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今日、白いほうの金魚がとっても変な動きをしていた。泳ぎ方が不安定で、水面でぼーっとしてたり、頻繁に体を横にしたがる。

水が汚れているせいかと思い、水換えをした。その直後が、一番動きが怪しかった。水面で横になってぼーっと・・・まさに「死んだふり」(汗)おいおい、と手で水槽をつつくと、濾過装置の底部に潜って、また横になってぼーっとしてる。

思わず「ラファエル様(癒しをつかさどる天使)金魚を助けて!」ってお願いしてしまった。それで本当に助けてくれたのかどうか・・・分からないけど今は普通に泳いでいる。

金魚の本を見ても、ぴったりあてはまるものがなかったけど、もしかして「転覆病」になりかかっていたのかな。「転覆病」になった金魚は仰向けにひっくり返って泳ぐらしい。水温が急激に下がったときに発生することが多いっていうのも当てはまる。

そういえば、今週ずっと鬱状態だったため、一度も換気をしてないどころか、カーテンすら開けてなかった。私1人の環境じゃないんだよね、金魚にも光が必要だったんだよね、ごめんね。自分一人の部屋じゃないってこと、肝に銘じるよ。今度、水温計も買ってこようね。

金魚、元気になって!
このところずっと鬱気味だった。でもブログではありのままを書かなかった。自分の中の感情をポジティブとネガティブに切り分けて、ポジティブな方だけ表現するようにしていた。

そんな小賢しい取り繕いもできなくなって爆発したのが前記事の「鬱々」で、あれを書いた後、憑きものが落ちたように楽になった。

これで、やっと鬱から抜け出せそうだ。

それにしても。ネガティブな思いを、あるがままに表現することで初めて、這い上がっていけるのか。。。負のエネルギーを放出できるから?ネガティブなものは、表現されないことで、自分の内側に溜め込まれていくだけだった?

私は、ポジティブな表現を意図的に選ぶことでこそ、這い上がれると信じていたのに。なぜだ?

仮に、ブログに吐き出すことで私が這い上がれるとする。ブログを私の負の感情の掃き溜めにして、その負のエネルギーを誰かに押しつけることにはならない?
日曜日に帰宅してから、ずっと布団の中にいる。
何もやりたくないから、私は何もやらないの。
治す気?さらさらない!
2006.11.29 15:48 | 気分の記録 | トラックバック(-) | コメント(-) | edit |
昨日、東京競馬場の近くの大きな神社に寄った。

七五三の家族で賑わっていた。
大國魂神社


大國魂神社内にあった小さな神社。こぢんまりとしていていい雰囲気だった。大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)公式サイトを今見たところ、この他にもたくさんの小さな神社があったらしい。ちなみにこの神社の名前は住吉・大鷲神社。
大國魂神社内にある小さな神社


季節柄、大輪の菊の花もたくさん展示されていた。
菊


追記におみくじ
昨日彼が眠っている横で、彼の守護霊さんや守護天使さんにお願いしてみた。「彼の風邪をぜーんぶ私に吸い取らせてください、私は寝てるだけだから大丈夫!」って。そしたら、ほんとに、体調悪くなった(笑)

まあ、昨日のことがあるから、単なる疲れかもね。明日起きたときに、本当に風邪かどうか分かるな。働いてた頃は、健康な日のほうが少ないほど、いつも風邪をひいていたのに、会社をやめてから9ヶ月、まともな風邪をひいてない。もうそろそろひきどきかもね。

単なる鬱なら、寝転がってブログ読むのは楽しみなんだけど、頭痛でブログも読むのが辛い。でもテレビは見たよ。のだめカンタービレ、面白かった!極上の月夜も。プリンセス天功のイリュージョンはすごかったー。やっぱり笑いや驚きは元気をくれるね。

今気づいたけど、生理もきたよ。ま、体調不良はいっきに来てくれるほうが助かるよ。生理も、いつ来るか分からないよりは、来てくれたほうがいいし。

彼の守護霊さんたち、願い叶えてくれてありがとねー。私、熱でも鼻水でも咳でもなんでも出す覚悟あるからさ、彼の風邪をいい加減治してあげてくださいね?あ、守護霊は取引なんてしないんでしたっけ、ごめんなさいね。
競馬ファンの彼に連れられて、ジャパンカップという大きなレースを観に行った。

彼と一緒なので全然余裕のつもりだったのに、会場に入って1時間も経たないうちに頭が重く、心臓が痛くなって、苦しくなってきた。

ジャパンカップのパドック
パドックだけでもこのヒトゴミ・・・。

それで思い出したのが、以前キネシオロジーを1回だけ体験したときの話。その時、私はなんらかの念に憑依されてたらしく、それを追い出すための深呼吸の方法を教えてもらった。

「自分が戻ってくる〜」ってイメージしながら息を吸い、
「悪いものが自分から出て行く〜」ってイメージしながら息を吐く。
これを3回くらいやる。


新聞紙をひいて座りこんで(椅子なんてあいてなくて、みんなそうしてる!(笑))ひたすら、深呼吸を繰り返すこと数分。すっきりとした気分になり、胸の痛みもかなりおさまった。

その後は、辛くなるたびにその深呼吸をすることで、無事1日乗り切ることができた。レースも楽しめた!胸が痛いと深呼吸するときに痛むのが唯一の難点なんだけど。

「人混みで気分悪くなるのは人の念を受けているせい」っていう可能性、キネシやってもらった頃は半信半疑だったけど、今なら素直に受け入れられる!

