necox

柳は緑、花は紅

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お風呂は、私の気づき装置のようで。

今日は、対人恐怖の今までで一番古い記憶を思い出した。

幼稚園の入園式が終わった後。両親を振り返り振り返り、両親を喜ばすため無邪気なふり、嬉々として遊具によじのぼろうとした私は、先に上っていた男の子から怒鳴られた(俺が先に上ってたんだから上ってくるな、ということだろう)。

一人っ子として大事に育てられた私は、男の子から怒鳴られるなんて初めてのことで、ものすごくびっくりし、固まって怯えて母親を見上げた。母親は曖昧に笑っていた。。。。。。

私より世間体が大事・・・・・・それは、それから何度も母親の言動から受け取ったメッセージ、これが記憶に残っている最初。

そのあと、同級生にいじめられたり、先生にいじめられたりだとか、いっぱいあったけど、この体験が大きかった。

私は、立ち上がる強さがあるだろうか。今の私、同じ立場だったら、そのときの母親と同じことをしてしまいそうだ。しかもそのときの母親は、今の私より若かったはず。
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明日から、いよいよ、家族で旅行です。。。来週半ばまでここも更新しない予定。

このところ心身のバランスが崩れていた。ちょっと前、数日間ずっと喉痛くて、もうこれは風邪確定かも・・・でも旅行前に風邪なんてどうしても避けたい!!というとき、どうしたら治りますか、何食べたらいいですか?って必死に上に問いかけたら野菜スープのイメージが浮かんだ。家での食事はほぼローフードだから野菜スープなんてずっと作ってないけれど、大量に野菜煮込んで食べたら、ほんとにぴたっと治った・・・。もうこれは体の声を聞く練習だな、と。

でも今日はうつ状態。体の不調よりある意味手ごわい。家ついて、すぐ風呂ためて、ワイルドローズとマスタード投入。服用もした。舌ビリビリ反応。そしてじっくり心と対話。

いろいろ出てきた。幼稚園時代のインナーチャイルド出てきたよ。誰も守ってくれなかったって。親も守ってくれなかったって。そのとき、一人で生きてくって決めたんだって。家族は私を守ってくれる存在じゃない。。。。。。一生懸命抱きしめて大丈夫だよと言ったけど、、、にっこり笑ってくれるところまではいかなかった、というよりも、考え事に移ってしまった。

明日からの旅行は海外。母は海外旅行が初めてで、私だってほとんど海外旅行経験ないのに、電話で何かと相談される、というよりも不安をぶちまけられることがこのところ続いていて、重かった。

両親は守ってくれなかった。でも私は明日から両親を守ることをアテにされている。それがキツかったみたい。

私は両親を許します。両親はありのままの私を愛しています、のアファーメーション。

最近、結婚とか家族とかについて考えさせられる。。。。。。最近付き合い始めた彼はそういうお年頃らしくて、結婚願望みたいなものをよくほのめかす。正直プレッシャーだ。私は、結婚とか家族とかいうものにまだポジティブなイメージを持てないでいるから。

結婚して、お互いに対等で、支えあえて、安心できて、お互いのスペースは尊重しあえて、幸せで、守られてて、温かくて、楽しくて、穏やかな関係を作ることができる、家族ってのはあったかいものなんだ!そう思えるような経験が、この旅行でできるといいな。

***

記事のタイトルは、お風呂の最後のほうに浮かんだキーワード。

このところの心身の不調は、旅行が怖い、不安、億劫、行きたくない~からきてるのは明らかなんだけど、、、、本当なら、海外旅行に親のお金で行けるんだから、楽しみにしてもいいはず。それでも頑なに嫌がる私の心、、、それは、親を許してない、許したくない!私の心の砦なんだと思った。

