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柳は緑、花は紅

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Joshua Treeにする前から始まってる変化だけど、Joshua Treeを摂りはじめてからさらに強まった性質・・・それは、「自信」。自分の中の叡智を信じること。今それが少しずつできるようになってきてる。

以前コメントでギフテッドっていう言葉を教えていただいたのが大きなきっかけだった。私は学校では勉強しなくてもできてしまう人だったけど、ずっと、その才能らしきものを肯定的に捉えることができていなかった。

成績いい人って、もうそれだけで自尊心満足されてるからケアなんて必要ないでしょうって思うかもしれないけどとんでもない。特に私みたいに得意分野と不得意分野の差が激しくて、対人面に弱点がある場合(空間認知も弱い)。勉強「は」できるのに、友達いないとか、どう雑談していいか分からないとか、「普通のこと」ができないのって、ものすごく自尊心損なうんだよね。

自分の本当の考え(たとえば、こんなの簡単じゃん、とか、なんで理解できないのか分からない、とか)をそのまま言うと嫌われるから、下手な謙遜癖をつけてしまった。つい自分がたいしたことできないかのような嘘を言ってしまう。学生の頃は、それでもデータでは明らかだったけど、社会に出たら、客観的な指標なんかないんだから、はったりでも「できる人」だと思わせなきゃいけないのに。。。。

これまでずっと、得意な方の能力を自分で否定しつづけていた。それを利用はしても、その分野を伸ばすことを積極的にはしなかった。いつも私の関心の中心は、不得意分野の克服だった。

最近、私は、ギフトを喜んで受け取る、という練習を始めた。

だけど自分の才能を表現し、同時にそれで他の人を傷つけない方法がまだわからない。私ができることを言うと、人がプライドを傷つけられたみたいな顔をする・・・。そういう言い方になってるんだと思う。いまさら恥ずかしいけど、傷つけるかもしれないけど、練習するしかない。「生身の自分」を出す練習。

変化することって、思ったよりも、大変な道だった。でも、今までとは明らかに違う風景が開けてきてるから、とにかく歩いていこうと思う。
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金曜日に仕事で失敗した。失敗とは他の人に思われてないかもしれない程度の失敗。だけど原因が、私の勘違いコミュニケーションにあったから、私の中では「重い罪」。

小さい頃から、私は口頭で指示を受けるのが苦手。言葉を「文字通り」にしか理解できないのが問題みたい。だから、学校でも指示が全部聞き取れないと、まったく何をしていいか分からず動けなかった。すると先生は呆れて私に指示するのをあきらめた。

言外の意図が汲み取れず、他の人はみんな分かってるのに私だけ理解してないことが本当によくある。1言われて、私だけ0.6くらいしか理解していない感じ。

そういう私が今、チームのマネージメントみたいなことをしていて正直、自分が間に入ることで、仕事の流れを阻害しているとしか思えないことがよくある。私が「普通の人」なら分かってるのに、私だから分からなくて、情報をゆがめてしまう。会社にとっても私は迷惑な存在だし、私にとっても、失敗しやすいと分かっている苦手なことをしてわざわざストレスを受けるくらいなら、仕事辞めたほうがいいんじゃないか、、、とか。

でも今ちょっとふっきれた。私がいることで会社に不利益になっているから私が会社辞めるべきとか、それは上司が判断することだ。私を今のポジションに置いてる上司が悪い。私は考える必要がないことを、わざわざ、好き好んで、考え続けてる。なんてもったいない!

苦手なこと、嫌いなことについて費やす時間は少ないほうがいい。だから、家に帰ってまでそのことぐだぐだ考え続けるなんて論外だ。
今日人事の人に仕事振りを褒められて、嬉しかったけど調子が狂う。一体なんなんだろう。私は細かいこと指示しなくても安心して任せられるんだとか。真逆なんですけど。細かいとこまで指示してもらいたいタイプなんですが!(でも今の会社ではそれだといらない人になってしまうので、おっかなびっくり自分の考えで行動してる・・・・・・)

どれだけおっかなびっくりやってるか、っていうの、本当に伝わってないのだろうか。それともあえて自信を持たせようとして褒めるのだろうか。上の人というのは・・・・・・

自己像と、たまに伝わってくる他人の私への評価の開きがありすぎる。いろんな人がそういうと、私の評価のほうが間違っているような気がしてくる。自己像が歪んでるということ?私の「私はできない」は嘘なの?


