necox beta2.0

*しばらくコメント機能をお休みしています*

検索しててヒット。
死にたい気持ちから解放されたい

この質問者、私がずっと疑問だったことを言葉にしてくれてる。私が「死にたい」って思うのがうつ病なら、私は幼稚園児の頃からうつ病だったことになってしまう。これは病気なんかじゃない。でも死にたい、消えたい、毎日そう思ってる。もう25年以上?も、死にたいと思いながら生きてきてしまった。

「うつ病」のヒトには、戻りたい「あの頃」があることが多いみたい。そういう意味では、私は今が一番楽だから、たとえば20年前に戻れなんて言われたらゾッとする。もう1回これをやるなんて。だから、これから20年生きることを考えてもゾッとする。あの時主治医は、年を取れば楽になることが多い、って言った。私はそれを心の支えにしてる。

この回答者の問いは、核心を突いていると思う。
・死に何を求めているのか?
・どうしてそう思わなければ生きて来れなかったのか?
・死ぬよりも辛いことって具体的になんなのだろう?

この問い、全然答えられない。よく分からないけど、これに答えるのは、何かとても怖いことのような気がする。
2008.08.19 00:54 | メンタル:無気力 | トラックバック(-) | コメント(-) | edit |
「なにもしたくない」とか毎日思ってたことがそういえばあったんだっけ、と思いだした。すごく遠い昔のような気がする。

「できないんじゃない、やらないだけだ」とか、「やる気がないだけだ」とか言われたことがあったけれど、私にとって、「やる気が出ない」ってのは「できない」とイコールだった。それは今でも同じ。裏返せば、私にとって「やる気がある」ってことは「できる」ってこと。

たとえば英語が流暢に操れるようになることだとか、40kg台になることだとかは、もう、このままいけば実現可能だと思ってる。たとえ今がどうあれ、ね。

意欲は貴重。またいつなくなるかわからない、っていうのはあるんだけれど、それだって同じようにずっと続くわけじゃないし。
2008.06.19 23:34 | メンタル:無気力 | トラックバック(-) | コメント(-) | edit |
きょうも朝目が覚めて困ってしまった。横になっていたいほどだるいわけじゃない、何かをしたいのに、何もかも面倒くさい。気ばかり焦って、何もなしに起きてるのって地獄だ。

最近はこんなだから「やりたいかもしれないこと」に手を出してみている。DVDがそのひとつ。他の人が楽しいと思うらしい、DVD鑑賞を自分も楽しいと思えるようになりたくて。

「デスパレートな妻たち」、1巻目を先週見て、これなら見られるかもしれないと思ったから、今2巻目を見た。まだ、義務で見てる感じがぬぐえない。人の顔の判別で疲れてしまう私は、やっぱり本を読むほうが楽だな。それに本なら数時間でもっと話が進むのに。

DVDは時間がきたら終わるってのがいい。終わったときほっとした。ずっと続くんだったら、ずっと惰性で見てるかもしれなくて、あとでものすごく疲れるだろう。そのときの虚しさっていったらないだろう。まさにそれがテレビが見れない理由だし。だからほんとは同じ理由でネットからも遠ざかるべきなんだ。テレビやラジオは、うるさくて、疲れるから、自動的に避けるんだけど。

自分が楽しいって思うことがないから、人が楽しいと言っていることをやってみるけど、楽しみが引き出せなくて泣きたくなる。私にはやっぱりDVDとかテレビとか見るのを楽しいと思えないみたい。

自分が何をしてたら楽しいのかわからない。

昨日は、彼に花見につきあってもらった。寒かった。

土曜日日曜日はすぐ過ぎてしまう。終わったらまた会社へいかなくちゃいけない。働きたくないのに、会社が怖くてたまらないのに、仕事以外にやりたいことも楽しいことも何もなくて、結果的に仕事人間になってる。泣けてくる。何もしたくない。生きてるのが辛い。