純粋に楽しみにしたりしたら、親を許したことになるからね~。なんか、笑っちゃった。許しちゃおうよ。チャンスだよ。もし何も考えずに旅行楽しめたら、私にとってすごい成長。
母の希望で、6月頃に両親と私での家族旅行を計画中。どう断るかをずっと考えてたくらいなんだけど、前回のリバーシングのセッション時にその話になって、りょうこさんにぜひ行ってくださいって言われたら、、、、ころっと行く気になってしまった。(私の最優先事項は、自分の成長、リバーシング関連で得た気づきはほぼすべて従うことにしてるので。)

それで、突発的に週末に実家に帰省して、計画を立ててきた。行くまでは不安でいっぱいだったけど、素晴らしい収穫だった。

・旅行を具体的なプランに落とし込めた。(メインの目的無事達成!)
・父と母の小さい頃の話や、父と母の両親の話、私が小さい頃の話、、、、たくさん聞き出すことができた。(You Can Heal Your Lifeの実践)
・父と初めて会話がまともに成立した。(父と目を合わせて話すのって、、、一体いつぶり?)
・思いがけず実家の自分の部屋の断捨離ができた。捨てまくった!
・「もったいない」が口癖の母が、ぐちを言いながらも断捨離に協力してくれた。
・買おうと思ってた茨木のり子の詩集が自分の部屋にあった!
・読んだ覚えのない(笑)面白そうな本をたくさん発掘。こっちに宅配便で送った。


何気なく書いてるけど、親と本音で話せるようになったのは、すごく大きい変化なのだ。生まれて初めてっていうくらいにたくさん両親と話をした。いろいろと話を聞く中で、親の痛みも感受し(親世代はそれを痛みとして認識していない?)、親に対する理解も増した。

今週末のこの行動が、これからの変化にどうつながっていくか楽しみ。
今日某アウトドアショップにて。5~6歳くらいの男の子が、棚に並んでるプラスチックボトルに手を伸ばした、と思ったら、1本倒してしまった。後ろにその両親がいるのを知ってた私は緊張で身をすくめた、、、、、怒号が飛んでくるに違いないと思った。なのに何もなかった。お父さんは穏やかな顔で子どもを見守ってる。子どもは何も言われなくても自分で倒したボトルを元に戻してる。。。

私の小さい頃だったら、「売り場のものに手を触れてはだめって言ったでしょう!」とかギャアギャア怒られてたところなのに。。。(そして私が親だったら、同じように叱り付けてるところだ。。。)

些細なことだけど、こういう積み重ねでこうなるんだよなと思う。世界は安全な場所なんだよと、大丈夫なんだと、生きてていいんだよと、自分に言い聞かせよう。たぶんそれが私の使命。子の世代にこの価値観を引き継がせてはならない。
親に関する葛藤はたくさんあるけど、その中の1つが、人付き合いの仕方を教えてもらってないというコンプレックス(あくまで私目線のストーリー)。

両親とも友達がいない人で、滅多に訪ねてくる人のいない、静かな家で育ったのね。母は外面はいいけど、中では人の悪口ばっかりで。一人っ子だから、兄弟姉妹から人間関係を学ぶこともなかったし。

雑談の仕方がわからない。友達の作り方がわからない。というか、友達になるという感覚がわからない。。。人にはあって自分にない”人付き合いのスキル”に考えが及ぶたびに、「私は親から人付き合いの仕方を教えられてないから・・・」と思ってた。

でもそれって、すごい馬鹿らしい思い込みだよね。

「親ができないから私もできない」が正しいなら、親ができることは私もできるのか?掃除、片付け、洗濯、アイロン、炊事、母は毎日やってたけど、私は何一つ満足にやってない。(だからといって悪いとも思ってないけど。)

つまり、親と私は別の人間。私は、親の影響から離れて、私の思うとおりに生きていい。人との付き合い方は、自分で学ぶことができる!