でも確かに、前、全部細かいところまで指示される会社で私はつぶれたんだよな・・・・・・それはそれで楽なようでいて、私には、本当は、向いていないのかもしれない。
初めてのテントによるキャンプ&バーベキューは成功。すごく楽しかった。蛍も見れた。来週がますます楽しみ。

でも、また、いつものことをやってしまった。キャンプ場に行く途中のバスの中に貴重品全部入ったポーチごと置き忘れたらしい。現金は全部抜かれたけど、それ以外は警察に届いてたから助かった。

こういうときにガミガミいわない彼の性格は本当に尊敬する。わたしが一番自分に呆れてて落ち込んでるのに、さらに怒られたらやりきれなかっただろう。

置き忘れは小さい頃から日常茶飯事だった。もういちいち覚えてないくらいたくさん。前は自分がぼーっとしてるのがいけないんだと当然のように思ってた。人はそう言うし。

でも、今は、注意力が不足してるっていう私の特性が悪いほうに出てしまっているだけで、視力が弱いのと同じように、自分を責める筋合いのことじゃないって思うようになった。

悲しいけど、本当に、十分すぎるほど注意しているのだ。忘れ物してないかいつも緊張して、しつこく確認してる。でも忘れてしまうときは、意識が別のところに飛んでしまっているときだから、いくら緊張したって気をつけようがない。。。

普段は、モノの持ち方を工夫することで防げるようになってきた。(具体的には荷物をできるだけ1つにまとめる)だから、アウトドア用の、置き忘れない持ち方をこれから工夫すればいいだけ。おやすみなさい。
PCの中から、2003年4月時点のメモ書きが偶然出てきたので追記に。

当時通っていた精神科では、アスペルガー症候群の疑いあり、と言われていた。これは、知能検査とロールシャッハの結果を聞いた日のメモ。(知能指数などの具体的数値は個人情報なので削除。)

その後、某大学病院で脳波を測定したとき、脳波の用紙にはslightly abnormalと記されていた。でも、他の検査も含めて総合的に判断すると、「発達障害の範疇には入らない」との診断。それを受けて、私は、自分が発達障害かもしれない、というアイデアを自分の発想から抹消した。

当時できなかったことが、ここ2年ほどで続々とできるようになってきている。だから、こういう検査を今やったら全然違う結果になるかもしれない。
タグ: ADD
そろそろ運動を考え始めています。ダイエットのためではありません。なんせ1日の大半を寝て過ごす生活を1年近くやってきているので、フルタイムの仕事に入るためには、どう考えても体力が持たないと思うからです。

ただ、どうやって体を動かすかが、なかなか難しいのです。ウォーキングもいいけれど、外へ出るのが怖い症状が強いときはストレスになるし。雑誌やWebなんかに載っている体操をトライしてみたこともあるのですが、動きをイラストで示されていても、私には複雑すぎて真似できない、覚えられない・・・これもストレスです。

私は「動きを真似すること」が子供の頃から苦手で、体育の時間は最悪でした。お手本を見ても、一度に覚えられる映像の1コマが小さいというか・・・ちょっと複雑な動きになると覚えられないので・・・オロオロしているうちに、授業が進んでしまいます。体育の通信簿はいつも「2」でした。

そんな運動音痴で複雑な手順が覚えられない私でも「ストレスなく」(←これポイント!)習慣にできるような、室内でできる体操法を今探しています。今のところ候補は、「真向法体操」と「ゆる体操」です。

1週間ステップアップ「ゆる体操」」という本が昨日借りられたので、1週間ためしてみようと思います。今日は2日目ですが、今のところ、私にも無理なくできる超簡単な内容で安心しています。

1週間後、ちゃんと続けられていたらまたレポートしようと思います。その後は、「真向法体操」にトライするつもりです。
土曜日、本当に久しぶりに彼と映画館に行った。「硫黄島からの手紙」。LUMBER ROOM: 戦争よりは~を読んで、どうしても観たくなったから。

戦争映画だけど、悪趣味な演出がなくて、私にも最後まで見ることができた。うん、最後まで座って見ることができた!感想はそれにつきる。

でも、内容はよく分からなかった。登場人物の顔の見分けがほとんどついていなかったから・・・。最後の方でやっと顔と名前が一致してきて、その頃には、みんな死んでいってしまった・・・○| ̄|_

後で彼と感想を話し合っていて、私が、ストーリーをちゃんと追えてない、ってことがはっきりしてしまった。えっ、私そんなの見てないよ、えっ、あれがそうだったの!?とか・・・とても同じ映画を観ていたとは思えない^^

そういえば、私、映像(動いているもの)を理解するのが苦手だったんだと、久しぶりに思い出してしまった。最近、のだめカンタービレ楽しんでるけど、のだめは、登場人物が外見も動きも特徴ありすぎだもの。(だから私にも楽しめるのか!)