そういえば、「ヒーラーについての素朴な疑問」へのコメントで碧と黄色さんに同じような呼吸法を教えてもらってたなぁ・・・・・・
さっきの予言は半分は当たって、半分は外れた。料理ができるくらいまで気分が回復したのは、ヘイハウス・ラジオの過去ログでデニス・リンさんのお声を聞いたから。。。。彼女の声はあったかくて、豪快で、私の鬱々を吹っ飛ばしてくれる効果がある。

テレビやラジオって、私の場合つけるのに「気合い」や「頑張り」がいるんだけど、それは自分に合う番組、好きな芸能人を知らないから余計そうなのかもしれない。「この人を見ると、この人の声を聞くと元気になるっ!」って人を少人数でも見つけられれば、その人の録画や録音を聞いて元気になれるもんね。

あー結局ブログと同じか。ブログも、この人の写真見たり文章読むと元気になるっていうのがあるもんなー。そういう人に出会うためには、いろいろ、好みじゃないのも読んで探し回らなきゃいけないっていうのも似てるなー。

ところが、好きな人のブログでも、気分が堕ちてるときに読むと、何でもない言葉に、自分の中にある汚い感情を刺激されてイライラすることもある。つまり世界は私の受け取り方によってどうにでもなるってこと。すべては私の気分次第だってこと。結局、気分をコントロールできるようになりたいな、ってこと。
早起きどころか、起床時間はどんどん遅くなってる。今は15時くらいに、やっと、もうそろそろ起きなきゃー、って思う。(こないだまで13時頃だった)このまま、遅く遅くしていけば、いつか逆転・・・へへへ。

起きても寝転がったまま。何もしたくない。何もしたくない。何もしたくない。私はそういうときはほんとに何にもしない。でもおなかがすいてきたな・・・・・・困った。
今日は体調があまりよくなくて、午後中ずっとヘイハウス・ラジオを流しながらうとうとしてた。夢の中で必死に起きようとして、起きたはずなのに、まだ寝てるという^^その中ですごく鮮明に覚えているのが、かさぶたが剥がれる夢。

指の爪の入り口のところに小さいかさぶたが2つあった。1つはすぐ取れたけど、もう1つはなかなか取れなくて、一生懸命取ろう取ろうとしていたら、爪と同じくらい大きくて白いかさぶたがぺろっと剥がれた。(ありえない)

痛みはまったくなかった。ただ大きさがとても印象的だった。剥がしたくてたまらなかったものが、あっけなく取れてしまったので、すっきりして嬉しかった。

☆追記に嬉しい夢解釈
Amazon のギフト券って、相手のEメールアドレスが分かるだけで、プレゼントできるんだ!ちょっとしたお礼なんかにいいかもね。モノってもらって困ることあるけど、アマゾンギフト券ならいくらでもほしいぞ〜(笑)

2006.11.23 01:17 | web | トラックバック(0) | コメント(0) | edit |
久々に半身浴をしたら、いろいろな気づきがあった。特に、「外の情報を取り入れよう」、という電波。具体的にはテレビやラジオをつけよう、ニュースを見よう、バラエティ番組や映画なども、選り好みせずに見ようってこと。テレビやラジオ番組で、何かおすすめあったら教えてください。(私はテレビが苦手なので、彼が家に来たときしかつけない。「オーラの泉」と「極上の月夜」だけは、毎週その時間になるとタイマーが鳴るようにしてる^^)


***


私が電波と呼んでいるのは、同じような情報を、繰り返し見たり聞いたりしているうちに、そっか、そうしなきゃ、って思わされる直感みたいなもの。

ここ何年も受け取り続けているのが、「掃除をしよう」電波。9月の初めには「10年後の自分をイメージ」・「バランスの良い食事」という電波を受け取っていたらしい。すぐ忘れてしまうものだな。ブログは、自分の垂れ流した情報を覚えていてくれて助かる。

☆以下11/23 22:20追記
今日も13時過ぎに起きた。ほんとはその前から目が覚めていたけれど、「起きたくない」「何もしたくない」・・・。

今日は、軽鬱の日の過ごし方に書いたのと同じように過ごすことになりそう。記事数が500も超えると、リンクするだけですんじゃうから楽だな〜(笑)
スピリチュアルの追究って、カルトとか洗脳とかの危険とも隣り合わせだと思う。今スピリチュアル・ブームだから、それを装った悪意の人物や集団がいても全然おかしくない。どうやって、そういう危険から身を守ろうか。

この1ヶ月間、スピリチュアルに関する本を何冊か読んだけど、あえてバラバラな系統の本を選んできた。系統や歴史がバラバラな複数の本で、根本的に同じことが書かれているなら、霊的真理が存在する、と考えていいだろうな、と思ったからだ。

今のところ、読んだ本は全部同じ真理を指しているので、私はスピリチュアルな世界の法則を信じることにしている。誰か特定の人・グループの言っていることを盲信しているのではない、と分かって信じているので、安心感がある。

でも、私に見えない世界であることには変わりない。確かに、アンテナを向けることで、だんだん見えない存在からのメッセージに気づけるようになった。けれど、単純に嬉しいだけじゃない、恐怖や不安もある。悪意を持った存在が、アンテナを向けて試行錯誤している私を利用してこないと、どうして断言できるだろう?

正直、100%の自信はない。そういうとき、本なんか役に立たないと思う。じゃあ、霊能者のところにいく?その霊能者が悪徳かもしれないじゃない。99%の霊能者は偽物だって美輪さんも言ってる。私が1回だけ行ったスピリチュアル・カウンセリングもどうやら偽物だったし。(いろいろ知識をつけた今は、素性の知れない霊能者に観てもらうことなんて怖くてできない!(笑))

いつか、信頼できる複数の霊能者とつながりができれば、それが望ましいけれど、最終的には、自分の直感だけが頼りだと思う。

そういえば昔、いくつかのカルトと言われる宗教やマルチに勧誘されたけど、私の直感は見事に拒否ってくれた。だから、私は自分の直感を絶対的に信用してる。外側からやってくるどんな教えよりも、自分の直感を信用することを第一に考えよう。
もはや昼起きがデフォルトとなっているnecoxですが、明日だけは、絶対7時に起きる。

理由は先月のこの記事。もう1ヶ月経ったとは!

