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柳は緑、花は紅

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フラワーエッセンスレパートリー―心と魂を癒す、花療法の総合ガイド
BABジャパン出版局
パトリシア カミンスキ(著)リチャード キャッツ(著)王 由衣(翻訳)
発売日:2001-01


2ヶ月待ちでようやく借りられた。待った甲斐があった。予想以上に素晴らしい本!解説書、兼、辞典なので、少なくとも普通の本2冊分以上の価値はある。悩みや症状のキーワードからフラワーエッセンスを探すことができるんだけど、キーワードの充実度には驚いてしまった。「内なる子供」(=アダルトチルドレン)とか、「十分でない」とか、「母親と母性」とか「逃避」とか・・・数え切れないほどのキーワードから検索できるようになってる。

できればいつも手元に置いておきたい・・・値段的に今は買うことは叶わないけど。働き始めたら絶対買う。この本には長くお世話になる気がする。(バッチの個々のエッセンスについてはバッチの花療法―その理論と実際の方が具体的で分かりやすいと思う。これも非常にオススメ。)

今、FESとバッチ(Crystal Herbs社)を使ってるけど、今のところFESのほうで直接的な効果を実感している。特にイヴニングプリムローズをとりはじめてからの母に対する心境の変化はすごいものがあった。だって、10年以上続いた確執が氷解してしまったんだもの!タイミングも合ったんだろうけど。

2007.02.28 母との確執が消えた日で「やっとスタートラインに立てた」と書いた。今イヴニングプリムローズの項目を読んでいて「文字通り魂の再誕プロセスを助けてくれる」とあり、本当に再誕だ、生まれ直したようなものだ、と感慨にふけってしまった。

イヴニングプリムローズの基本的なパターンは前にパンフから抜粋した通りなんだけど、補足部分が興味深かったので部分的に引用してみる。

魂が外部からの影響をもっとも受けやすいのは胎児期と乳児期で、この時期に、地上での人生について最初の印象が受け取られる。
(中略)
このような早期に光と愛が経験されることは、適切な栄養が胎児の肉体に必要なのと同じくらい、感情の発達にとても大切だ。魂が胎児期または乳児期に必要とするものを十分に与えられなかったり、虐待されるようなことがあると、非常に大きな痛みと拒絶感が無意識の深いレベルに刻みこまれる。このような人は「自分はまわりから欲しがられていない」と感じ、深い感情の触れあいや絆を結ぶのを拒むことで、その苦痛に対処しようとする。
(中略)
イヴニングプリムローズは、このような魂の感情について気づき、とくに非常に打撃的であった、原初の核となる経験について気づきをもたらす触媒として働く。そして魂が肉体に入った最初期に母親から得ることのできなかった感情の「栄養素」を与える「母胎」として働き、文字通り魂の再誕プロセスを助けてくれる。
まさに、「三つ子の魂百まで」のジンクスから抜け出すことを助けてくれるんだね・・・

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フラワーエッセンス服用記録(随時更新)
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その日、眠れそうになるたびに何かアクシデントが起こって全然眠らせてもらえなかった。最初は左肘の痛み、次がなんだっけ忘れた、最後がドスっていう鈍い音。トイレットペーパーが落ちた音だと分かって、布団に戻ってみると、左手首につけていたはずの「人生の目的を探す」ブレスレットが切れて布団の上に散らばってる!まだ作って1ヶ月くらい。結構頑丈に作ったものだし、何かにひっかけたわけでもない。それがちょうど真ん中でブスッと切れてる。あーもうこれ全部が何かのサインだ、一体私は何に気づけばいいんだー!などと思いながらウトウトして・・・

朝6時を過ぎると何度も何度も目が覚めて、寝てられなくなった。とりあえず起きて・・・しばらくして「そういえば、今日は私の誕生日だ」ってことに気づいた。またしばらくすると「母親に今まで育ててくれてありがとうって言おう!」って突然思いついた。今までそんなこと言ったことなかった。言おうと思ったとしても抵抗が強くて言えなかっただろう。だけど、なぜか、今ならできる気がした。

電話してみると、びっくりすることに、母が別人のようになっていた。「いい母親ではなかったということに気づいた」「反省しきりだ」「necoxが言ってくれたおかげで気づけた」(あれー?聞いてはくれたけど全然理解されてなかったはずなのに!???)最近図書館に行くようになって、好きな作家ができて、その人に大きく影響されたんだそうな・・・。

だから私も素直に「ありがとう」って言うことができた。初めて母親と心が通じ合うっていう体験をした。自分が変われば相手も変わるっていうけれど、本当にそんなことがあり得るんだ~、っていう一種の不思議体験でもあった。(今ブログ読み返して気づいたけど、両親とぶつかった当時、主治医も言ってたんだ!「人を変えるのは大変。でも、自分を変えるのは簡単。」と・・・。)

ここまで来れたのは、8月に両親に本音をぶちまけたおかげだと思う。ぶちまけた当初は、やっぱり分かってもらえなかった、って思ってた。でも、時間がかかったけど、お互いに理解し合うこと、今できました!「分かってほしい」だけだと受け身だから何も変わらないんですね。「自分が相手を分かろう」とするときに何かが変わるんですね。あのとき応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました!