もともと、私が心療内科という場所を初めて訪れたのは、発達障害を疑ってのことだった。でも、何年か前、発達障害の範疇ではありません、っていう診断がついて、それから忘れることにしたんだった。不得意なこと。

得意なことと不得意なことのバランスが取れていないこと、ものすごく苦痛だったんだっけ。久しぶりに思い出して、今重い気分だ。でも、これはサインだと思おう。自分の得手不得手を、もう一度、棚卸ししてみなさいっていう。これは、得意なことを活かせる仕事に就くための大事なステップかもしれない。
タグ: ADD 仕事
「本能に忠実に。やりたくないことはやらない。心からやりたいと思ったことだけやる。」をモットーに、これまでずっと寝て過ごしてきたわけですが、今朝寝られたのが朝4時頃で早くも10時には眠っていられなくなりました。やっと寝るのにも飽きたのかな?(嬉)

それから掃除、1時間くらいやった。(掃除はここ数ヶ月やらなくちゃ、否、やりたいと思い続けていること。)けどもう燃料切れ。見回してみると、本や書類の山を、積み替えただけだ。。。どうやったら片づけられるんだろう。

あくまでやりたくないことはやらない、が重要なので、今は横になります。。。。。。。次に動きたくなるのをじっと待つのです。
最近、「願えば叶う」と心から思う。小さい頃からの夢が最近叶ったからだ。私の夢は「人が怖くなくなること」だった。一生叶わないのではと思っていたから、まさか20代のうちに叶うなんて、と最近嬉しくてしょうがない。(←追記:すぐ後で早とちりであることが分かります・・・

今思えば私の人生の20代前半までは、自分の「できないこと」にとらわれている間に終わったなあ。「できないこと」がいつも私の人生の邪魔をして、まさに自分との闘いだった。他人とのことなんて見えちゃいなかった(笑)

Amazon.co.jp:片づけられない女たち: 本「片づけられない女たち」を読んでADDという概念に出会ったときは、自分が「できない」と長年思っていたことをすごくうまく説明してくれたと興奮したものだ。私はこれだ!って思った。

でも、大学病院で検査を受けて、ADDではないと言われた。こんなに当てはまってるのに、と納得いかない気持ちはあったけど、「普通の人間」として生きていくことを決意した。そうしてもがいているうちに、この2年間で、「できない」ことが1つ1つ「できる」に変わっていった。

去年の3月ごろ、同僚の海外体験談を聞いている途中、頭の中でリンリンリーンと鐘の音が鳴り響いて、それまで思ったことのない思いが噴き出してきた。嘘みたいな話だけど本当に。

私が知っている世界だけが世界じゃないんだ、海外へ行ってみたい!って思った。

物心ついた頃から、「普通」になりたいと願っていた。「普通」じゃないと変わり者扱いされるから。だから「普通」を想像して演技する生活をずっとしていた。だけど、私が想像している「普通」は、海外ではまったく違うのかも?じゃあ演技している意味はナニ?って思った

それまでできなくて、その頃からできるようになったことがたくさんあった。頭の中のつながっていなかった回路がつながったような感じだった。抜けていたねじがはまったのかも(笑)

たとえば、考えながら話をできるようになった。それまではある話題で話している最中に、何か別の話題を思いついても、メモしておかない限り覚えておくことができなかった。その結果、まとまった話をすることができなかった。でも、その頃から、「ああこれは後で話そう」などと覚えておけるようになったので、話を取捨選択したり、順番を考えたりして、まとまった話をできるようになった。

それから、時間の感覚がかなり分かるようになったのだ。10分くらいとか15分くらいとか・・・の感覚が分かるようになった。(遅刻魔なのは変わらないけれど。)

まるで別の頭脳を手に入れたみたいで、自分でもびっくりしたなあ。

でも一番びっくりしたのは、「朝起きるのが辛くない」なんてことがあり得るんだ~!!!!ってことだった。その頃、その感覚を初めて味わって、信じられないような気持ちだったなあ。

「普通の人は、もしかしていつもこんな気持ちなんだろうか。毎日がこれならなんて楽なことだろう。ずっと重苦しい、逃げ出したいような朝に耐えてきた私は、怠けものなんかじゃなかった」って思った。あまりに感動したので、その頃日記はつけていなかったのだが、どこかのノートの片隅に感想を書きなぐったことを覚えている。どこにいってしまったのだろう。もし見つかったら、今度こそ忘れないように、このブログにアップしたい。

それから、ずっと軽い朝を迎えていたわけじゃない。重苦しい朝の方が多かった。それでも、「できるようになったこと」はなくならなかった。そして、約2週間前、2回目の劇的な変化が起こった。人が怖くなくなったのだ。