もちろん、幼い頃に教えてもらってた方が痛みは少なかったかもしれない。でも、私がおかれた環境はこれなのだ。他の人はどうかしらない。私はこういう環境に生まれた。こういう大人になった。それは親を責めたって恨んだって、もう変えることはできない。だから、そのままを受け入れて、向き合って、できればいとおしんで、自分で自分を育てる努力をするしかない。

結局、親のせいにしてる時点で、親離れできていなかったということだ。
先日会社の飲み会があったのだけど、子連れで参加した人がいた。訓練だと思って頑張って行った。実際会ってみると、子どもはそんな怖いものじゃなかった。その子は大人の顔をうかがうようには育てられていなくて、つまんないときは、つまんない顔をするから、逆に安心できた。。。。。。

隣に座っちゃったので、話しかけたりしたんだけど、自分の話しかけ方が、あまりに父親が私に話す話し方にそっくりでぞっとした。なんか、媚を売るような、笑顔を見せてくれそうな甘い言葉を言って、笑顔をしてくれると「父が」ほっとする、というようなパターン。私は子どもとして、そういう父が気持ち悪く大嫌いだった!

なのに、同じことを無邪気な子どもに対してしてしまう自分が嫌だった。でもその他の接し方が自分のフレームワークの中にないらしく、切り替えようがなかった。その子にはごめんね、という感じだ・・・。

わたし、承認欲求の強い父に愛を吸いとられてたんじゃん・・・。だから怖いんじゃん。初めて理解した。
今日突然、祖母について思いが飛んだ。これまでは全然思い出すことなかったんだけど。母との関係が山を1つ越えたところだからかな。

母の母、つまり、母方の祖母は、今はもう亡くなっているけれど、私が結構大きくなるまで生きてた。けれど、悲しいことに私はその人に思い入れがない。自分が何歳頃のときに亡くなったのかも思い出せない。あんなに祖母の悪口ばっかりいってた母やその兄弟たちが、葬式で泣いてるのを見て不思議に思ったことだけ覚えてる。

家も比較的近所だったので、祖母とはかなり関わったはずだけど、やさしくしてもらった記憶もないし、会話ややりとりで覚えてることもほとんどない。(もしかしたら覚えてないだけかもしれない。)いつも何かに怒ってる、責めてるイメージ。すぐ何かにつけ文句を言う人。1回だけ(だと思う)、家族と一緒に買い物に行ったとき、疲れた、まだ帰らないのか、もう帰るか、とずっと言い続けていて、子どもながらに唖然としたのを覚えてる。そして子どもながらにもう祖母と買い物へ行くのは嫌だと母に文句を言ってたわけだから私も同じなのだが。

祖父の遺した年金?だかで、祖母はお金は持ってたらしい。といっても、全然リッチな印象はない。ただ、母を含め子どもたちから「金づるにされてる」っていう雰囲気で、だからお金持ってるんだな、と。とても嫌~な感じだった。祖母は、お金目当てで慕ってくる(と母たちは言っていた)他人の若い子に相当お小遣いをあげていたらしい。自分はもらってないのに、と嫉妬する母たち兄弟の愚痴を聞いて私は育った。

ある日、たまたま祖母と2人きりだったとき、お小遣いをくれようとした祖母に、「お金はいいよ」って言ったことがあった。そしたら、母や親戚がもどってくるやいなや、「necoxはお金をいらないんだって!」みたいなことを大声で言われてものすごく恥ずかしかった。

私が育った環境は、人との信頼関係が希薄みたい。それからすぐに他人を責める癖、これは家系のパターンかもしれない。ネガティブな連鎖は私で断ち切る。

あとたぶん、お金をたくさんもつこと=幸せ、という一般的な?考えが欠けているのも、たぶん、こういう記憶が関連してるのかも。お金で孫の気を引こうとする祖母は、子どもの私から見ても「惨め」だった。今、お金へのリテラシーを身につけようと意識してるところ。(お金に関する良書探し中・・・)この記憶を思い出せて良かった。
少し遅れて母の日プレゼントを今日送った。中に手紙を入れた。初めてのことだ。すごい内容だ。他人に書くような大げさな手紙。

もちろん、これは私にとってワークの1つだ。「許し」のワークであり、「感謝」のワーク。

最初からそのつもりだったわけじゃない。たった数日前まで、品物だけ送るつもりだった。ふと、嘘でもいいから「お母さんありがとう」って一言入れてみようかと思ってカードを買ってきて。いろいろ文面考えてたら、なんか、まるで赤毛のアンがリンド夫人に謝罪したときみたいに大げさになっていき、実際書きながら気づいた。私は母を本当に許してるってことに。