今年の誕生日は○曜日だったんだけど、私が生まれたのも○曜日だったらしい。母が言った。「今日が誕生日だと思ってやり直さなきゃ」って。私もそう思う。やっとスタートラインに立てた。これまでは誰とも深い人間関係をうまく築くことができなかったけど、これからは・・・。

ブレスレットが切れたのは、ステージが変わった、っていう意味かもしれない。今はまだ作る気にならないけど、そのうちまた閃いたら、新しいのを作りたいな。
頭のいい人が成功できるかどうかの境目 the number of hatena bookmarks
タイトルに「頭のいい人」とか「成功」とか、定義があいまいで、コンプレックス抱いている人が多い言葉を安易に使うから、いらぬ反発や誤解を招くんだろうなー。でもその配慮のなさ(?)のおかげで、たくさんの貴重なアドバイスがもらえるんだから、正直羨ましいぞ。もしかして確信犯?w

***

人それぞれ、得意なことも不得意なことも様々。本来、それだけの話なんだと思う。それにいいも悪いもない。頭がいいとか悪いって、性格がいい/悪いと一緒で、下世話なレッテル貼りだと思う。評価する人(社会、時代、etc...)との相性で決まっちゃう。

私もたぶん上記記事の作者さんと同種の人間で、劣等感も優越感も人一倍強かった。他人の評価に敏感すぎた。なまじ幼い頃から評価されると無駄なプライドばかり高くなる。それと元々の恐怖心の強い性格があいまって対人恐怖なんかになったんだと思う。

私に足りないのはコミュニケーション能力だ!って過剰なまでに劣等感抱いてたから、必死になって努力したよ。本も読んだし、話し方教室にも通った。今思えば、その魂胆こそがそもそもの間違いの元だった。恥ずかしい思いをしたくない、傷つきたくない、それだけだったんだ・・・・・・

私に必要なのは、どんどん赤っ恥をかくことだと、今なら分かる。恥ずかしい思いをすることを避ける習慣こそが、人間関係を悪くする根源。誰もが不完全なのは当たり前。

私の能力はバランス悪くていびつだけど、長所も短所も真正面から見つめて、うまく料理していく方法を見つけたい。それを世間が「成功」と評価するかどうかなんて気にしない。(・・・と言い切れる人間になりたいw)
しばらく、今日何をした、どんな気分だった、っていう日記調のものは書かないと思う。週1回の通院記録で十分だと思うから。

日記以外で書きたいネタ、ありすぎるほどあるんだけど、最近の内面的変化があまりに急激すぎ、個人的すぎ、また、抽象的すぎるから、なかなかブログ用の言葉にならない。まとまった時点でアップしていくと思う。
「先生、あの薬ってこんな短期間で効くものなんですか?」前回の通院後、数日は今まで通りの昼夜逆転だったが、22日(木)突然、朝7時に起きられるようになってしまった。その前日にTFT(思考場)療法の本を参考に「朝、母親に起こされるトラウマ」を取り除くのをやってみたので、それが効いたのかもしれないということも一応報告(私の勝手な挑戦を先生はいつも穏やかに黙認してくれるwこれを嫌がる医師は結構いるだろうからラッキーだと思う。)。ジェイゾロフトだけの効果という可能性も、先生は「あり得ないことではない」とのこと。

朝、起きれるようになって、なぜ朝起きられなかったか理由が分かったことも話す。平日の昼間起きて何もしていないと、何の「生産的活動」もしていない自分に罪悪感を覚える。働いていないことを世間の人に知られたら批難されるだろう、と恐れてしまう。

作業の話になって、「necoxさんの場合はもう少しレベルを上げてもいいんだけどね」、とおっしゃる。バイトとかってことですか?と確認するとそうだという。「でも、制度上難しいんだよね」(傷病手当金のこと)、と話を引き取ってくれた。(そっか、先生は、本当はバイトをさせたいんだ。)

私としては、作業所よりもデイケアの方がハードル高いと思ってるんですよ、と言ってみる。先生も同感らしい。デイケアに普通に行けるようになったらすごいなぁ、と思うんですけど、と言ってみるが、これには反応無し。つまり、先生は私がデイケアに行けるようになるべきだとは思っていないようだ。(そっか。12/15の診察でも言ってたもんな。性格を変えるのは難しいから、今の性格を受け入れて、今の自分にできる職業について、まずは、食べていくべきなんだって。)

最後に、最近の気づきを一つ、なぜか話しておきたくて話すことにした。(私のヒミツであり、彼以外の人間には初めて話したこと)先生は、PCに向かって結構長く文章を打ち込んでたけど、それ以上、この話題について突っ込まなかった。でも、私は話して、受け止めてもらって、とてもスッキリした。話してよかったと思った。

薬、ジェイゾロフトが効いているみたいなので、リボリトリールを切ることになった。嬉しい!薬は少なければ少ないほどいい。

感想:

12/15の診察で「性格を変えるのは難しい」って言われても、先生がなんと言おうと、私は性格を変える努力をあきらめないぞ、って思ってた。幼い頃の固い決意があったから・・・いつかゼッタイ人が怖くない自分になるんだって。
でも今日初めて、私は神経症を克服することにとらわれすぎているのかもしれないと思った。食べていくのが先というのはもっともだよな。対人恐怖を治すために生きていては、周りの人の力になろう、というところまで心が回らない、それによって役に立つ喜びも得られず、自分もパワーが沸いてこない、悪循環。
もしかして・・・対人恐怖を治そうと努力することが、無気力のループの根源だった!?なんだかようやく突破口が見つかったような、そうでないような。
この日、私は弓も折れ矢は尽き果て・・・といった心境だった。
問題は分かってる。やるべきことも分かってる。なのになぜできない!(ブログ休止する日に書いた「思考と行動の乖離」)昼夜逆転を治すのは、私の最優先課題なのだ。それなのに、夜は怖くて眠れない。その結果、この日も徹夜で病院だった。

********
分かっていること:私は、外側には恐怖が存在しない、ということを理解した。もし恐怖があるとしたら、私の心の中だけ)外が怖いと思うのは合理的でないと、分かっている。

やるべきこと:早寝早起きの規則正しい生活。(そのために作業所へちゃんと通う)