この調子で、早寝早起きを習慣にしたいな。それではおやすみなさい。

<以下、朝7:38追記>
痛快!寂聴仏教塾
発売元: 集英社インターナショナル
発売日: 2000/04

この本を手に取ったきっかけ

アメリカ人の書いたスピリチュアルな本なんかを読むと、キリスト教ではこう教えられているが・・・・という話の流れをよくみかける。聖書の引用も多い。思想的基盤の違いを感じる。でも、私は自分の思想的基盤であるはずの仏教を知らない。もちろん、葬式や法事でお経ぐらいは聴いたことあるけど、足が痺れるから嫌、って思っていただけだった。お経ってキリスト教でいえば聖書にあたるのに、それすら知らないんだから、形式上「仏教徒」にさせられているだけで、中身は無宗教そのものなのよね。

だから、私は仏教のことを知りたくなった。

伝言ゲーム

この本を読んでまず思ったのは「宗教は伝言ゲームだ!」ってこと。小学校の頃やりませんでした?何人かのグループに分かれて一列に並び、同じ文章を前の人から後ろの人へ口伝えしていくもの。これが、最後の人のところにたどりつくころには、なぜか全然違う文章になってしまう!

宗教も同じだなぁ、って思った。釈迦が生まれたのは今から2500年以上前のこと。紙なんてない時代。その人が言ったことが、今まで何の誤謬もなく伝わってるなんてあり得ないのよね。キリストだって同じ。

寂聴さんは、非現実的な逸話などについては後世の作り事、と切り捨てた上で、仏陀が本当に伝えたかったことはこうだと私は思う、という風に主観的に語ってくださって、気持ちがよかった。

生きるための教え

葬式や法事だけが仏教でないどころか、釈迦自身は、葬式なんてどうでもいい、という考えだったと知ってびっくりした。私は、葬式やお墓を売って(つまり人の死を利用して)お金儲けしている今の「仏教」しか知らなかったから、なんだか宗教的なものすべてが胡散臭く思えてしまっていた。でも、仏教って、もともとは、今をいかに生きるか、という、生き方のコツを教えるものだったのね。現代でいえば「カウンセリング」とか「セミナー」とか「勉強会」みたいなものだったんだ、って思ったら一気に、身近な存在に思えるようになった。

・この世は因果(原因と結果)によってなりたつ
・この世は苦しみに満ちている。苦しみの原因は煩悩や執着である。原因をなくせば結果もなくなる。正しい行いをせよ。
・自分の置かれている現実を、ありのままに見なさい
・自分のために愛するのではなく、あげっぱなしの無償の愛を与えなさい
などなど・・・。仏教って、難しい四文字熟語ばかりだと思ってたけど、寂聴さんが平易な言葉に直してくださったのを読んで、ごくごく真っ当なアドバイスばかりだと思った。

釈迦の遺言

とても感動したのが、釈迦の遺言の話、「自灯明(じとうみょう)」
お前たちは自分たちを明かりとしなさい。
人をよりどころにするな。
仏法をよりどころにして、他を頼るな。

痛快!寂聴仏教塾 p49
宗教の開祖でありながら、自分の中の光を信じてそれを中心に生きていきなさい、が遺言とは、とても励まされる。

信は任すなり

寂聴さんの「信は任すなり(信仰とは、すべてを任せるということ)」という言葉も気に入った。「任せる」っていう概念は、私にとっての最近のヒット。I let go and surrender myself to the unknown. (←昨日、Leon Nacsonさんが言ってたのを聞きかじっただけなんだけど、なぜか私の心を捉えた。この言葉を唱えることで、自分が為すことの「結果」に執着することがなくなる、って言っていた)と同じニュアンス!

天使

これは私が勝手に思ったんだけど、観音様の信仰って天使信仰にそっくり!

・如来(仏の中でも最も格が高い)と衆生の間に位置する仏
・人間が困っているときに助けてくれる
・信じて、その名を唱えれば、たちまち現われてあらゆる災難から逃れることができる
・どんな姿にでもなることができる
・観音様にもいろいろな種類がある

と、読めば読むほど、天使との共通点ばかり。違うところは羽の有無?でも、ドリーンさんは、天使に羽がついている理由は、最初に天使を絵に描いた人が、天使の後光を羽と勘違いして描いてしまったので、天使は人間に分かりやすいように、羽をもった姿で現われるようになった、って言っていた。

そう、だから、仏教に詳しい人が聞いたら怒っちゃうかもしれないけど、私の中では、観音様=天使になった。

名前なんて関係ない。何か、目に見えない光の存在がいるってことを信じて、祈れば、それが叶うっていう信仰、それはどこの国だろうと、どんな宗教だろうと、共通する部分なんだと思う。

般若心経

般若心経の教えも、心惹かれるものがあった・・・ってまだ全然理解できてないのですが。この世の現象はすべて心が生み出した幻のようなもの。感覚が生み出す様々な認識に「とらわれない」自由な心をもって、物事を正しく見ることができれば、恐れるものは何もない。。。。。。仏教の教えにすらこだわるな、って言ってるのにはびっくり!何度かCDに従って唱えてみた。新鮮な体験♪

まとめ

この本を読んで、自分の国の宗教である仏教を身近に感じることができた。それと同時に、日本人だからといって仏教の教えにこだわる必要もないな、と思った。自分に一番合った方法を選択していけばいいのね。そういう自由がある時代に生まれたことがとても幸せだと思う。
最近の私は、夢からたくさんのアイデアをもらっている。それはまるで、眠っている間に、私の頭の中にアイデアが天からダウンロードされる、という感じだ。全然「自分で考えたこと」という気がしない。

つい1週間くらい前までは、目が覚めたとき何か満たされた感じがする日がある〜っていうだけだった。

ヘイハウス・ラジオの過去ログで、デニス・リンさんの "Past Life/ Present Dreams" を聞いてからは、寝る前に、夢の中で何かヒントがもらえるように、そして起きたときにそれを覚えていられるようにお願いしてから眠りにつくようにした。ペンとノートも枕元に用意した。

さらに、ドリーンさんのスピリチュアルガイド〈2〉を読んでからは、天使から守護を受けることへの恐れを消し去るための言葉(→追記)を寝る前に毎日唱えるようになった。

もちろん、毎日メッセージの入った夢を見られるわけじゃないけど、確実に増えてきている。

こうやって、何か自分を助けてくれる存在を、「自分で」感じられるようになってきていることがとても嬉しい。たった2ヶ月くらい前、スピリチュアルカウンセリングを受けたいと思ってたけど、それは、まさか自分が直接目に見えない存在を感じることなど、できるはずもない、と決めてかかっていたからだった。見えない存在とのコミュニケーションなんて、特別な能力をもった一部の人だけの特権だと思ってた。

でもここ1ヶ月くらいの読書によって、、夢をはじめとして、生活のいたるところに守護霊や天使たちからのシグナルがあり、それを受信するかしないかは自分次第だ、ということを信じられるようになった。それで、上記のように行動を変えていったから、自分でも少しずつ感じ取れるようになってきたんだと思う。

この調子で、アンテナをもっと研ぎ澄ましていきたい。そうして、仕事復帰への勇気を心の中から絞り出していきたい。
やったー!今日も夢の中で何か教えてもらったみたい。

目が覚める瞬間「そっかー!だから、私をとりまくすべてのものに感謝しなきゃね!ありがとう!ありがとう!」ってめっちゃすべてのものに感謝していた。(なぜそう思わされたのかは思い出せないのが残念!)

