも、どうやって、悪循環から好循環にスイッチすればいいのかが分からなくてもがいてた。

私はどうして、今這い上がって来れたのだろう??前の自分のあの大変な、重苦しい感じ、もうちゃんとは思い出せないくらいで・・・・・・いつの間に、何がきっかけで、変わったんだろう?自分にも気づかないうちに、スイッチが切り替わった瞬間が来てたのかもしれない。
2007-08-12
54.7kg, 25.8%, 1207kcal, 30才

2007-08-04
56.1kg, 26.0%, 1229cal, 31才

いい感じだなあ。少し前まで外食三昧してた影響が、数字見るだけではわからない。最近、また自炊ができるようになってきたので、これからもっと良い方向に変わる。

(imported from: necox.beta2.0 美容館@Seesaa blog)

「天国からの手紙」を見た。こういう番組は苦手。ラジオの「幸せのレッスン」でも、「天国への手紙」っていうコーナーが始まると、つい本を読み始めちゃったりする。

苦手なのは、いまだに人が死ぬことがなぜ悲しいのか分からないから。私には理解できない嘆き、深い悲しみ、慕情の生々しい吐露に、正直辟易してしまう。話についていけず、劣等感に近いものを感じてしまうのもある。

私は心が凍ってるだろう、って思う。冷酷なのかもしれない。この人が死んだら生きていけないなんて、思ったことない。人にも物にも、この地球自体にもそんな愛着ない。私自身が、できることなら、今生きていたくないんだから。(だから今FESのシューティング・スターが入ったブレンドを飲んでるわけなんだけど。)


にもかかわらず、今日の番組の最後の手紙では号泣してしまった。手紙の書き手である「お母さん」の言葉には力があって、愛があった。私が一度も経験したことのないものだと思った。まぶしすぎた。絆がある家族っていうのは、こうものなのかって。

生きる気力、かなり出てきたと思ってたけど、こういう人を見てしまうと、いかに自分が現世に根を張っていないか、ということを実感してしまう。子どもほしい、家庭築きたいなんて、まったく思えないもんな・・・

家族はかけがえのないものだなんて言葉、空々しい。順調にいってるフリをし続けないと認めてくれない家族なんかいない方が楽になれる、って思う。でも、こういう家に生まれたのが自分の課題なんだからしょうがない。

そもそも私がいくら親なんか邪魔だと思ってもどうしようもない。だって、実家を出て10年経った今でも、母が幼い頃に刷り込んだ影響から逃れられないでもがいているというのに。母が死んだからといって、その影響から自由になれるはずがない。逆に、ずっと影響から逃れられなくなるかも。相手が死んじゃったら新しい進展はそうそうないだろうから。(そういう意味で、私怨で殺人を計画する人間の考えが、まったく理解できない。)

父母がまだ現世にいるってことは、心が通い合う体験をこれからする余地があるってことなんだよね・・・・・・と、今月末の帰省を前にして、「頭で」考えてみる。
今日初めて「似合う色」を着ていって思った。今まで私が無意識に身につけてた服には、鎧の機能、そして保護色という役割があったらしい。

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◆鎧(黒)
私の中に入ってこないで。心を許したら傷つく。自分を守るために、心は開かない。

◆保護色(深緑など…私の印象が薄くなるらしい色)
空気のような存在でいたい。可愛い/ブス、どちらの意味の注目も集めたくない。普通、無難でいたい。
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どうやら、私は、自分の持ち味を殺す(隠す)ために、無意識のうちに色を使ってたみたい・・・。

似合う色は、わたしを隠せない、どころか、持ち味をアピールする。確かに大きく印象が変わったらしいし、実際、似合っていたらしいけど、今日はすごく落ち着かなかった。だって、私が着ているのは俗に言う「愛され服」系。その中身である私は、人と距離を置いていたい、できることなら逃げ出したいのに!(一匹狼でいい人間の着る服じゃない・・・)

鎧を取るのは本当に怖いこと。でも、現実問題、10年後も鎧や保護色のマントを盾に生きていたいかというと、絶対イヤ!だから、外見から自分を変えるチャンスだと思う。

正直、パーソナルカラー診断が、まさか、ここまでメンタルに直接働きかけてくるとは、思いもしなかった。
ブログのみなさんに助言いただいて、会社用の服を買い集めたのが4月の末。実は、そのとき買ったうちの80%は、季節はずれだったり、気に入らなかったり、何に合わせて良いものか分からなくてほとんど着てない!もったいない!