実際の行動:恐怖で部屋を、布団を出られない。夜は怖くて眠れない。朝は怖くて起きられない。昼も怖くて布団から出られない。
つまり、昼12時頃まで、恐怖に支配されていて、何もかももうどうでもいい、という泥沼のような感覚から抜け出せない。やっと起きてしばらくすると、理性が戻ってきて、反省し、「次回こそは頑張る」とか決意するが、結局眠れない、繰り返す。。。。。。「昼まで寝ているから朝起きられないんだ」、なんてことは十分分かってる、でも抜け出せない。
********

こうなると、私には自己管理能力がないっていうだけの話ですよね?意志が弱いっていうだけですよね?と医師にぶっちゃけてみる。

医師は困ったように微笑んで、「そう言ったら、すべての心の病気は、自己管理能力がないっていう話に行き着いちゃう。」「薬で変えられるという部分もあるし」「1人で立ち向かうんじゃなくて、ここでお話をしながら改善していくのには意味があるんじゃないかな?」

薬が増えた。これまでは結構長い間、寝る前の「リボリトリール0.5mg」だけだったが、夕方の「ジェイゾロフト25mg」が追加になった。「まず、薬の力を借りてとにかく行けるようになって、それから考えても遅くないんじゃないかな?」

感想:

いつもながら、対話のうまい医師だなぁ。。。そして商売もうまい。思えば、12/15の診察で、『性格を変えるのは難しい』って言ってもらったのが、私が自分なりの努力を真剣に始めるきっかけになった。気分の不安定さや対人恐怖の元には、自分の歪んだ性格がある、性格を本気で変えるには、医師に頼ってちゃだめだって気づけた。(もし医師に直接そう言われたならショックだったと思う。「見放された」と思ったかも。自分で気づけたのが良かった。)
タグ: 通院記録
ここ1年、無気力で一日中布団の中にいる日が多かったです。その状況をどうにか変えたくてブログを書いてきました。今回休止した理由は、「いくら考えても、いくら書いても、行動に結びつかない」ことに気づいたからでした。

でも、それは当たり前のことだった、と分かりました。「無気力(=行動できない状態)を打開する鍵は、大きなやる気ではなく、ごくごく小さな行動である」、それが今の私の結論です。矛盾しているようだけど。

今後も、右上の「当ブログの祈り」にあるように、私は書きたいことを書きたいときに書いていきます。もし何かをお感じになったら気軽にコメントしていただければ、と思っています。よろしくお願いします。
最近、以前見えなかったものが見えるようになってきた、ことは何度も書いている。(霊じゃないよw)おかげで、自分の性格の長所短所を以前よりも把握できるようになってきた。

私の成長を小さい頃から引っ張ってきて、そして今一番弊害になっているのが「頭でっかち」「理屈っぽい」っていう属性だと思う。考えるのは好きだけど、行動が伴わない。

以前は躁状態のときに、鬱で行動できなかった分を思い切り取り返していた。でも最近、深い鬱にはまらなくなったかわりに、強い躁もこなくなってしまった。(←これを躁鬱の治療が成功したという・・・☆)思考的には活発なのに、慢性的に動けない状態がずっと続いていて辛い。

思考と行動の乖離が大きくなりすぎた。いくら考えても、いくら書いても、行動に結びつかない。(どうも私は、書くことで満足してしまうらしい。)現実がおろそかになっている。地に足がついていない・・・。

***

いつも読んでくださって、ありがとうございます。
上記の理由で、今後しばらく、ブログに書くことを休み、現実に専念したいと思います。とりあえず1週間くらいのつもりだけど、もしかしたらもっと。その間コメントなどもお休みします。

人付き合いは腹六分

っていう美輪さんの言葉、前にもメモしたことがあったけど
2006.06.08 人付き合いは腹六分
今日のオーラの泉(假屋崎省吾さん)では、私の心の別のところに響いてきた。(※今日の番組中で美輪さんがおっしゃってたことをまとめたのを追記に)

これ、苦手な人と付き合うときは腹六分で、ってことなのかと勝手に解釈してた。親しい人には全部見せるに決まってるじゃん!って決めつけてた。(美しいところだけ見せて、醜いところは隠しておく、ことに罪悪感を感じるからかもしれない。それは偽善だと。なんでも話すのが親愛の情の証だと。)でもそうじゃなくって、愛すればこそ全部見せない、っていう意味だったんだ・・・。

そう分かって、私が彼と離れた(別れたという言葉はあえて使わない)理由が、やっと言葉で説明できるくらいに理解できた。
2007.02.10 ひとりでがんばる。
一番大きい理由は、私が彼の負担になっているのが分かったから。これ以上負担になりたくないからだった。

エネルギー吸血鬼の自覚・・・

彼は基本的に聞く人だった。私が鬱々とした気分でいると、彼は私からいろんな話を引き出してくれた。大体1時間も話すと、私の気分がフッと持ち上がった。それとほぼ同時に、彼は「眠い」「疲れた」と言いだし、じゃあ寝るね、おやすみって。。。。。それがいつもの2人の電話だった。

前は「彼と話すと気持ちがすごく楽になるの!」「彼って聞き上手!」って脳天気に喜んでいた。でも、スピリチュアルな視点で見るようになってからは、自分のやってることの意味が分かって恐ろしくなった。

「被る」、とか「受ける」とか、「憑依」とか言われている現象。私は被りやすい体質なんだ(と、1年かけてやっと理解した)けど、彼はそんな私が受けたマイナス・エネルギーを私から吸い取って癒してくれるヒーラーの役割をしてくれていたのだと思う。(大手小町へセラピストさんがした相談、「悪い気を受け入れてしまう?」と似ている)