この2回の変化で、「できること」が格段に増えて、あらためて、私が発達障害ではない、という診断は正しかったのだと思う。

その頃できなかったのは確かだし、それがどうして急にできるようになったのかは分からないけど、「できるようになりたい」、と執念のように願っていたことは、本当にできるようになったのだ。

だから、「願えば叶う」って今心から思う。どれだけ時間がかかっても。どれほど不可能に思えても。
昨日、2003年12月から2004年2月くらいまでマイぷれすという日記サイトで書いていた分を、このFC2ブログにインポートした。

マイぷれすをやめたのは、検査で発達障害の範疇に入らないと言われたのが大きかった。あの頃の私のアイデンティティ=「発達障害かも?な私」だったから、続けるのが気恥ずかしくて、とんずらした形だ。

あれから2年。ADDのことなんてすっかり忘れてしまっていた。忘れられてよかった。ADDを忘れたきっかけは、仕事を始めたことと、離婚と、新しいパートナーとの出会いかなあ。

仕事を始めて、多少の遅刻は許される会社があることを知った。さらに、派遣なので、仕事の内容を自分で選べるのがありがたかった。対人恐怖的な恐怖があるのは避けようがないことだったけど、それを除けば、私の苦手なことはほとんどしなくてもいい仕事に就けたと思う。

今思えば、新卒で入った会社は確かに厳しかったけど、私も世間知らずだった。その会社だけが私にとっての「社会」だと思って、その会社に適応できない私はどこにも行き場がないように感じたのだ。


離婚したので、自分で働いてお金をもらわなきゃ路頭に迷っちゃう!それで多少のことではへこたれなくなったなあ。その中で、自分が欠点と思っていることを人はそれほど見ていないことも知った。

でも、一番大きかったのが、年上の大らかな彼との出会いだった。彼は本当に心が穏やかな人で、多少のことでは動じない。些細なことは気にしない人なのだ。

私が時間にルーズでも、家の中がぐちゃぐちゃでも、ごみが1ヶ月捨てられなくても、1週間お風呂に入れなくても、気にしない人が存在するんだってことは驚きだった。(自分はちゃんと整理整頓もするし、お風呂も毎日入る人なのに、なぜ私がやらなくても気にしないでいられるんだろう????ただ彼の大らかさに甘えさせてもらっているだけで、本当は我慢しているの?)

そういう大らかな彼と一緒にいるうちに、自分のADD的素質について悩むことがほとんどなくなっていることに気付いた。

びっくりした。風呂上がりに今日の記録としてのブログを書いていると、携帯が鳴った。ADD&ADHD (注意欠陥障害、注意欠陥多動性障害) のさくらいクリニックからの電話だった。

ここに予約を入れたことを覚えているかと聞かれた。忘れるわけはない。予約を入れたのは2001年の終わりか2002年の初め頃だ。初診の予約は混み合っていて、7年後(?)しか取れないと言われたが、溺れる者は藁をもつかむ心境で、それでもいいといい、2008年12月の予約を入れた。

あとで冷静になって考えて、そんな先の予約が効力があるか怪しいものだから、体の良い断り文句だったのかと思い、その予約のことは一切忘れていた。

そして今日いきなりの電話である。なんでも、ついに初診予約が10年待ちの状況となり、システムを変更したとのこと。初診は今後受け付けないことになり、これまでに初診予約を入れた人、1人1人にまだ受診の意志があるかどうか確認の電話をしているというのだ。500人くらいいるらしい!(いくらなんでも問題に気づくのが遅すぎないか!?)

とはいえ、10年待ってでもいいから予約したいという人もたくさんいるという。気持ちはよく分かる。かつては私もそう思っていたから。でも、4年も経った今も状況が変わっていないらしいことには驚いてしまう。ここ数年でADDについての記事などを見かけることも多くなったし、てっきり病院不足の問題は解消されてきているのだと想像していたが。

電話してきたスタッフはいい人で、私が発する質問に丁寧に答えてくれた。いわく、病院が少ない状況で、この病院だけが門戸を開いてしまったために、患者が殺到して収集がつかなくなったとのこと。

まあ、無理もない。あの本を読んでADDのことを知るような世代の女性はインターネット使っている確率が高い。今でもそうか分からないが、4年前は、不用意に病院名を公開すると病院に迷惑がかかるとして、普通はADDを診てくれる病院名をネット上で流すことは自粛すべしという雰囲気だった。私もいくら探しても見つからなかった。



今回、診察を希望するならば、早ければ来週にでも予約を入れることができるという。今すぐには決められないので、少し考える時間をもらうことにした。

セカンドオピニオン的に利用してもよいということなので、一度話を聞くだけに行ってみようかなとも思う。それですっきりしそうな気がするから。



こんな時????人生のステップを1つ乗り越え、心が整理された時????にこの電話がかかってくるなんて、なにか運命のようなものさえ感じる。ADDは私にとって完全に過去の汚点、思い出したくもないものだった。