残り20%をがんがん廻した結果、もう袖や襟がヨレヨレになってきてた。そのうちの貴重な1枚だったスカートはゆるすぎて着られなくなり・・・外見に無頓着な私とはいえ、服不足は深刻。

昨日パーソナルカラー診断を受けて、似合う色っていうのを知ったので、まだ色の見分け方には自信ないけど、とりあえずの補充に、アウトレットへいってきた。

セール中だったので、カットソー4枚&スカート1枚で8,000円也。カットソーは全部NATURAL BEAUTY BASIC。だって、↑の20%に残ったカットソーって、NBBのだったから。コットン素材が多くて、着心地いいし、じゃぶじゃぶ洗えるし、アイロンいらないし、適度にきちんと見えるし、安いし。

そうそう、カラー診断を受けて分かったのは、気に入ってヘビロテで着てた服は、どれも似合う色、似合うかたちだったってこと。ほとんど着てない服は、色が合わないか、形が合わないかだった。無意識のうちに、分かってたんだね。意識的じゃないから、買う時には分からなかっただけで。これからは無駄な買い物しなくてすむかも・・・?

わたしに似合うのはこんな色らしい。嬉しいなあ。ダークだったクローゼットの中が一気に華やぎそう。
bayside


(imported from: necox.beta2.0 美容館@Seesaa blog)

もし相性が合わなかったら、お金をドブに捨てるつもりで受けたカラー診断は、想像以上に当たりだった。今日はカラーの詳しい診断と、メイクを眉だけやってもらった。色をちゃんと見分けられるようになるのと、メイクの仕方を学びに、あと数回通うことに。

カラー診断も良かったけど、眉が!眉が!眉が!持参したデジカメで撮ってもらった写真、まさに劇的Before&After!眉を整えたほうだけ、顔が劇的に小さくなってる。帰ってメールで送ったら、彼もびっくりしてた。眉を変えるだけでこんなに変わるなんて・・・(垢抜けるのは予想できたけど、まさか顔がちっちゃくなるとは!)

私の顔の形がこうだからこうするっていう説明も論理的で納得。あと何回かのレッスンで、本当に、私、自分でできるようになる!?

ちなみに、似合う色はこんな感じ

帰りに寄った温泉施設も良かった。スーパー銭湯は、ひとりでいくと時間気にせず好きなだけゆっくりできて最高!てことが判明。サウナ、水風呂、露天風呂、出たり入ったりで3時間くらい過ごしてしまった。さらにその後、偶然、そこの地元の花火大会に紛れ込むことに。素晴らしい花火を間近で堪能。

ひとり温泉、ひとり花火大会、デビュー。意外とちょろい??



仕事は私にレールやゴールを与えてくれるものではなく、単なるチャンスをくれるだけ。これからの人生にはあらゆる可能性があり、私は自由。生きることは、私の力で喜びにできる。なんか新しい感覚。フジロック効果?でも、わたしはやっぱりメロディアスな曲が好き。今日の夕焼け、今日の月、今日の猫。


ノートに書いてそれで満足してしまい、ここに書き移すのがつい後回しになってしまう。で、いつのまにか、目標の53kgに近づいてた。

◆2007-07-28
54.60kg, 27.50%, 1198kcal, 31才

◆2007-07-23
56.30kg, 27.40%, 1226kcal, 32才

◆2007-07-16
57.10kg, 27.90%, 1236kcal, 33才

普通に会社通ってるだけで、脂っこいものや甘いものを好きなだけ食べてても、体重は減るものなのか・・・。(運動して痩せたわけじゃないので、代謝などが下がっていってしまってるけど気にしない)

そういえば、以前は一日中ほとんど横になってたし、楽しみが食べることしかなかった。いまは、過食することがまったくといっていいほどなくなった。たぶん、他にストレス解消法をいくつか発掘したからだと思う。半身浴も、アロマも、フラワーエッセンスも、1人カラオケも・・・あ、お湯を毎日大量に飲んでるのが効いてるのかも。体質が変わったもの。もともとほとんど汗かかないほうだったのに、尋常じゃない量の汗が出るようになった。

ここ1ヶ月外食・弁当三昧だった食生活は、最近落ち着いてきた。最近はサラダだけ朝作って持っていって、パン屋でパン買ったり。もっぱらひとりで食べる。たまには他の人と一緒に食べたほうがいいとは分かっているけど、自分から逃げちゃう・・・でも、それはOK、私にはまだ壁が必要ということ。あくまで過程、すべてが過程、、、

(imported from: necox.beta2.0 美容館@Seesaa blog)

   

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