私がマイナスのエネルギーを取り込んでしまうのは、私がクヨクヨしたり、後ろ向きだったりして、マイナスの波長を出しているから。それを、彼は、全部もらっていってくれてしまう。それで私は(自分の波長で引き寄せたマイナス・エネルギーから解放されて)気分が軽くなる、というわけ。逆に、彼の穏やかで平和なエネルギーを吸い取る、と。

「エネルギー吸血鬼 (energy vampire)」って言葉が目に浮かんでくる。私にはそんなことしてる意識はないんだけど。彼にもたぶんないんだけど。でも結果はそうなってる。これを続けていたら、彼は枯れてしまう。

依存心のコントロール

もちろん、私がプラスのエネルギーを彼に与えることだってあるだろう。でもバランスの問題。この1年間、私が欝状態の日が多かったこともあって、圧倒的に私がマイナス・エネルギーを押し付けている状況が続いていた。彼は、ここ数ヶ月・・・いや半年以上?ものすごく疲れた様子だった。

今の私は、もし一旦連絡を取ったら、腹十分、彼がお腹いーっぱいになるまで話し続けてしまう。だから極端だけど連絡を絶った。いつか、もしまた連絡を取るとしたら、この「腹六分」ができる自信がついたときかな。

共依存の側面

たぶん・・・これは、私だけの問題じゃない。彼も、自分が身代わりになることを潜在的に望んでいたと思う。確かに、「好きな人を楽にしてあげたい」って思うのは当然だと思うけど、それによって彼が疲弊するのは、私が一番望んでいないことなのに。

所詮、対症療法だから、エンドレスなんだよ。それが私を彼に依存させることになるから。お客が離れられなくなるマッサージ店みたいに。

離れることを決めた日、私が「頼ってしまうから」と言ったら、彼は「頼ってくれると嬉しいし」って言ってた。それ聞いて、もちろん嬉しかったけど、こりゃだめだ、と思った。私の意志だけでは腹六分はできない。いったん離れよう。負担になるよりマシだから。。。(そのときは単なる直感で、言葉で表現できなかったけど、今、美輪さんの言葉を借りることで理解できた)

加害者にならないために

彼と離れている間に、私は、自分が受けたものを、自分で処理する方法を身につける。
マイナス・エネルギーをそもそも引きよせないように、人格を磨く。エネルギーは高いところから低いところへ流れるから、自分のエネルギーを高いものにする。

「もらえるだけもらっちゃおう」という潜在的な貧乏根性を手放す。与えっぱなしの態度を学ぶ。
「パワーは自分の外にあって獲ってくるもの」という潜在的な前提を捨てる。必要なパワーは自分の内から湧いてくる。つまり、外の光を頼りにしない。自灯明。
アダルトチルドレンの問題を克服するため、具体的な手段を講じる。

2007/02/15 昼
[ダルイ]エネルギーを吸う人について[吸血鬼] (特に138)がすごい参考になったので、気づいたことを追加した。138以外にも思い当たること多すぎ。
勘違い的共感かもしれないですが、統合失調症の憂鬱:愛って?でkenさんが表現なさっている「人が懸命に生きる姿が理解できない」「生きる事が素晴らしいということが分からない」「愛がわからない」は、私が最近まで考え続けていたことに似ているように思います。

ごく最近、「生きたい」という感覚も、瞬間的にですが、分かるときが出てきたので、変化の真っ最中という中途半端な立場から、愛について書いてみます。

***

つい最近まで、「愛」とは、どうやらそういう概念があるらしい、っていうものだった。「神との対話」の感想を書いたときなんか、概念としての「愛」に対しての典型的な反応だったと思う。素晴らしそうな概念。。。でも私には分からない・・・という・・・
2006.11.06 神との対話 (ニール・ドナルド ウォルシュ)

kenさんの「愛を具体的に答えられる人居ませんか?」という問いかけに対して思うのは、愛に限らず、感情は、それぞれの人が、自身の体験から、自分の心の中に発見していくものであって、他者が言葉で説明し、伝えることは難しいんじゃないだろうか・・・、ということ。感情とは、考えるものではなく、感じるものだということ。。。

「生きたい」という感情を生まれたときから当然のように持っている人は、「死にたい」がデフォルトの人の感情を理解できない。彼らにとっての危険思想であるから、「善意で」自分の価値観を教えてあげようとする。でも悲しいかな、それは、ほとんど効果がなかった。

過去の私だって、「生きたい」という価値観のほうが望ましいことは十分承知していた。そう感じられないことを欠陥だと思い、自分を自分で必死に説得しようとした、さまざまな本からヒントを得ようとした・・・・・・・・・・でも、分からないものは分からなかった。分かったフリはできるが。

自分が心で感じたことのない感情は、いくら概念だけプログラムのように頭にインストールしようとしても、無理なのかもしれない。

ここで勘違いしてほしくないのだが、私が愛を感じたことがなかった=私の親が私を愛さなかった、ではない。全然違う。単純に、私には「感じられなかった」ということ。他人(ここでは親)がどう振る舞ったかという事実、ではなく、私がそれをどう感じたか、が私にとっての現実を構成する。

親は親でできる限りのことをしたわけで、彼らを責めてもしょうがない。。。。。。と、こういう感じの発想が、necoxバージョンの「愛」の一片をなすように思う。
2006.12.27 母との関係に新たな視点が

「愛」については今、これ以上語ることのできる心のひだも、語彙も持ち合わせていない。しかし、一つだけ確実に言えるのは、過去の私は愛を感じることができなかったが、過去の私に愛がなかったわけではない、ということ。他人(親含む)から愛を与えられたこともあった。自分が愛のある行動を取ったこともあった。でもそれが愛だと感じる心の中のポートが何らかの理由で閉じていたのだと思う。今も完全には開いていない。

関連エントリ

スピリチュアル分野の有名本を読んでも「生きたい」という感覚は分からなかった。
2006.12.10 生きがいの創造 (飯田 史彦)

初めて「愛を感じた?」日
2007.01.31 これが愛というもの?