ADDと出会ったのは、2001年。

片づけられない女たち
片づけられない女たち
サリ ソルデン, Sari Solden, ニキ リンコ

を本屋で手に取ったのが始まりだった。私のことが書いてある!と興奮し、”ADD信者”になった。私の人生はあの時ADDという概念と出会ったことで劇的に変わったと思っている。いい意味でも悪い意味でも。初めて心療内科の門を叩いたのがその時だったし。

その後、大学病院で精密な検査(脳波、心理検査など)を受けて、私はそうではない、という結果が出て以来、普通の人間として生きていこうと決心し、それ以来、発達障害のことは忘れることにした。

最初は大変だったけど、今の彼との出会いもあって、徐々に「自分は普通の人間だ!」という自覚や自信が出てきた。今思えばそういう病名(レッテル)に飛びついた過去の自分が恥ずかしい。

もしかすると、そういった過去を清算すべき第二の転換点に来ているのかもしれない。そうだ、今ならもっと客観的に自分を分析できる。これは、過去の日記なども参考にしながら、少し時間をかけてまとめていこうと思う。

今日は時間療法4日目で、当初の予定では17時に寝る予定だったが、今日書いておかなければならないことは書いてから寝よう。
今は何もかも中途半端な自堕落な生活。今日も何もできなかった。2ヶ月前から持ち越している懸案事項を片付けるはずで、あえて何も無い寝室にノートPCを持ち込んでいたのに、どうしても始められなかった。

先延ばしにするのは、ADDの特徴の1つらしいけど、やっぱりそんなのは強引に自分をあてはめて考えているだけで、ナマケモノでしかないんだって思う。何もできなかった一日の最後はいつも落ち込む。

これを繰り返すのがいい加減馬鹿らしくなってきた。やっぱり診断名がほしい。もしこの自分のいい加減さが障害だと診断されれば、自己嫌悪に陥ってさらに何もできなくなる悪循環から抜け出せるかもしれないのに。

できるときとできないときの私はまるで別人で、できるときはできないときの気分を理解できない。できないときの私は、できるときの自分に必死に近づこうとするんだけど途中で座り込んでしまう。きっと怠けているだけ、意志が弱いだけ。

(トラックバックの実験を兼ね(^^;)
らんらんらんさんが、障害者としてのカミングアウトについて書かれていて、昔の失敗したカミングアウトのことを思い出したので書きます。

(私は”診断済み”の人間ではないし、近いうちに診断が下るような予定もないので、こういう話題は筋違いなのかもしれません。でも気持ちとしてはすごく近いものを感じます。)

最初・・・この”障害”っていう切り口を見つけた時、診断名がついて、人から配慮してもらえるんなら楽になれるって思いました。で病院に行って、トンデモ医師(過去日記のほうに書く予定(^^;)に「あなたは間違いなくADD(注意欠陥障害)です」って診断されて、興奮して衝動的にカミングアウトしてしまいました。

上司や人事の人に話したら、一応話は聞いてくれるんだけど、薄ら笑いを浮かべているんです、困ったような笑い。一番かばってくれた上司にも「(病気じゃないのに)病気になりたがっている」みたいに言われて、私は情けなくてしょうがありませんでした。でも、今ではそれが「普通の人」の「普通」の反応なんだって分かります。

それまで普通の人として見られるために、当たり前のようにできないことはごまかしつつ会社に行けていた私が、いきなり「障害のせいでできません」って言いはじめても、会社の人から見れば単なる逃げ、言い訳にしか取ってもらえないだろうということは、今なら分かります。

ニキ・リンコさんが「軽度障害と障害の証明義務」(http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/shoumei.htm)で書いておられるように、自分が障害だってことを説明するのって、本当はすごく難しいことで、私が衝動的にやってできるようなことじゃなかった。

下手にカミングアウト失敗すると損することばかりだと実感しました。もちろん、うまくカミングアウトすれば、職場に配慮してもらえる環境を作ることがもしかしたらできていたかもしれないけれど・・・・衝動的で、他人の感情を読むことが苦手で、計画的じゃない私にはとても難しいこと。特に知識もなかった2年前、そんなことができたはずはなかったのです。

私は、人より時間をかけて、どうにか普通に見えるように頑張ってきたから、きっと普通に見える。だから、今は「普通」の仮面をかぶっていくことを頑張りたいなあというのが今の気持ち。

カミングアウトの負の面はいっぱいあって、それに傷つかない自分になれればいいんだけど、なまじ一流大学卒の肩書きがあったりするから、そういうプライドも捨てられないんだと思います。悲しいけど。