それでなんかふっきれて、心をこめて書いた。産んでくれてありがとうって。そんなこと今日初めて思ったというのに。

今の私があるのは、母があのような母であったおかげ。すべては必要な経験だったと、他人を責める思考回路から少し抜け出してきた今、心から思う。

学んだことを実践して、現実を変えていくのは楽しい。フィードバックが怖いような楽しみなような。。。。。。
12月中旬に父母と会ったとき、

母に髪型と服装を褒められた。

私にとっては、天と地がひっくり返ったかのような大事件だった。

だって、以前は顔をあわせれば「そんなみっともない格好を」とけなされて、けなされて。服屋に連れて行かれたり、美容院に連れて行かれたりしたこともあった。。。自分の思い通りの外見に変えようとするのが母だった。

今思えば、確かに私はみっともなかったと思うよ。美容院に行くのが怖いから髪は伸び放題だし、服屋に入るのが怖いから、ろくな服持ってないし。服なんて、髪なんて存在しなければいいのにって思ってた。

でも、自分が好き、って思う服装や髪形が分かるようになって、おしゃれを楽しみ始めたら、母にも認められてしまった。今まで怖がっていたのはなんだったんだろうか。ほんとうに、パーソナルカラー&メイクの先生には感謝だ。あの教室にいってなかったら、こんなに早く外見を変える楽しみには目覚められなかったと思うから。

自分が好きなものが分かる、っていう効果は当然服だけでなくて、インテリアだって、小物だってそう。こないだ、「結婚した時に良かれと思って母が買いそろえてくれた食器類」を、「私の趣味ではないから今後も使うことはない」けれど、「良いものだし、お母さんにはきっと気に入るものだろうから、自由に使ってね」と伝えた。激怒も覚悟してたけど、全然だった。母は変わった。私も変わった。
今の私の親に対する感情は混乱してて、何がなんだかわからない。

父母と会った(1日目)の2日目を書かなかったのは、そのせい。なんかあったかいものが流れた気がした。父母と駅で別れて、初めて開放感以外のものを感じて、「さみしいかも?」と。それを書くのは、負けたような気がして嫌だった。

正月も帰省する気はなかったのだけど、会社の身近にかかわる人たちに説明するのが面倒そう、っていう気持ちもあって、あと、親孝行??みたいなことも考えて、帰ることにした。。。正月に帰省するのは何年ぶりだろう???

いざ家を出る日になってみると、やはりいやで怖くて。今まで寝てたんだけど。ストーカーに合った夢を見た。若い外国人の男性についていったら、はめられていた。ビルの上からお父さんくらいの年齢の人が何かを落としてきて、どこからでもその人が追ってきた。なんとか逃げた先の公園?で、なぜか母に助けを求めてる。そばに父はいるけれど、目をそらし、聞いていないふりをする。私は母に向かって必死に何があったかを訴える。母は困ったような顔をし、結局私は助けてもらえたのかどうか・・・。
父母がわたしの幸せを願ってることは十分伝わったよ。

だけど、わたしはそもそも、結婚したいとか以前に、生きていたいと思えないんだよ。なんでそうなのかって、小さい頃の環境に何かきっかけがあったとしか、今も思えない。幼稚園の時点ですでに人が怖かったもの。この言葉を言うのは妥当かどうかですでに言葉を選んでた。三つ子の魂百までってほんとだよ。

その「生きにくさ」の根源である母が、私に向かって、「結婚イコール幸せ」だとか「相手は弁護士とか医者とか高収入の人」だとか「1つの会社に骨を埋めること万歳」だとか「老後の貯金は万全に」みたいな幸せ論を押し付けてくるんだから、バカじゃないかと思うんだよな。すでに腹は立たないが、ますます、生きていたくなくなる。こんなに頑張って生きようとしてるのに、その努力はまったく認められず、私の存在意義は高収入の人との結婚でしか評価されないだなんて!