愛を感じられるようになってきたのと、人の顔をパーツだけ(目鼻口)で見なくなってきたのは何か関係があるような気がする。
2007.02.05 セルフイメージをぶっこわせ

愛を感じられるのはいいことばかりではない。それと等量の苦痛も同時に出てくる。
2007.02.07 普通の人になるのも辛いもんだな
PCの中から、2003年4月時点のメモ書きが偶然出てきたので追記に。

当時通っていた精神科では、アスペルガー症候群の疑いあり、と言われていた。これは、知能検査とロールシャッハの結果を聞いた日のメモ。(知能指数などの具体的数値は個人情報なので削除。)

その後、某大学病院で脳波を測定したとき、脳波の用紙にはslightly abnormalと記されていた。でも、他の検査も含めて総合的に判断すると、「発達障害の範疇には入らない」との診断。それを受けて、私は、自分が発達障害かもしれない、というアイデアを自分の発想から抹消した。

当時できなかったことが、ここ2年ほどで続々とできるようになってきている。だから、こういう検査を今やったら全然違う結果になるかもしれない。
タグ: ADD
りーひまわりさんの記事に触発されて、突発的に梅を観にいってきました。どうせカップルや家族ばっかりで孤独感感じるんだろ、って思ってたけど、行ってみたら全然そんなことなかった。一人の人も結構いたし、何より、梅園は梅が主役。皆、梅に見とれて「綺麗ねーいい匂いねー」と頭にお花畑が咲いた状態でいる^^梅を眺めていい気分になってる彼らの元気もわけてもらった感じ。

ちょうど見ごろでした。白梅


虹色の丸い光が映りこんでいたのでビックリ。調べたところ、どうやらカメラ用語で「フレア」とか「ゴースト」っていうものらしい。(クリックで大きくなります)
虹


帰り際、綺麗な夕焼けが撮れたと喜んでいたのですが
夕陽1


実は上の写真のすぐ右に富士山(←たぶん)が見えていたということに気付く。ベストショットを逃した~(クリックで大きくなります)
夕陽2


そして、やたら「やばい、やばい」って言って笑い転げている人がいるなーと思ったら・・・
2007.02.10 ひとりでがんばる。
と書いたが、”実際には”、全然「ひとり」じゃないことに気付いた。

今朝5時、ものすごく怖い夢を見て飛び起きた。夢の中で私が見捨てててしまった女の人の半狂乱の叫び声がリアルに頭の中をこだましているし、ひとりぼっちだっていうのが恐怖感に拍車をかけた・・・・・・私には「怖かったよ~!!」と話す相手もいない。

明かりをつけ、明るい音楽を流し、それでも消えないリアルな夢をノートに記録し・・・ようやくウトウトしたのかな?今度は、彼の声で目が覚めた。(イメージとしては何も見ていない)

リアルに彼の声だった。私が聞いた質問に答えてくれた声で、自分の質問の声の余韻も耳に残っていた。同時に、体が温かい風に包まれているみたいに、ポカポカしてきて、恐怖感も消えて、そのまま眠ってしまったみたい。その後随分長い時間眠ったけど、彼との会話の内容は覚えていた。これはとても珍しいこと。(会話の内容は恥ずかしいから内緒。)

物理的には離れていても、今も彼の愛に守られていることを感じた。ありがとう。
火曜から金曜まで怖くて一歩も部屋の外へ出られず、無気力で布団の中に横たわっていた→こんなに鬱にはまるのは久しぶり。

昨日の深夜に彼と別れたことも話す。理由を簡単に説明。(彼がいるから引きこもっていられる。私は彼に依存している。彼がいなくなれば、私はもう作業所に行くしかないはず。)「自分を追い詰めるために彼と別れたの!?」と素っ頓狂な声を出す主治医。「それがいい方に向かえばいいけど・・・ねえ・・・」

彼に依存して満足してたときは、他の人と関わりたいと思ったことがなかった。今回の鬱になったのは、人と関わりたい、と初めて思ったがために、新たに湧きだしてきた「(拒否されることへの)恐れ」のせいだと思う、ってことを話すことができた。

私に環境の変化があったらまた連絡することになってる、って言ったら、じゃあ、変化に向かって頑張ってみよう、薬でどうこうっていうのはやめておこう、って言ってくれた。良かった。
タグ: 通院記録
いろいろと考え、話し合った結果、彼とは「一旦」別れることにしました。私に環境の変化があったら、つまり、彼に依存しないで生きられる自信がついたら、連絡を取ります。

今まではずっと、私の不安も苦しみも悲しみも、彼が半分背負ってくれてた。だからこそ生きてこれた。でもこれからは彼はいない。1人で頑張る。

1人になるのは何年ぶりだろう。初めて彼ができてから約8年か、ずっと男性に依存し続けてきた。
でも大丈夫。もともとこの世にも1人で生まれてきたんだから!
今週初めに、仕事の紹介を受けてた。理想的なポジションで、場所も良くて、正社員の求人だった。トライしてみたかった。でもそう思えば思うほど不安定になっていった。

作業所にもまともに行けないような状態で、無理して働いていつまでもつだろうか・・・。引きこもっていた空白期間をなんと説明するのか・・・。結局、今日、応募は断った。すっきりした。

もう少しゆっくり、一歩一歩、着実に、地に足を着けて、就職に向けて「今」できることをしようと思う。
タグ: 仕事
今朝も、漠然とした恐怖で縛り付けられたみたいに動けなくて作業所を休んでしまった。

ブログでは勢いよく書いてたけど、実生活ではもう3日間ずっと横になって無気力。作業所もいけなかったくせに、活動するのかよ、ていう気持ちもあるみたい。ああ悪循環。

外の人と関わりたい、だけど怖い!怖い!怖い!