***

うんやっぱり、ブログに吐き出すとなぜか。楽になる。これから浄化スプレーを作り直そうかな。部屋の空気が軽くなればリラックスできるかも。
家が汚いのは今に始まったことじゃない、休日動けないのも今に始まったことじゃない、どころか、昔に較べたら、ずっと綺麗だし、動けてると思う。

今、家のことを掃き溜めだとか、そんな家にいる自分を腐敗しているとか思うのは、思えるのは、外の明るさの中で目をしっかり開けていられるようになったから。ふりかえると、家があまりに暗く、重く、澱んで見える。実際、気が滞ってるのは分かってる。私のエネルギーを奪ってるのも分かってる。でも、昔は、そんな家でさえ、ソトでの痛みに較べればマシだった。
今、梅田(モッチー)さんの新刊を読んでるわけです。(自分の本について書かれた記事は全部読むという彼が、こんなつまんない記事を無駄にチェックしなくてすむようにあえてぼかす)

今2つの道に揺れてる。
A. 会社に毎日行けてるだけで十分すごいよ、あんまり頑張りすぎるとまた堕ちるから、無理しちゃだめだよ。
B. 毎日どうにかしのいでるだけでは、どこにも行き着かないよ。勉強しようよ、やれるだけやってみようよ!

結局A. を選んでるわけだけど、こういう本読んでると、B. の道へ走り出したくなってくる。そして、私には、走り出そうとも、どこにも行きたいところがないことに気づく。好奇心のなさ、興味の薄さ、怠惰、無気力、、、、、そういう自分には、キッツイ本だ。

たぶん、近道はないんだろうね。「好き」の再発見から始めるしかないんだろう。

すごく遠回りに思えるけど、昔好き「だった」ものを振り返ることにした。昔はまった本を買って読んでいこうかな。一体何が子どもだった私の心を捕らえたのか。本棚から怪しいスピリチュアル本を一掃して、好きな本で埋め尽くす、そんな日がいつか来たらいいな。
朝、駅まで急ぎながら、幼稚園の頃から何も変わってない、心の重さを思う。
どう振る舞ったらいいか分からずに、妥当な行動を想像し、演じた。
いつも人の顔色をうかがって、演技が妥当だったかを確認する。
今も。
何も変わってない。

ああ、私だけが何をすべきか知らないのだと思う。
私だけが分からないのだと。

私にはできることがあった。
私にだけできる、ことは優越感を満たしてくれた。

私は今も軽んじられる。
今も影が薄い存在。
今も自分が「機能」を果たすことで存在を確かめようとする。
幼稚園の頃から変わってない。

他の人は、仕事をする「機能」である以前に、感情を持つ「人間」であるらしい。
だから、私もそう見えるように、「笑う」というコマンドを出す。
たまに、笑うべきときに笑えず、笑うべきでないときにニッコリしてしまう。
でいて人の反応を伺ってないフリをする。
わたしは、うまくニンゲンやってるだろうか、という疑問なんて持たないフリをする。

ちゃんと人間の感情を持ってる人たちが、いろんな人間関係の悩みにもだえ苦しんでることは、知識として知ってる。
わたしは取り残された寂しさと虚しさだけを感じる。
悩みはない。ただ虚しいだけ。すべてが虚しい。
この世界に生きていることに違和感を感じるのだ。普通の人の悲喜こもごもの日常よりも、人の心を持たないなどと非難される犯罪者のほうに、より共感したりする。でもそういう「異常な」心にすべて、共感できるほどの暗黒面も持ち合わせていない。疎外感。。。

わたし、親が死んだら悲しめるのかな。
もし、自分が不治の病と申告されたら、喜ばないでいられるのかな。

生まれて来たくなかった。なんで動物に生まれなかったのだろう。猫なら、生きても20年、もう今頃死んでいられたのに。はいはい、シューティングスター、ワイルドローズ。