銀座の母に見てもらって来いなんて言われたよ。私は私のことを分かってるつもりだ。いま単に結婚したって私は幸せになれない。今単に大金を得ても私は幸せになれない。今この瞬間だって私はこんなに幸せなのに!!私はそれを感じられず、恐怖と不安ばっかりの毎日を過ごしてるんだもの。そんなものは外的環境の変化で変わりはしない。(逆に、私の母みたいな人は、結婚していないと幸せになれないんだろうか???意味がわからない。)

精神の病気はもう完全に治ったのか、と聞かれたよ。私は一生これと付き合う覚悟なんだよ。とにかく、死なせてもらえるときまで生き抜くために。

あと、父が、何かというとツンツンと指でボディタッチしてくるのが、嫌で嫌でたまらなかった。過剰反応してると思われるのが嫌で無視してたけど、内心ゾッと寒気がしてフリーズしてた。あまりここには書いたことないけど、、、男性恐怖だと認めよう。ほんとうに、男の人が怖い。そしてそれは父から来てると思う。怖い、怖かった、、、、、

ほら性のことだから、誰にでもあるんだと思ってた。でも、私、ずっと男の人が怖かった。今気づいたけど、これ、実はかなり深刻というか切実な問題だった。会社でもそうだった。女の人とすれ違う分には、ほとんど問題ないんだ、、、問題は男性陣だった、、、、、、、なんで今まで気づかなかったんだろう(認めたくなかったんだった・・・言葉にしたら、それが事実になってしまうから)

もしかして、普通の意味での恋愛ができなかったり、結婚したいと思えないのとかと、、、そうだよね、関係ないはずがないよね・・・はぁ・・・
最近、母が電話してきては、インターネット関連のことをいろいろ聞いてくる。親切すぎるくらいに調べて教えてあげるわけだけど、その中で、「あんた(necox)がウイルス対策ソフトを絶対いれないと駄目っていうのは、私(母)からウイルスが飛んでいってあんたが感染するのが嫌だからでしょう」という意味のことを言われて唖然。

ウイルス対策するのは、まず本人の自衛のため、それから、インターネットやる以上当然のマナーだからなんだけどねえ。無知ゆえなんだろうけど、そういう考えしかできないなんて、母は哀れな人だなあ。。。

てか、私はどんなけモンスターだと思われてるのだろう。私は、いつもそんなに非情で、冷酷な人間なんだろうか。傷つくな。。。。。。
2008.09.07 18:57 | 親との関係 | トラックバック(-) | コメント(-) | edit |
久々に両親との関係についてメモ。いつの間にか、すごく良くなった。なんか、今もだけど電話でフツーに話とかできるようになった。

実家に帰るのは、以前の関係がぶり返しそうでまだ怖いけど、こういう距離感なら全然平気。両親が山歩きにはまっているので、”夏休み”も実家じゃなくて、どっか別の場所で観光や山歩きを兼ねて会うなら全然OKだと思い、今そっちの方向でプランを考えている。

やはり、母親に趣味(私以外の興味の対象)ができたのはとてもありがたく、大きな変化につながったと思う。母親も、私に影響されてジムに通い始め、共通の話題もでき(両親との関係の中で初めて「私」以外の話のネタができた!)、話していて楽しい。こんな風になるなんて数年前は想像もできなかった。
2008.06.21 21:34 | 親との関係 | トラックバック(-) | コメント(-) | edit |
これ、cherryさんのところで見かけた今日のキーワード。
私の精神年齢はたぶん思春期…の中にある。


「見守ってもらいながら自分の好きな事ができる」という経験を
親子関係では体験させてもらえる機会に恵まれていなかったため

心の成長っていう意味ではほんとに幼い。

自分で考えて悩んで
周囲の人の助けを借りながら
さらに自分で考えて悩んで
さらに周囲の人の助けを借りながら
問題を乗り越えていく

…っていうことが
実際の体験としてよくわかってない。

ああ、まさにそのとおり、そのまま私に置き換えられる。cherryさんがそれを思春期と表現するなら、私も思春期だな、と思った。「自分で考えて悩んで 周囲の人の助けを借りながら」ってまさに今私が会社でやらせてもらってることと同じ。