起きた後も、心がぽかぽかして、満たされていて、とっても幸せな気分が続いている。

追記に、思い出せる限りの夢のカケラ。
タグ:
仕事って、自分や家族の生計を立てるため、お金を稼ぐためだけにやるんじゃないんだね!!

どこかの会社のどこかの部署に毎日顔を出して、周りの人と関わって、「うわー辛いよー」とか愚痴りながらも、毎日そこに存在している、そこに意味があるんだね?ただ存在しているだけで、自分で知らず知らずのうちに、周りに何らかの影響を与えている、そこに意味があるんだよね?

会社の利益に直接的に貢献してないかもしれない、
もしかしたらマイナスかもしれない、
それでも、そこに存在することに意味があるから、雇われている・・・・・・?

世界の見え方が変わりはじめてる。まだ霧の中にいるみたいで、はっきりとした道は見えない。でも、方向性は間違ってない気がする。
タグ: 仕事
”スピリチュアル”な壁紙発見!

女性誌トリニティーのサイトの壁紙コーナー

たとえば、第3回「愛と癒しの楽園 聖地ハワイへようこそ!」の壁紙↓
第3回「愛と癒しの楽園 聖地ハワイへようこそ!」の壁紙
もちろん速攻で、この壁紙を設定しました。癒される〜♪
2006.11.17 21:33 | web | トラックバック(0) | コメント(0) | edit |
軽鬱+躁的焦りをどうにかしたいの続き。

アロマ(ラベンダーとイランイラン)+ヒーリング音楽+窓を開けて外の空気を入れる+深呼吸+グラウンディング・・・・

のおかげで、本を読めるくらいの落ち着きは取り戻した。で、しばらく、今すぐ人生を変える簡単な六つの方法 ( レバナ・シェル ブドラ )を読み直しているうちに気づいた。今あるこの不安・緊張・落ち着きのなさの根源は「変化への恐れ」だということに!!

変化への恐れ

これからの課題は、はっきりしたのだ。
・今までの「恐れ」にもとづく行動パターンを変えたい。「恐れ」を捨てたい。
・仕事をもち、人と関わる中でこそ、そのように自分を変えることができるだろう。当然、今のひきこもり状態から飛び出さなければならない。。。。。

そこまではっきり理解した今出てきたのが、変わることへの「恐れ」。。。。。。ほんっとに無限ループだな、と思う。

(でも誰でもそうなんじゃないか?病気がもうすぐ治りますよって言われて、嬉しい反面、元の生活に戻る恐れは、きっと誰しも持つものだと思う。)

仕事への関わり方への迷い

同時に、グラウンディング(地に足をつけること)の重要性にも気づかされた。最近スピリチュアルなシグナルをあちこちで受け取っていたので、かる〜く舞い上がり気味だった。現実の生活をおろそかにして、スピリチュアルなことにばかりかまけていても、問題は解決しないままに、現実ばなれするだけだ。やはり「今を生きていく」のが一番大切なこと。

そのためには仕事を探し、面接に通り、仕事に就くのが不可欠だと、分かってはいるんだけど・・・そこにまだ迷いがある。私は以前仕事をしているとき、仕事が自分の中心であり、すべてであり、人生の目的だと思っていた。実際にやってる仕事は下っ端の単調作業だったけど、いつか極めて一流になって、高収入を得られるようになったら、幸福になれるんだって信じてた。仕事を取り除いたところの「自分」に存在価値を認めてなかった。

でも、スピリチュアルな学びをする中で、仕事(や社会の中の何らかの役割)に依存する幸せ観の不健全さに気づいてしまった。仕事はしたいと思う。お金を稼ぐために仕事はきちんとする、でもそれを自分の中心にはしない、という感覚がいまいち想像できない。。。。。。私は何を理想とすればいいのか?

仕事と自分の位置関係について、考え抜くことが、今の自分のテーマかな。

ただ泳ぐ金魚


こうして日がな一日ただただ泳いでる金魚を見ていると、「生きているだけで価値がある」ってことが素直に納得できる気がする。でも自分が「生きているだけで価値がある」って思うのは難しい。
なにもかも億劫で何もしたくない軽鬱状態なのに、何かしなくちゃ、という焦りは躁っぽい。私に友達がいるならば、片っ端から電話をかけて、しゃべり続けたい気分だ。幸か不幸か友達なんていないんだけど。このイライラ。こう書いていても、意識はイライラのほうに半分もってかれてる。ああ、分かった、これは「寂しさ」に近い感情だと分かった。

スピリチュアルに目を向けるということは、こういうのを自分でコントロールするためのすべを身につけることじゃなかったの?でもグラウンディングも深呼吸もやる気にならない。いややらなくちゃ。

これから、これまで学んだ知識を総動員して、気分をコントロールできるかためしてみる。まずはヒーリング音楽をかけ、アロマをセットするのだ。自分の体を御せるのは私しかいないのだから。
病院の帰りに、小さな本屋へ寄ったのです。最近全然聴いてないのに、なぜか気になって手に取ったNHK ラジオビジネス英会話 2006年 12月号。放送があるまでビニェットは読まない主義なのに、今日に限って、なぜか読んでしまった。最初の回の最初の一言だけと思って。。。。。。
I had lunch last weekend with Dean Reid, a colleague in a previous life.
我が目を疑った。何か勘違いしてるのかと思って、和訳を見ても
先週末に、前世で同僚だったディーン・リードと昼食を共にしました。
と普通に、いたって普通に書いてある!この回のテーマはブログづくりについてであり、前世を持ち出す理由なんてどこにもないのに!