今までの恐れとは少し違うから、対処に戸惑ってる。今までは「怖いから人と関わりたくない」→「関わらなくてもいいから外へ出よう」って自分を鼓舞すればよかった。今は「人と関わりたいから外へ出たい」→「でも怖い!怖い!怖い!」って感じ。未知のものに対する怖さかな。

動かないとこの怖さはなくならないって分かってるけど動けなくなっちゃう。最近、自己の内面を分析することに偏りすぎていたのかも。頭だけで考えていてもしょうがない。実生活の中で、地に足をつけて生きなきゃ。

だから、初心に戻る。とにかく作業所を休まない!それが来週の目標。
2007.02.07 孤独感、さみしさ、人恋しさ
で書いた新しい感情に慣れなくて、昨日から泣いてばかりいる。たぶん、思春期に感じるはずだった感情なんだと思う。ポップスの歌詞(特に恋愛)に共感できなかったり、ドラマや映画を見てもつまらなかったのは、↑の感情がなかったからなんだと思う。

つまり、今私は、30代目前にして、思春期が始まったってことか。大人になってからなるおたふく風邪は重症化しやすいらしいけど、大丈夫か!?って自分のことが他人事みたいに心配になる。とかいいつつ私は絶対大丈夫だけどw

今まで人が死んで悲しいとか、死にたくないとか、思ったことがなかった。むしろ生きていたくなかった。小さい頃からずっと、早くこの世からいなくなりたいとばかり思ってた。この世にも、この地球にも、愛着なんてなかった。

人やこの世界に愛着(執着の人もいる・・・)を持てる人がうらやましかったけれど、今初めて、人間が好きだ、っていう感情が分かりかけてきて、そしたら、友情や愛情を失うことに対して、それに等しい大きさの悲しみが湧いてくるってことを知った。孤独感は、人を好きだと思う感情の裏返し・・・。人を好きになるという意味が分かった、それはたぶん喜ばしいことなんだと思う。


2006.12.22 何をすればいい?
この記事の「死に憧れている」っていう表現について、ある方からお叱りを受けて、後半に自殺しても意味ないよ、って書き足したけど、それは自分に対してのメッセージでもあった。この世への愛着っていう感情が分からなかったから、強引にスピリチュアルな解釈で自分を納得させようとしていた。

強引に納得させる必要なくなってきたみたい。この世への愛着。それは、最近・・・ここ1ヶ月くらいの間で、徐々に育ってきた感情だったんだけど。言葉にしてみると、なんだかものすごく急激な変化のようで。
タグ: 対人恐怖
孤独感、さみしさ、人恋しさ、こういう感情、今まで持ったことがなかった。今、ものすごく戸惑っている。

1人暮らし始めたときも、友達や恋人と別れたときも、何日もひきこもってどこへもでかけなくても、会話の少ない会社に勤めていても・・・・・・(大多数の人がその状況だったら感じるらしい)”孤独感”を持ったことがなかった。むしろ、楽になった、って思うくらいだった。

「この人と仲良くなりたい、友達になりたい」みたいな感情も持ったことがなかった。逆に「友達になりましょう!」みたいなアプローチを受けると、内心恐怖感を感じてしまった。もちろん表面上は嬉しいふりをして連絡先交換とかするんだけど、私からいつも連絡を絶ってしまって友達関係が消滅した。相手のことを嫌ってるわけじゃなくて、ただ、人が怖かった。どんな人でも怖かった。。。。。。

じゃあどうして恋人がいるのか?その時々の恋人は、私にとって、私が上記の理由で絶っていってしまうすべての人間関係の代わりだったんだと、今理解してしまった。私は嗅覚が鋭いのか・・・親代わりになってくれる男性を嗅ぎ分けて近づいていっちゃう。そして、その男性に精神的に依存する。そういう存在がいたから、友達がいなくても全然平気だったんだと思う。

今の彼にも、私は精神的に依存してた。親代わりだった・・・。彼は、疲れ切って、性欲さえわかなくなってしまった。彼は、私の男性依存の犠牲者だ。(もし、私との関係によって彼も何かを得たのなら共依存か。)私は、彼に「恋」をしてるのかどうか分からない。彼を好きだ。親しみを感じる。話したいと思う。一緒にいたいと思う。だけどこれは恋なのか?彼には本当に申し訳ない。明日話し合いをしなくちゃ。

今まで書いたことは、「私は心に温かみが欠けているんだろう、人間として何かが欠けているんだろう」と内心恥ずかしく思っていたから隠していた。

孤独感、さみしさ、人恋しさ・・・・・・今、初めて自分の中に感情として表れてきて、苦しいやら、(自分も人並みになれたことで)嬉しいやら、非常に複雑な気分だ。

生まれて初めて「友達がほしい」って思った。昨日、作業所を出たとき、変な落ち込みを感じて、何なのか分からなかったんだけど、やっと言葉にできた。孤独感、さみしさ、人恋しさ・・・・・・まとまってないけど、これが今の正直な気持ち。

作業所では、満遍なく会話はしたけど、全部雑談。もっと深い話をしたい、とか、あの人ともっとお話したいのに、とかいう気持ちが私の中にある!私、雑談では満足できないみたい。信じられないよ、もう。雑談が怖くて、それ以上の友達関係になるなんて、もっと恐ろしくて逃げ回っていたというのに!