私の母は、何事も私にまかせておけなくて、すぐにへたくそだとか、危ないだとか言って、取り上げてしまった。。。。。今の会社の人は、先輩がやれば10倍うまく10倍速くできるだろうことも、私がおっかなびっくりやるのを、黙って見守ってくれる。明らかに私が困ってしまったり、私からアドバイスを求めれば、そこではじめて口を出してくれる。こんな環境が、ありうるのかと、心底びっくり。。。。。。

こういう環境で育てられた人もたくさんいるのか、と思うと、、、、、悔しいんじゃない、うらやましいんでもない、ただ、、、、、、そういう世界が外に広がっていることを知らなかった、過去の子供だった自分が、かわいそうになる。失敗する機会を奪われたあなたは、「恵まれて」なんかなかった。

リアル年齢の思春期、私は、ただぼんやりしていた。(ちなみに反抗期もなかったらしい。)いつ死ねるのだろう、って思いつつ、生きるという時間が無事過ぎ去るのを待っていただけ。毎日の苦しみにただただ耐えていただけ。「今が一番いい時期よ」なんて大人の言葉がさらに恐怖を煽った。もう、これ以上苦しくなるなんて考えられない。絶望。いつ死ねるんだろう・・・

でも、それは大きな誤解だった。子供だった私へ・・・・・・あなたは、生きるってことを完全に誤解してる。仮面をかぶって、敷かれたレールから足を踏み外さないようにずっと緊張して、先の見えない細い道を歩いていくこと、、、、、、そんなの、生きるって言わないんだよ。

成長するってことは、体当たりで、失敗もして、その誤解を「自分で」1つ1つ解消していくことだった。やらされてる人生から「自分の人生」へ発想を変えていく・・・つまり、わたしは文字通り、「思春期」にいるらしい。

と思ったら、笑さんの境界例とスピリチュアル: 信仰とか、ブログの意義とか…etc.でも、「思春期還り」について触れられてるし。

思春期っていったら第二の誕生?とか頭に出てきて、うろ覚えなので検索してみた
第二の誕生、second birthとは、自分で自分を産み直すこと、今までは親から生まれて疑問もなく育って、生きてきたが、自分の人生をこれからどう生きようか自覚してとらえ直すことを言います。
うわーまさにこれだ。すごいな。これ、もしも、もしも、乗り越えたら、いったいどんな世界が待ってるんだ?わくわくしてきたぞ。どう考えても、一旦膿が出始めた「思春期」がこのまま永遠に続くなんてありえないし。
今日、久しぶりに実家から電話があった。

8月に帰省してから約2ヶ月間、電話も、メールも、一切なかったのだ。私が10年前に実家を出てから、初めてこんなに長くほっといてくれた。

最近は数日に1回、あれ?そういえば実家からまだ連絡ないな、でも、ま、いっか。を繰り返してた。連絡するな、って言っておいて、まったくないとそれはそれで気になるもの。

だから、父の声を聞いて正直ちょっとほっとした。要件は、○○(実家の地域しか売ってないインスタント食品)買ったから送ろうか、と父が母の代理で。いかにも電話をするためにわざわざ作ったような要件。(いつもは最近どうやー?って聞くだけで、私も、別に、って答えるだけ)遠慮せずに送ってもらうことにする。
久々に床で寝てしまった・・・
先週末実家に行ったときのこと、気持ちが重くて、考えたくなくて放置してしまったので、まとまらないけど、本当に忘れてしまう前に書いておく。