前世で同僚だったディーン・リード


これまでのビニェットに何か伏線でもあったのだろうか?それともアメリカではこの会話は普通なのか?どなたか教えてください^^

NHK ラジオビジネス英会話 2006年 12月号 [雑誌]
発売元: 日本放送出版協会
価格: ¥ 350
発売日: 2006/11/14
前回の通院から今日までの2週間、小刻みに上がったり下がったりを繰り返した。でも振れ幅はそんなに大きくない。

最近、仕事について考えたりしますか?」と聞かれた。先生にそんなことを聞かれたのは初めてで、ちょっとびっくり。

「あまりないです。考え始めると苦しくなっちゃうので」と答え、「考えた方がいいでしょうか?」と逆に聞いてみた。すると、「いや、今はまだ波があるから、まだそういう段階じゃないので考えなくていいですよ」「この波が順調にしずまっていくと仮定して、年明けくらいからかな?具体的に考えましょう」って、、、、、、初めて聞いた、具体的な目安!!

年明けか。そうだな、年明けを私も目指そうかな。それにしても、、、、、今回の診察も一連の「仕事につきなさい」というサイン(不意を突かれた仕事につきなさい、などなど)の1つに思える。。。。。。やはりちゃんと考えねば。

あと、生活リズムを整えるように言われた。ちゃんと朝起きて日に当たる!そ、そういえば、その昔セロトニンを増やそう!早寝早起きしようって思ってたこともあったような・・・。生活習慣から、体と心にアプローチするのも大事だよね、少しずつ起きる時間を早くしていこう。
タグ: 通院記録
最近、夢の中で、自分の頭からは絶対出てきそうにない、元気になれる言葉を聴いていた。「あーそっか!それで今までの疑問がすべて解決する!」って興奮するようなメッセージ、を確かに聴いてるのに、起きた途端消えてしまう。

でもそういう夢を見た日は、寝起きがとてもいい。心の中にぽかぽかするような感触が残っていて、満足感で満たされているから。

その夢の内容をどうしても書き取りたい、と思って、昨夜、枕元にノートとペンを用意しておいた。(ヘイハウスラジオデニス・リンさんのアドバイスに従って)

結果、メッセージは書き取る前に忘れてしまった。けれど、今までよりもたくさん夢のカケラを思い出すことができた。夢の尻尾はつかまえた!って感じかな。あせらず、これを続けていきたい。

追記に覚えているだけメモ
タグ:
>>プロフィール (1) 2006年6月5日へ
>>プロフィール (2) 2006年7月1日へ

私の最も簡潔なプロフィールは以下のとおり:
・20代後半・女
・現在無職歴9ヶ月。
・双極性感情障害(=躁鬱病)で通院中。
・傷病手当金を糧に1人暮らし中。
・対人緊張のためひきこもり気味。。。。。。

じゃあ、病名が自分なの?職業名が自分なの?人が怖いという感情が自分なの?昔はそう思っていたけど、今はそうじゃないと思う。「自分」って何なんだか、いまだによく分からない。

「人が怖い」という感情はとても幼い頃からあるから、自分の一部みたいなものだ。自分の一部でありながら、ほんと不愉快で恥ずかしい感情だと思っていた。だから、とびきりの笑顔で恐怖を包み隠した。私は、私の中の「恐れ」を忌み嫌った。自分のすべてをさらけ出すなんて、とても怖くてできなかった。

私は笑顔が器用にできたから、ほとんどの人は騙されてくれた。「いい子」「いい人」の位置を獲得できた。でも、私の心だけは、騙すことができなかった。「私は嘘をついている」「ばれたらどうしよう」と、人の間にいる限り、四六時中緊張し続け、疲れ果てることになった。一流の詐欺師は、「相手を騙す前に自分を騙せ」で、まず自分がその嘘を心から信じ込むのだという。その意味で、私は二流の詐欺師だった。

もともとは単なる「人間関係って、良く分からなくて怖い」っていう素直な感情だったものが、「私は誰とでもうまくやっていける朗らかな人間です!」って誇大広告を出してしまったことで、「嘘がばれたらどうしよう?」という余計な不安まで呼び込んでしまったのだ。まったく自業自得である。

そういうちょっとお馬鹿な人間関係を延々と繰り返してきたのが今までの私。(そのサイクルから抜け出したい!)その過程で、双極性感情障害にもなった。でも、今回9ヶ月も休ませてもらって、気分の上下の幅が小さくなってきている。本が読めたり、音楽が聴けるようになったことは、本当に嬉しい。

最近、スピリチュアルな世界への興味が強まったので、怪しげな記事もたくさん書いている。「necoxがこんな人間だと思わなかった〜、リンクはずしてほしい〜!」と思ってる方がいらっしゃるかもしれない。遠慮なく鍵コメまたはメールでどうぞ。

念のために書いておくが、私は、まったくもって無宗教である。今までいくつかの新興宗教から勧誘され、良いイメージを持たなかったので、宗教的なことには近寄らないようにしてきた。では、なぜ今近寄っているのかというと、先人の知恵を利用しないテはないじゃん!って思っているからである。

スピリチュアリズムは、様々な宗教の知恵を利用はするものの、特定の宗教を支持しない。(私は宗教は政党と同じように「団体」だと思ってるので、加盟したい人はすればいいと思う。そのかわり他人に強引に薦めないでほしい、それだけだ。私も、スピリチュアリズムの押しつけはしないように、気をつけねば、と思っている。)

スピリチュアリズムを実践することにより、上に書いた「恐れ」にもとづく無限ループから抜け出す道がみつかるかもしれない、という予感を頼りに、今、手探りで歩んでいるところである。