ひきこもりで考えが甘くなってるのかもしれません。幻想かもしれないけど、自分には人よりできる(or 「できた」)ことがあるっていう部分を今は追求したいなあと。それを使って、普通の人と同じ土俵で働きたいなと思うのです。

2001年ごろ

片づけられない女たち」を書店で手にとってざっと立ち読みする。トンデモ本の一種だと思った。そんな、部屋を片付けられないことや約束を忘れてしまうことが、神経系の障害だなんて笑止千万だと思った。これが本当だったらいいなあ、という希望も少しだけ持ったけど、こんなのを信じていたら自分がダメになると思ってあえてバカにした。

同じくごちゃごちゃの部屋に住んでいるという噂だった同僚に、「片付けられないのは、なんかの脳の障害っていう説があるらしいよ~」って冗談混じりで話した覚えがある。

それ以後、半年くらいこの本のことはほとんど忘れていたし、買うこともなかった。

どうしても”障害”という視点から考えていると、できないことばかりあげつらってしまいそうになるんですが、できることもあるので書いておこうと思います。

一応、言語処理系が得意みたいです。学校の教科的に言うと英語と国語。っていっても、今書いている文章ときたら、だらだら長くて読みにくいし、ウソ!って思われても仕方ないですね(^^;言い訳になるけど、今まで「専門バカ」は恥ずかしいことだ、と思ってきて、大学入学以降、できることはやらないようにしようっていう方向でずっときたんです。日本語力を磨く努力をずっと怠ってきたので、もしかしたら年齢相応の文章さえ、もう書けてないかもしれません。

今思えば、言語を扱う学部に行ってたら、大学にちゃんと通えてたのかな、とも思うけど、一回挫折してみないと、自分が「できない」ということに気付かなかっただろうから後悔してません。

そう、大学入学までとんとん拍子でいっちゃったから、自分の問題に気付くのが遅れたんです。なぜとんとん拍子だったかっていうと、英語と国語がずば抜けてできたから、それだけ。理系科目は全然できないんだけど、文系の私には全く関係なかったのです。

人間関係の能力がかなり人より劣っているな、というのは自分ではちゃんと分かってました。それを指摘してくれる人もいました。「子供っぽい」とか「赤ちゃんレベル」、「温室育ち」などという言葉で。けれど、成績が一番重視される進学校では、たいして問題とされなかったのです。

自分の中では、今と変わらず一番大きな問題でした。例えば世間話をどうしたらいいか分からないこととか、人に話しかけるときにはなんという言葉で始めるのが「自然」なのか、とかそういうことが毎日問題だったけれど、基本的には机に座っているだけで「普通」と認めてくれ、成績が発表される時には優越感さえ感じることができる、理想的な環境でした。

プリントは小学校の時に教えられたやり方をそのまま使って整理してたから「片付けることができない」ことにも気付かなかったし(今思えば、周囲はすでに自己流のプリント整理法に変えていた・・・)、学校では時間割が最初から決まっていて、鐘の鳴るのに合わせていればよかったから、時間管理ができないことにも気付かなかった。今思い出してみれば、すでに小学校の時から宿題が出せない、という問題があったのだけど、あまりに成績が良かったので出さなくてもあまり問題とされなかったのです。




変な話、知能指数的にはかなり高いらしい(?)1年位前、自分の「知能」が気になった時期がありました。だって、頭悪そうに見えるらしいし、自分でも、私ってすごいバカだって思うことのほうが多いんだもの。それでも、テストとかやると、これができちゃうものだから、頭いいのか悪いのかどっちなんだ~!って。

それで知能指数をはかるテストを受けて、結果的には結構いい(トップレベルではなかった)らしいんだけど、あれでは私の知りたい”頭がいい”かどうかは測れないや、というのが受けてみた感想。だって、歴代の総理大臣を何人言えとか、漢字、熟語のテストとか・・・・あんな内容だったら、私が高校の時受けてたら、天才的!って診断されるはず。知識面ならほとんど間違えなかったはずだし、テスト慣れしてたもの(ちょっと自信過剰?)