なんか寂しくて、辛い。こんな気持ち、慣れてないし、”私らしくない”から変。本音を言い合える友達を作っていたら、と後悔するところなのかもしれないけど、今までの方向とは真逆すぎて、後悔の気持ちも湧いてこない。
それより嬉しいかな!これから友達作れるし、維持していけるかもしれないっていう希望の方が勝ってる。

今のところ、友達を作るなら作業所なんだけど、ほとんど男しかいないのが・・・。何人か、もっと深いお話ができたら、っていう人がいるんだけど、自分からメアド教えたりしたら勘違いされてしまう?あー、この年になって、人との仲良くなり方すら分からない。これから学んでいけばいいんだけど。これからいくらでも学べる、それはとってもとっても嬉しいことなんだけど。


今は、音楽で寂しさを埋めている。鬱になってから音刺激が苦手で、ヒーリング音楽やクラシック(癒し系限定)なら聴けるけどっていう状態だった。歌のある音楽全般ダメだった。それが・・・本当に信じられない、歌を聴くと安心するのだ。

今気になる(ほしい)音楽:
The Beatles
The Seekers
Neil Sedaka
チューリップ
木綿のハンカチーフ!
タグ: 対人恐怖
2007.02.05 笑顔に注意
今日の課題は、笑顔の動機に注意することだった。かなりうまくいったと思う。

自分をよく見せたい自分が出てきたときは心の中でこう言った。「完璧に思われたいの?精神障害者なのに?www」って。これは効果テキメン。名実共に立派な精神障害者が完璧を取り繕うって少し冷静に考えただけで笑えてくる。

今日一日を振り返って、笑いたいときは笑って、話したい時は話して、話すことがないときはぼーっとしてっていう、普通のことが、自分の予想以上にできたと思う。

休憩時間など、周りに人がばらばらいる中で、何を話すでもなく、「ただそこにいる」、っていう「役割のない状態」において、不安や痛みをそれほど感じずにいられるようになった。それは、自分のパーソナル・スペースを保てるようになった、ってことだと思う。スピリチュアル的に言えば、自分のオーラの中に入りこまれない。こういう感覚は初めて。

朝起きてすぐ、作業所に入る前、トイレや休憩で一人になるたびにしつこいほどやっている「卵オーラ法」(オーラを保護するための呼吸法)が効いているのかもしれない。あるいは、オーラ保護を目的に手作りしたネックレスのおかげなのか?それともフラワーエッセンスのせいなのか?一気にいろいろやり始めたから分からないwでも何でもいい。とにかく、私は、人の中にいるのが随分楽になった。

今、私はかなりのスピードで変わっていってる。自分が知らない新しい側面を毎日発見している。新しく付け加わったんじゃないんだよね。玉ねぎの皮むきのように、もともと内側にあったものが出てきてるんだよね。

明日はデイケアの人達と梅を見に行く。今まではこういうレクリエーション的なことが一番苦手「だった」けど、さて、どうなるだろう。今の私は、どう反応するだろう?

→2006.02.06追記。起きれなかった。行けなかった...orz やっぱり頑張った日の翌日は動けなくなってしまう。まあ一進一退ということで。いつか週5日勤務が平気になるまで、徐々にペースを上げていけばいい。
タグ: 対人恐怖
今日気づいたんだけど、私、顔と名前を覚えるのが信じられないくらい楽にできるようになってる。「できないはず」のことが、気づくとできてしまっている自分に少し戸惑う。

以前も書いたけれど、2005年の3月頃、頭の中で新しい回路がつながったかのように、それまでできなかった様々なことができるようになった。まさか自分が(ロボットみたいに)「バージョンアップ」するなんて、ていう驚きと爽快感は、忘れられない。
2006.03.27 願えば叶う
(↑この日「対人恐怖が治った!」って感激してるけど、これは後で早とちりだったことが分かるw)

その変化の後、新しい組織に参加するのは、今回が初めてなのだ。その時行ってた会社をやめて1年も引きこもっていたので・・・

自分に対して自分はこういう人間だって抱いているイメージ(以下、セルフイメージ)が、現状に合わなくなっている。古くなったセルフイメージをぶっこわさなきゃ。古くなったセルフイメージは自分に対する偏見のようなもの、可能性の芽を摘んでしまう。

過去に「私はこういうことが苦手」と思う・言われる経験をしたことで、自分の限界を自分で決めてしまってはいないか?「人が怖い」っていうのもそうだよ。総点検開始。
「いつも笑顔でいる」というのは目標として結構なことだ。でもそれによって、後からどっと疲れが出て動けなくなるっていうのは何か違うのではないだろうか。
それについて週末ずっと考えて出た結論が「動機が大事」ということ。

その笑顔はなんのため?

<1.素の笑顔>
自分がリラックスするため
積極的にその場を楽しむため

<2.自分の価値を上げるための笑顔>
感じがいい人だと思われたい
暗い人だと思われたくない
かわいい女だと思われたい

私はどうしても2.の動機で笑顔を作ってしまう癖がある。これが、「仮面をかぶってる」っていう自己認識の原因の1つであることは間違いないだろう。素の自分に自信が持てないために、笑顔を作ることで価値を上げようとしたんだ。笑顔は鎧だった。いわゆる「営業スマイル」か。それを誰に対してもいつも。

もうそろそろ内面と外面の乖離から楽になりたい・・・・・・
ずっと笑顔を、ツールとして使ってきたんだから、すぐには治らないだろうが、自分の心の状態を常に監視することで徐々になくしていけないだろうか。