2006/12/21、メールフォームなどは独立記事として分離しました。
21時頃に突然復活。布団を片づけ、コーヒーを淹れ、ホットケーキを焼きました。
ホットケーキ
ただいま新婚旅行中のayuuさんのブログでよく見るようなおいしそ〜!な写真を撮りたかったんだけど、これが限界(笑)育ちが出ちゃうものだな、と。やはり、普段からきれいに盛りつけることを意識してないと。(いつもは、フライパンの上でフライ返しでバシバシ切ってから皿に盛るので、お皿の上はすでにぐちゃぐちゃ^^)

ちなみに、私は「目分量」でやるとろくなことがないので、レシピはボブとアンジー:ホットケーキを参考にしています。簡単でおいしいです♪

おまけで昨日の横浜の空。
横浜の空
この雲が気に入ったの!
タグ: 幸せ
昨日の19時頃からほとんど横になっているnecoxです。今日になっても気分は持ち上がりません。

バリバリ鬱じゃない。動こうと思えば動ける。でもできれば横になってたい。

こういう時こそ、「決断」です。いさぎよく横になるか、無理して起きてるか。仕事がある日の朝であれば、境目はもっとひどい鬱のところにあるわけですが(これは家庭での役割がある人でも同じでしょう)、無職&1人暮らしの今は、上記の状況が分かれ目です。

で、今日も私はこれから「横になる」を選択します。オーディオブックをかけて、寝転がりながら聞くのです。本を読むのは苦痛でも、これなら、大丈夫。最近聴いているのは、ヘイハウスラジオ (Hayhouse Radio) の過去ログをCDに焼いたものです。(今日はDenise Linn。彼女の豪快な、オバチャンくさいおしゃべりが好きです)

ヘイハウスラジオは、英語にアレルギーがなくて、スピリチュアルに興味がある方にはおすすめのネットラジオです。普通のテレビやラジオが聴けない私にも聴けるのです。聴いているだけで元気になれます。(逆に言うと、ネガティブな情報にあふれているから、私はテレビやラジオが苦手なんだと思います。)

オーディオブックは買うと高いので、家にいながらにして、自分の好む情報だけを無料で入手できるポッドキャスティングはほんとに助かります。

また、図書館にも、オーディオブック(朗読CD)はたくさん置いてあるみたいなので、そういうのをコピーして家にストックしておくと、いいかもしれませんね(→これからの私へ)
ライフ・レッスン
発売元: 角川書店
価格: ¥ 1,470
発売日: 2001/11

読んで良かった。知識としても貴重だったけど、なにより感動した。

この本のテーマは、死に瀕した人々から生き方のレッスンを学ぶこと。著者たちは終末期医療のスペシャリストで、死を迎える人々の生の声が、14のレッスンにまとめらている。

この本を読んではっきり分かったのは、「いなくなりたい(生きたくない)」とか言っておきながら、やっぱり「死にたくない」ってことだった!私は「死」なんか怖くないと思っていたけど、それはリアルな「死」を想定してなかったからだ。

そういえば、私が映画が苦手な理由は、銃をいきなり突き付けられたり、血が飛び出したり、おどかす音が鳴るから。それは全部、死への恐怖じゃん!!死が怖いあまりに、死のことをできるだけ考えないようにした、単に自分を騙していただけ。冷静に自分を観察してみたら、「死にたくない、生きたい、生きたい」ともがいてるってことに気づいた。言ってることと本心が矛盾していて滑稽。

やりたいことが何かは、いまだに分からないけど、今動けないのはとにかく「恐れ」のせいだ。生きることへの恐れと、死ぬことへの恐れの両方に挟まれて身動きがとれなくなってるのかも?

でも実際、臨死体験をした人の経験によると、「死は怖くない」らしい。じゃあ、私が恐れているものの実体は何?自分がつくりだした幻影に怯えている?

(死の床にある人は)すぐ目のまえに死がせまっているのだ。その緊迫した意識のなかで、人はどんな行動をとるのか?死の床にある人は敢然としてリスクをおかす。恐れるものも失うものもないからだ。恐れるものも失うものもないことに気づいた瀕死の患者がしばしば周囲の人に、自分は信じられないほど幸福だということがある。人生に不幸をもたらすのは、わたしたちが恐れているもろもろの対象ではなく、恐れという感情そのものなのだ。
ライフ・レッスン 第八章 恐れのレッスンより

そしてここでも、「恐れ」を押し流す力は、最終的には「愛」の力だと説かれている。愛!愛!どの本を読んでも、「恐れ」ではなく、「愛」の行動を選択せよ、とそればかり。私には実感として未知の領域・・・だからこそ怖いのか。

恐れから自由になるには、もっとも恐れていることを行うしかない、、、、どうもそれが真理らしい。対人恐怖を克服するには、安全な場所から出なくちゃ、という気持ちがさらに強くなった。

じゃあ、外へ出て何をするか。何をしたいのか。それが、心の中から出てこない。・・・(何もしたくない)。もし恐れがまったくなかったとすれば自分は何をするだろう?と問いかけても、(何もしたくない)・・・・・・・。これについて、もっともっと、自分の殻を破っていく必要を感じている。たぶん、私、ごくごく小さい頃に、「何かしたいと思っても、自分の思い通りにはならないから無駄なんだ」って、強く思う出来事があったんじゃないかな?その時点から、仮面の上塗りを繰り返してごまかしてきたものを、一枚一枚はがして、本当の自己に辿りつきたい。あ!それが今やるべきことか!なんだか頭が整理されてきた。

最後に、この本の中で一番印象的だった部分を引用して感想終わり。

長年、死の床にある人たちのカウンセリングをしてきたが、「週五日ではなく週六日はたらけばよかった」とか「一日八時間ではなく九時間労働をしていれば幸福な人生が送れたのに」などという人はひとりもいない。誇りをもって仕事の成果を語る人はいるが、そんな人でも人生の最期には、仕事の成果以上のものがあったのだということに気づく。仕事の成果に匹敵するほど充実した私生活がなければ虚しい人生になるということを発見するのである。懸命に労働をしただけでは、ほんとうに生きたことにはならない。
ライフ・レッスン 第十章 遊びのレッスンより

遊びってそんなに重要なの!?私は正反対のことを教わって、それにあまりに素直に従いすぎてきた。小さい頃からテレビも漫画も見ないっていうと「偉いねえ、うちの子はテレビや漫画ばっかりで」って。私は、遊び方を知らなかっただけなのに!というか遊ぶことへの罪悪感で固まっていただけだったのに!
彼のおかげで私は元気になったけど、彼が体調をくずしてしまった。つまり、彼は文字通り「ヒーラー(癒し人)」になってくれたのだと思う。私を癒す過程で、私が持っていた負のエネルギーを、彼は自分に取り込んでしまったんだろうなぁ。(エネルギー保存の法則?)