あと、音に敏感です。絶対音感なんてとても言えないけど、幼稚園のときエレクトーンを習いはじめて、その時「聴音」って言って、適当な音を鳴らしてどの音が答えるテストをやったら完璧だったので、推薦されて?都市部のちょっとだけ専門的?な場所にピアノを習いにいっていました。

でも。音に敏感なのと、音楽的感性があるのとはまた別で、確かにピアノは技術的にはそこそこうまかったんだけど、どうしても好きになれずに中学校でやめました。さらに、少しオンチだったりします。自分で自分が出した音がずれてるって気付いちゃうから、恥ずかしい(笑)

ただ、音に敏感だからか、突然話しかけられたりすると、必要以上にびっくりしてしまいます。文字通り飛び上がっちゃう(笑)だから、映画なんかはちょっと苦手です。大きな音がいきなり鳴ったりするから、いつ音が鳴るか待ち構えて緊張して疲れちゃう。しかも、顔覚えるのが苦手だから、登場人物が服を着替えると、誰が誰だかわかんなくなっちゃうし(^^;


まとまってないけれど、このトピックに関しても、思い出したらまた書き加えていきます。


ただ、1つだけ確かなことは、できることはかなりずば抜けているらしいけど、その部分はすごく狭いということです。むしろ、人並みにできないことのほうがずっと多いから、いかにそのたくさんの不得意分野をカバーして、すごく少ない得意分野を活かしていくか、を今、考えているところです。

今まで無意識にやってきた対処法が、普通にできるフリの「演技」で、これはかなり板についてるつもりなんだけど、ずっと緊張を持続させなければならず、電池切れの危険性を絶えずはらんでいます。今後はどうすれば燃え尽きずに演技を続けつつ1つの組織に長くいられるかを研究していきます。

そして、今まで避けてきた「得意分野を伸ばす」こと、これからはやっていきます。自分を隠すことにエネルギーの大半を吸い取られるような生活から早く脱皮して、得意なことに時間を費やせるようになる、それが理想です。

ADDを初めて知った2年前というのは、就職して1年が経とうとしてたところで、会社に行くのがとても辛くなっていた時期でした。
そんな頃「片付けられない女たち」を読んで、「私のことが書いてある!」と思ったのでした。

その時、あてはまる!と思ったのを思い出して書いてみます。思い出したら追加していくと思います。


・時間管理が苦手。時間の感覚っていうのがどうも甘いらしい。私にとって時間っていうのは平面的で奥行きがない概念なので、極端なこと言えば、時計さえ持っていなかったら5分も1時間も同じなのです。だから、なかなか時間通りに間に合わせるってことができない・・・。約束をするとそれを忘れるんじゃないかと気になって気になって仕方がないくせに、何かに夢中になると完全に約束を忘れてしまうのです。

・雑談が苦手。世間話が苦手です。社会の動き(ニュースや芸能etc...)にほとんど興味がないので、話題についていけなくて、余計いたたまれない気持ちになります。当たり障りのない話題を適当に受け流すことが苦手で本気で考えるけど分からなくて、笑ってごまかしていることが多いです。他の人が臨機応変に(?)答えると、「そう言えばいいのか!」(正確に言うと、「そう言葉を並べればいいのか」と思ってる。使っている能力的には外国語を覚えるのと似てる)と学習して丸暗記するので、次からその話題が出たときには対応できるのですが、新しい状況には応用できません。そのせいで、私は「言われたことをそのまま覚えて言ってるだけ、自分の言葉で話していない」と指摘されるのですが、これはもうどうしようもないです・・・。世間話のできない私が精一杯バカに見えないように編み出した処世術なので・・・。
世間話ができないし、また、自分の無知がばれないように、必要以上に構えた話し方になってしまうので、知っている人の数が増えれば増えるほどその場にいづらくなってしまいます。

・席順や人の顔が覚えていられない他の能力と比較して、イメージや空間認知に関する能力がちょっと弱いみたいです。人の顔は、よっぽど印象に残った人以外覚えられなくて、会った事があるかどうかも分からなくなってしまいます。複雑な動作を見て真似することは、ほとんど不可能です。中学生の体育の時、周りの人がこなしているメニューが全く覚えられなくてオロオロしていたら、一人だけやらなくていい、と言われたこともありました。(その先生は、部活の顧問で私の不得意なことをよく知っていたのです。)
さらに、顔を覚えてないだけじゃなく、話した内容もほとんど覚えていないことがあるので、(その場をとりつくろうのにエネルギーをかなりとられているからと思われる)さらに、「知っているかもしれない人」が増えることへの恐怖が高まります・・・。

・整理整頓が苦手俗に言う「片付けられない女」なんですが、これは、自分の家に関しては、別に問題がないというか、気にせず人を入れたりしてました。「片付け」は苦手だけど、「掃除」が全くできないわけじゃないので、そんなに壊滅的な状況でもなかったのです。最低限の衛生?は保たれていたし。逆に、家が汚い、というのを話のネタにすることで活用してました。

ただ、これが会社の中では少し問題で。机の上が汚いっていうのは、ダメな人のしるしだそうです。だから片付けなきゃいけないって言われるんだけど、片付け方が分からない・・・。ファイルにまとめようとしたり、書類入れを作ったり、どうにか整理しようとするんだけど、どう分けたらいいのかわからない。えいやって分けても、いつの間にか、ぐちゃぐちゃになってる・・・。もう、書類がたまっていくだけで、何がどこにあるか全然分からなくなっちゃうのです・・・