・「家族」と思えない、心情的には「他人」と言ってしまった
:罪悪感、傷つける、言わなくていいことを言う

・交通事故に合いそうになるが奇跡的に助かる
:死に損なった、死にたかった、感謝「すべき」、護られてる、生きるのは義務

・父親にどう接していいか分からない
:見透かす、暗闇、得体の知れない、緊張、不躾、突き刺さるような、ストレートな、社会人、怖い、


箇条書きとキーワードだけのつもりだったけど、以下は文章で。(短くまとめるのも頭を使うので疲れた)


母が、私に「そんなんで友達できるの?」ってしきりに言ってたのが相当不愉快だった。

前回の毒だしの続きで、母が「言ってもらわないと分からない」っていうから、お母さんがこういう言動取ったときは、私はこう思ってるんだ、と過去の例をいくつか持ち出して説明したところ、そんな些細なことをいちいち気にしてて、友達できるのかって。

友達・・・確かにいませんが。わたしの心に一定の距離以上近づける人は彼しかいませんが。それは欠陥でしょうか。



親ってなに。レジャーに行った先で、「基本給はいくらだ」と父に突然聞かれて、恐怖を感じたから答えなかった。怖かったのは、質問の内容なのか、父の聞き方なのか、タイミングなのか分からない。どちらにしても、それをネタに、さらにあれこれ言われる(それは主に母)のが怖い。

でも、親子では「普通は」そういうこと話すんだろうね。だから、聞いてくるんだろうね。話さない私を、世間では「親不孝」って呼ぶんだろうね。

親子ごっこを、朗らかにこなせるほど成熟してない私のせいなんだろう。

私が急に主張し始めたことのわけが分からないもんだから、「反抗期」扱いされてる。「necoxは反抗期がなかったから、いけなかったんだ、今反抗期だと思おう」ってのが両親の合い言葉。ちゃんとした時期に反抗できなかったのも、私のせい?

・・・私のせい。私が成長するしかない。
またもや母親関係でシンクロが。母の日プレゼント、迷った末にターシャ関係の本を贈ったんだけれども。以前本屋で立ち読みして以来、なぜか母の日プレゼントはこれにしなきゃ、と思ってたんですね。

そしたら、以前ターシャをテレビで見て、気になっていたところだったと、びっくりしていた。びっくりしたのはこっちなんだけど。本屋に行かない母親のこと、ターシャのこと知らないだろうと思って贈ったわけだから。

母親は、最近、別件で、ものすごいシンクロ(彼女はシンクロニシティっていう捉え方なんて知らないと思うけど)を経験したばかり。きっと彼女は今、あの年にして、精神的に大きな変化の時期に来ているんだろうな。
その日、眠れそうになるたびに何かアクシデントが起こって全然眠らせてもらえなかった。最初は左肘の痛み、次がなんだっけ忘れた、最後がドスっていう鈍い音。トイレットペーパーが落ちた音だと分かって、布団に戻ってみると、左手首につけていたはずの「人生の目的を探す」ブレスレットが切れて布団の上に散らばってる!まだ作って1ヶ月くらい。結構頑丈に作ったものだし、何かにひっかけたわけでもない。それがちょうど真ん中でブスッと切れてる。あーもうこれ全部が何かのサインだ、一体私は何に気づけばいいんだー!などと思いながらウトウトして・・・

朝6時を過ぎると何度も何度も目が覚めて、寝てられなくなった。とりあえず起きて・・・しばらくして「そういえば、今日は私の誕生日だ」ってことに気づいた。またしばらくすると「母親に今まで育ててくれてありがとうって言おう!」って突然思いついた。今までそんなこと言ったことなかった。言おうと思ったとしても抵抗が強くて言えなかっただろう。だけど、なぜか、今ならできる気がした。

電話してみると、びっくりすることに、母が別人のようになっていた。「いい母親ではなかったということに気づいた」「反省しきりだ」「necoxが言ってくれたおかげで気づけた」(あれー?聞いてはくれたけど全然理解されてなかったはずなのに!???)最近図書館に行くようになって、好きな作家ができて、その人に大きく影響されたんだそうな・・・。