いつか、私が彼を癒す側にまわりたい。でも、今日と同様、私が彼の負のエネルギーを取り込んでしまうのでは、交換しているだけで、全体として意味がない。

これは、人間関係全般にも言えると思う。人の愚痴を聞くと、その人は吐き出して元気になるみたいだけれど、自分は何か重い荷物を背負わされた気分になる。

「ヒーラー」とか「カウンセラー」など、仕事として人を癒している人たちは、クライアントの負のエネルギーをどう処理しているんだろう???
昨日、「何もしたくない〜だるい〜ずっと寝てる〜」と言っていたら、夜、彼が焼肉の材料とミスドを持って見舞い(?)に来てくれた。

彼が来てくれると、私は元気になる。まるで冬の日の太陽のような存在。ギラギラ照りつけるわけじゃないけれど、そばにいるだけで、心がぽかぽかしてくる。おかげで私は回復。

なのに!朝起きたら彼が風邪ひいてた。私のをもらってくれちゃったみたい。。。。。。あぁ、彼の風邪が早く治りますように!

ありがとう×1万回。
何もしたくないお化けが、忍び寄ってきているのが分かる。
何もしたくないー
何もしたくないー
何もしたくないー

スピリチュアル系の本をもっと読みたいという思いのカケラがまだ残っているから、なんとか持ち直せるといいな。
分かってるんだ。ゴーサインはもう出ている。もう、外に出る準備はできている。
今やっていること=スピリチュアル系の本を読むこと、は現実逃避に過ぎない。分かってる。

でも・・・(という理由についてはあえて考えないが)
ただ私は今したいことをするだけ。
今朝9時、元上司からTELがあった。恐怖でかたまってしまい出なかった。別にその上司と揉めて辞めたわけではないけれど、あの会社に戻る気はもうなかったから・・・・・・

それで私のとった行動は、寝逃げ(爆)  おかげで悪夢みたいなものを延々見た。

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13時頃、かけ直さねば、と思い、頭の中を整理し始めた途端、またかかってきた。(偶然とは思えないw)

出てみると、なんと、在宅の仕事の紹介だった。。。派遣社員の身で、派遣先の元上司から他社の仕事の紹介(笑)なんてありがたいことだろう。

でも在宅は今は眼中にない。だから正直な気持ちを話して断った。すっきりした〜。

午前中の寝逃げしていた時間がもったいなく思える。恐怖はこのようにして、私を動けなくするんだな、というのが実感できた。それに、仕事について、(強制的に)具体的に考えることができて、本当に良かった。やはり、「早く仕事につけ」という暗示なのか?
タグ: 仕事
体調記録ノートによると、ちょうど1週間前から風邪気味が続いている。あくまでも「気味」なだけ。でも躁ならね、そんなの吹っ飛ばせるはずなんだ。

なのに、ここ数日、布団から出るのが億劫。(寒いからじゃないよ)今日なんて、喉と頭が痛いからもうちょっと・・・とか寝てて気づいたら16時だった。これはまずい徴候だ。視界も暗くなってきてるし。

魔法が、切れかけてる・・・
わたしの「普通」の状態はどこにあるのだろう・・・
スピリチュアル・ガイド (2)
スピリチュアルガイド〈2〉
ドリーン バーチュー (著)


もともと、Angel Therapy(邦訳:エンジェル・セラピー)という1冊の本を、文庫化するときに2分冊にしたPart 2の方。Part 1 のほうは天使のメッセージをそのまま掲載していて、あまり馴染めなかったので、「天使入門」といった趣のPart 2を先に読むことにした。

天使に関する具体的なお話は、はじめて知ることばかりでとても興味深かった。私はずっと、天使が実在するという前提で生きてこなかった。キティちゃんと同じような、キャラクターの一種、という認識で。でも、この本を読んで、もしかしてあれが天使だったのか!?って、私にも思い当たることがあった。

かなり前、「願えば叶う」という記事に書いたけど、2005年の3月頃、頭にリンリンリーンと鐘みたいな音が響き渡って、新しいアイデアがわき出してきたことがあった。その頃からまさに「別の頭脳を手に入れたような」変化が起こって、それまでできなかったことができるようになった。(今、下手くそながらも何も見ずに料理ができるのはそのため。それまでは手順が覚えられなかった。発達障害を疑ったくらい。)

あれはまさにドリーンさんの言う「突如ひらめいた素晴らしいアイデア」だった。天使は非常に高い周波数のエネルギーを発する云々、の天使とコミュニケーションを取っているときの特徴とも似ていたし。頭がキーンてなる感じ。

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また別の話で、この数年間、自分の直感に従って目指してきた行動がすべて、天使とコミュニケーションをとりやすい環境づくりにつながっている!!っていうのはびっくりだった。アロマセラピー、掃除、クラシック音楽(ヒーリング音楽)、水晶・・・・・・知らず知らずに、天使の声を受け取りやすい方向へと、行動を変えていたなんて。「とても偶然とは思えない」^^

その他にもいろいろ気付きがあったが、今の自分にとって、一番強いメッセージとして残ったのが「天使とのコミュニケーションのいちばんの障害になるのは恐れや疑いの感情」ということだった。ここでも「恐れ」を捨て、「愛」に生きることがキーワードになっている。

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「恐れ」といえば、まだスピリチュアルな世界への恐れがあることを、自分が一番よく分かっている。自分が天使と意思疎通できるような「そっち系の」人間になることに、憧れと恐れを同時に抱いているような感じだ。