その他思いつくまま・・・

・長い指示をされたとき、口頭だと最後まで覚えていられない。
・抽象的な指示だと、理解できない
・指示の内容を言葉通りにしか受け取れない。上司の意図を汲み取って動かないと駄目らしいが、その意図を汲み取ろうとしても、いくら考えたって分からない!(メール(文章)での指示なら比較的分かった)
・何かに気をとられると、ほかの事が全く見えない。(例えば部長から呼ばれていても全く気付かないとか。)
・後ろから話しかけられたりすると、飛び上がって驚いてしまう。怖がっているようにとられるらしいけど、純粋に音に驚いているだけ。
・超不器用(笑)あまりなかったけど、たまに手を使う作業をまかされると、信じられないほど時間がかかって、ヒンシュクを買った・・・。
・どうでもいいことに必要以上にこだわるらしい。
・その場の雰囲気を読むことが苦手。いつも読まなきゃ、読まなきゃ、って意識して緊張しているのに、結局分からない。相手の反応を見ないと、それが場違いだったのか分からないから、何かを発言するたびに相手の反応をうかがわなくてはならない・・・




一つ一つはきっと些細なことなのですが、あまりに基本的なことで、恐らく他の人は無意識にやってるだろうことばかりだったので、分からない、できない、ということを悟られまいと、ずっと緊張していなければなりませんでした。

でも、抜きん出て出来るようなこともたまにあったりしたし、それは普通の人から見れば高度なことだったりしたので、時間管理など、基本的なところができないのは、頭いいからっていい気になってる、手を抜いてるように言われたりしたのが悲しかったです。毎月目標に「時間管理」って書いてもいっこうに改善されなかったから、努力してないように見られたんでしょうね。「普通のことができない」ことをいかに隠すか、ということだけに集中して、神経をすり減らして、頑張っていたんですけど。そして、出来ることに関しては、「そういうことばかりできて」って言われるけど、そっちにかける時間も精神的余裕もなかったけど勝手にできちゃうんです・・・。

ああ、「できることとできないことの差があまりにも大きい」それが苦しさの元凶かも。

関係ないけど、中小企業だったのでいい大学を出てる人があまりいなくて、大学名だけで特別視されちゃったのも余計苦痛だったかも。私振る舞いがそんなんだから、○○大学卒のくせに馬鹿っぽいね、って言われたり・・・。(自分でもそう思ってるけど、多くの人の前でそう言われるといい気はしない(^^;)

「頭いいのに、普通のことができないよね」というのが結構仲良かったもと同僚の声でした。言われたときどきっとして、うまく核心を突いてる、と思いました。彼女とも・・・連絡を絶って久しいです。結構近くに住んでるはずなんだけど、まだ連絡取ってません・・・。

Amazon.co.jp:片づけられない女たち: 本

「片付けられない女たち」(←Amazonの本紹介に飛ぶけれど、このAmazonの日本語のレビューは全く適切じゃない。特にADDが「心の病」だというくだりなどは完全に間違い。ちょっと日本語の題名に引きずられすぎのレビューだと思う)

という本でADD(注意欠陥障害)のことを知って丸2年経ったところです。この間、病院にもいくつか行ったし、躁鬱状態っぽくもなったし、仕事辞めたり、結婚したり、引きこもったり・・・いろいろありました。

ADDという診断は未だについていないけど、今はそんなことはどうでもいいです。アスペルガー症候群の疑いがあると言われたこともありますが、それもどうでもいいです。ここ半年くらいは「発達障害」のことを考えることさえ避け、引きこもって暮らしていたくらいなのです。

でも、最近少し元気になって、別の問題(と自分では思った)で心療内科に飛び込んだら、いったん目を背けていた”発達障害”の問題に戻ってきてしまいました。だから今は、もう一度この問題について考えてみたいと思っています。

今回はもう周りの人には言わないことに決めたんです。私は発達障害傾向があるといっても、程度はかなり軽くて十分普通の人としてやっていけるので、今までやってきたので(挫折したけど)。エネルギーが続く限り演技していくつもり。でもそれだけだと、いつか必ず電池切れを起こしてしまうと思う、だから、ここに私の発達障害っぽい独り言を書いていきます。

書くことで頭を整理するときもあるし、行き場のない感情をぶつけてストレス解消することもあるだろうし・・・ちょっとどんなカタチになっていくか予想がつきませんが、この場を借りて、私なりに考えていきたいと思っています。傷つくこともあるだろうけど、ある程度は覚悟して書きます(^^;

   

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