明日から、笑顔でいるときにも、2.の動機に陥っていないかどうか、自分の心の状態を注意深くチェックしようと思う。で、もしも2.の動機になっていたら・・・・・・どうすればいいんだろう?急に暗い顔をわざわざ作るのはそれもおかしいし・・・・・・
タグ: 対人恐怖
月曜日起きられなくて作業所行けなかったこと、作業所のない日は無気力で横になってることなど話す。起きられないについて詳しく聞かれる。
・・・布団の中から出るのが怖い、という感覚。漠然とした恐怖。
えっ?そんな症状言ってたっけ?と先生。ずっとそうなんです、今まで無気力で横になってましたと書いている日はほとんどがそうなんです、と説明。

でも、気分のアップダウンは前より良くなってるんだよね?と聞かれて、それはもう!全然違います!とはりきって答える。(後から考えるとこのテンションが問題)じゃあこの調子で社会復帰に向け頑張りましょう。

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作業所で人に関わることに慣れたらしく、病院の受付の人や薬剤師さんと、目を合わせて挨拶できるようになっていた。普通の大きな声で。ここ1年くらい使ってた自信なさそうな声じゃない。で、先生とも、なんか、空元気でしゃべってしまった。

今日も昼過ぎまで無気力で横になってた。エイヤッて病院へ行って、そこではニコニコ元気で、病院を出て一人になった途端、歩く気力さえなくなってしまった自分に気づいた。胸が重い。心が重い。辛い。心の中に重い石を抱えているみたい。

いつもニコニコして、大きな声で、感じよく、っていう方向。人と関わる時の鎧がちゃんと装備できた、この調子でいけばいい、って思ってた。そりゃあ疲れるけど、昨日はただの疲労かと思ってた。でも、違うのかもしれない。

だって、会社にいるときだけ、ニコニコ、感じよく、会社の外へ出た途端、家に帰るのも億劫になる・・・・・・それが、前の会社に行けなくなる直前頃の私だった!!!

今目指している方向は、心を消耗し、今までの二の舞になるよ、っていう警告に思える。もしそうだとしたら・・・一体、どうしたらいいんだろう・・・・・・今は考えるのも億劫だ。



※コメント本当にありがとうございます。今、気分がネガに堕ちているので後日お返事させてくださいね。
タグ: 通院記録
09/28 70.2kg 35.3%

10/19 67.5kg 35.1%

12/11 65.9kg 36.5%

01/17 64.5kg 34.7%

02/02 63.3kg 34.2%

いい調子♪

生活リズムが活動的に変わり始めている。作業所入所(1/22)のため、1/14からお風呂に毎日入るようになった。メイクもするようになって自身の女性性に関心が芽生えてきたかも・・・・・・。お湯は引き続き飲んでいる。作業所ではフラワーエッセンス入りのお湯を。

今は変化のときだと思う。心は、正直言って、少し、苦しい。

心最優先。だから、これからもダイエットは意識しないつもり。この調子で心身共に良い方向に向かっていきたいな。

(imported from: necox.beta2.0 美容館@Seesaa blog)

今でこそ作業所に通っているけれど、私は、デイケアや作業所を利用することに抵抗があった人間だ。なんとなく、正真正銘の「精神障害者」が行く場所で、自分には縁がないと思っていた。私は一見普通に見えるし、仕事だって、ただ疲れ切っちゃって行けなくなる恐れがあるだけで、行けば十分普通にできるんだから、そんな場所に行ったら浮いちゃうんじゃないか、って思っていた。。。。。。。。全部、誤解だった。

作業所にも、デイケアにも、私以上に普通に見える人たちがいる。普通の会社でだって、”仕事ができる人”って評価されるだろうな、って思うような人もいる。もちろん、コミュニケーション能力とかも総合的に見て、だ。確かに、変わった感じのする人もいるけれど、そういう人は、私の大ざっぱな勘では全体の30%に満たないと思う。

仕事ができるできない、とか、会話ができるできない、は、心の傷の有無とは何の関係もないんだよね。そんな当たり前のことが私、分かっていなかった。

私が、正真正銘の「精神障害者」なんだ・・・。それを、今、やっと受け入れることができた。今思えば、傷病手当金を申請するときも、自立支援を申請するときも、そんなこと、深く考えていなくて、自分が世間では「精神障害者」と呼ばれるという自覚がなかった。精神科に足かけ何年も通っている身なのにねw

いかに、人は見た目では分からないか、って思う。私も含めて、一見「普通」の人たちが、それぞれ、見えない部分で闇や傷やほころびを抱えてて、その見えない部分を白日の下に晒すと(つまり病院に行ったり、制度を利用したりすると)「精神障害者」に分類されちゃう。でも、あくまで普通の人として生きているんだってこと。

もしも出会ったのが作業所でなければ、「あの人は悩みなんてないんだろうな」とか「ああいう明るい性格うらやましいな」などとうらやんでいたかもしれない人もいる。でも、注意深く観察してると、そういう悩みなんてなさそうな人が、実はものすごく繊細な神経を使っていることが感じ取られたりして・・・・・・

ちょっと、これから人を見る目が変わるかもしれない。元気そうなあの人も、この人も、みんな大変なこと、辛いことを抱えて生きてるんだよね。それに何の特別なこともない。

今日は、とにかくいつもニコニコしていることを心がけてみた。世間話も積極的にノッた。バリアばっかり張っていた前回までに較べると、格段に時間が早く過ぎ、自分が作業所での時間を楽しんだことが分かった。コミュニケーションに関する神経が鈍っているのか(汗)その分疲れもどっと出た。でも、ネガティブな疲れではないみたいで、1時間くらいで飛ばすことができた。作業所の人は、みんな、とても優しい。私は、この人達の中なら、人間関係に関する傷を癒せるかもしれない。

就職が決まって作業所をやめていくことを「卒業」って呼ぶみたい。少しずつ人への恐怖感を克服して、卒業、できますように。
タグ: 通院記録

   

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