とりあえず、今の時点では、天使と会話できること、は私にとって目的ではない、と思う。でも、社会復帰への恐れを取り払うのに、天使と繋がることが役立つとしたら・・・・・・?私はまだ迷いの中にいる。
ハロゲンヒーターの横で、バランスボールを椅子代わりにして読書をしていた。どこからかジーッという異音がしてきたので、確認に席を立った。

音がしなくなったので戻ろうとした瞬間、バシッという音とともにバランスボールが破裂。私が立った反動で転がり、ハロゲンヒーターに接触してしまったらしい。
さようならバランスボール

さようならバランスボール。今までどうもありがとう。
A・NO・YO (あのよ) 2006年 12月号 [雑誌]
発売元: 新潮社
価格: ¥ 1,000
発売日: 2006/11/06

付録の、講演会のCDがとても良かった。江原さんの数々の著作、「人はなぜ生まれいかに生きるのか」や、「スピリチュアルな人生に目覚めるために」や、「江原啓之のスピリチュアル子育て」(←これは私は読んだことがないけれど触れられていた)などのエッセンスを、ギュッギュッギュと詰め込んだような、中身の濃い講演。やはり、本で読むよりも、言葉で聞くほうが、心にダイレクトに伝わってくると思う。聴衆の中心は30代以上の女性らしく、親子の関係、お姑さんとの関係に関する辛口の冗談も飛び出しつつ。

江原さん講演会CD
CDのデザインも私好み♪

1000円で講演会CDを買ったと思うだけでもすごくお得な雑誌だと思う。

雑誌自体は・・・、やはりいわゆる「エハラー」なミーハーな方へのサービス色も強いので、全部が全部気に入ったわけではないけど、面白い記事もいくつかあった。

たとえば、二十年来の友人の小島養厳(ようげん)さんという方から見た江原さんの姿(メイキング・オブ・エハラ[名もなき若者だった頃])などは、今まで江原さんが自伝的に語る一人称の書籍しか読んでいなかった私にはとても新鮮に映った。

江原さん自身のコラムの中では、「がん患者との対話」が心に残った。(難病にかかっていて死の恐怖と闘っている方へは本当に申し訳ないけど、私には、死への恐怖という感情が分からない。死を真剣にみつめることで、生を輝かせることができる・・・。「まだ死にたくない」、と思える、自分の人生を創るのがこれからの課題だと思った)

あとは、江原さんのレビューつきの、映画、本、音楽各10選が参考になった。
先日、「自己分析で自己を確立する」(オーラの泉での美輪さんの話)が腑に落ちない、と書いた。その件に関して、思考の途中経過をメモ。

今のところ、私はなぜ生きているか分からない。やりたいこともない。このまま死んでしまえばいいとすら思っている。苦しいのや痛いのがいやだから死なないけれど。積極的に生きる気にはまだなれていない。

「私」はなんのために生きているのか知っているはず

私が理論としてスピリチュアリズムを理解したところによると、「この時代の、日本の、この地域に、女として、こういう顔立ちで、こういう家族の中に、私は生まれてきたい!」と強く思わなかったならば、今の私は存在しない。

つまり、「私の人生」はnecoxだけのものじゃなくて、無数の前世の私の思いが込められているわけだ。「生まれ変わったらこうなりたい!」と強く思った、ウン百人分(?)の人生の結果が今の「私」なのだ。

今まで自分の前世や来世は、自分とは全然関係ないことのように思っていた。自分を肉体だけの存在と考えるとそういうことになる。でも自分を魂の存在と考えると、前世も来世も「私」の一部だ。necoxの肉体はいつか死ぬけど、それでも魂はなくならない。今私が自ら命を絶ったところで、来世の私がまた同じ課題を乗り越えなければならない。だから、自殺には全然意味がない。今私がやるべきは、死を考えることでも、無気力でひきこもっていることでもなく、necoxとして生まれてきた目的を果たすことだ。

主体性のない私

上記は今のところ机上の空論である。実際は、「なぜ生きなくちゃならないの?」「何もやりたくないよ」と思っている私が今ここにいる。「主体性がない」という言葉こそ、今の私を最も的確に表す言葉だと思う。(美輪さんの”自己の未確立”と、私の中では同義)

「主体性がない」今を創ったのは私、necoxである。もし私が先天的に主体性を持たないならば、そもそも生まれてきていないから。つまり「主体性のなさ」は、necoxが学習して身につけた、後天的なものでしかない。確かに親の躾けは私の主体性を奪うやり方だった。でも、その親をわざわざ私自身が選んで生まれてきたんだから、すべて私の責任である。

27年間、「主体性なく」生きてきた。そのおかげで、主体性を持たない(=自分を持たない)ことの苦しみがよく分かった。だからこそ、人目を気にして外面を作り上げている人の苦しみを理解することができる。簡単に人に「もっと自信持ちなさいよ」とか言わない自信がある(笑)もう充分分かったから、私はこの「主体性のなさ」を卒業したい。

自分をみつめる

じゃあ、どうすればいいか?それには、美輪さんの言うように自己分析しかない、とあらためて思う。「自分らしさ」とは何なのか。

江原さんは人生を料理にたとえていた。素材が「宿命」で、持って生まれたもので変えられないけれど、調理法である「運命」は自分次第でどんな料理にでもできると。おいしい料理をつくるには、まず、じっくり「素材」を観察しなければ駄目。

私は外ばかり見ていたような気がする。たとえば自分は大根だとして、かぼちゃの甘さだとか、トマトの派手さに劣等感を感じ、それを目指そうと、すっごく頑張った。「色鮮やかな野菜って素敵♪」なんて情報が耳に入ってくれば、もう表面に赤い着色料とか塗っちゃって、人参を装う勢いで。だから、自分がなんなのか、分からなくなってしまったんだ。それが「自己が確立されてない」ってことだし、「自分を愛せない」ってことでもある。

もう一度、自分の本来の姿を「思い出す」ことが必要だ。人に聞いても、本を読んでも答えはない。着色料とか香料とか染料とか、自分が塗りたくったものを剥がしていけば、自分の中から「私はもともとこうなの」「○○をしたくて生まれてきたの」っていう答えが出てくるはずなのだ。

美輪さんがおっしゃっていた「自己分析」って、そういうことだったのかな、と思う。

さて、具体的な方法は?思考継続中。