だから私も素直に「ありがとう」って言うことができた。初めて母親と心が通じ合うっていう体験をした。自分が変われば相手も変わるっていうけれど、本当にそんなことがあり得るんだ~、っていう一種の不思議体験でもあった。(今ブログ読み返して気づいたけど、両親とぶつかった当時、主治医も言ってたんだ!「人を変えるのは大変。でも、自分を変えるのは簡単。」と・・・。)

ここまで来れたのは、8月に両親に本音をぶちまけたおかげだと思う。ぶちまけた当初は、やっぱり分かってもらえなかった、って思ってた。でも、時間がかかったけど、お互いに理解し合うこと、今できました!「分かってほしい」だけだと受け身だから何も変わらないんですね。「自分が相手を分かろう」とするときに何かが変わるんですね。あのとき応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました!

今年の誕生日は○曜日だったんだけど、私が生まれたのも○曜日だったらしい。母が言った。「今日が誕生日だと思ってやり直さなきゃ」って。私もそう思う。やっとスタートラインに立てた。これまでは誰とも深い人間関係をうまく築くことができなかったけど、これからは・・・。

ブレスレットが切れたのは、ステージが変わった、っていう意味かもしれない。今はまだ作る気にならないけど、そのうちまた閃いたら、新しいのを作りたいな。
フラワーエッセンスの効果なのかどうなのか、忘れていた母に関する思い出が噴出してくる。

前の記事(necox beta2.0 母との関係に新たな視点が)では、母が私の表面(世間体がいい優等生としての私)しか見ようとしてくれなかった、本当の私(対人関係に不安を抱えたコンプレックスだらけの私)には全然気づいてくれなかった、という寂しさのような感情を思い出した。そして、それは、私が内面を見せるのを拒絶していたからでは?というところまで思い至った。今回はその続き。
昨日から母との関係を癒すフラワーエッセンスを摂りはじめた。
初フラワーエッセンスはFESの単品3種に決定
イブニングプリムローズ
幼い頃に母親から吸収した苦痛の感情に意識の光をあて、癒すことができる。感情をオープンにし、深い人間関係を築くことができる。

それと関係があるかどうかは分からないけど、今日、1つ母に関係する記憶を思い出し、そのときの感情に気づき、さらに、それを今までとは別の視点から眺めることに成功したので、記録のために書いておこうと思う。
今日久しぶりに両親と電話で話して思ったこと。私はこれまで、両親を喜ばせることばかり考えていたんだと、自分で思っていた。でも、本当は違ってた。自分のことばかり考えてた・・・。今日、初めて「両親を喜ばせたい」って思えた。

正社員にならないのか、とか、もう一度大学で勉強したくないのか、とかまた母が言うもんだから、「お母さんは、お母さんが自分でしたいと思うことを、私にさせようとしてるでしょう?今までも、そうだったでしょう。」って普通の口調で諭すことができた。(これは進歩だ!)

母は、自分には私(necox)ほどの能力がないからできるわけがないでしょう、と言った。都合のいい屁理屈だなぁ、と思った。ちょっと「できる」「できない」の差なんて、「やりたい」「やりたくない」というモチベーションの差の前では本当に意味がない。学校教育という敷かれたレール上で、能力が「かつて」あった私は、「今」、無気力で何もする気も起こらないんだ。今、気力さえあれば・・・。(どうすれば、何かをやりたいと思えるの!?)

嫌がる私にピアノを習わせ続けたのは、母が自分の理想を娘に投影してることの象徴的な出来事だと私は思っていたので、それを話題にしてみた。今なぜ母親自身がピアノを習わないのか?、と。すると、お金がもったいない、という。消音装置をつけるのに約20万円かかる、私は老後の蓄えを優先したいのだ、と。

母親は、まだ、自分に自分がやりたいことをする許可を与えられてないのかな、と思った。年老いた自分がピアノを弾くことを、有閑マダムみたいな贅沢なこと、だと思っているらしい。彼女が今そう思ってるならそれでいい。

でも私は、それを聞いてなんだか悔しかった。ピアノ改造のための20万円くらい、私がポンとプレゼントできる自分でありたかった。そしたら、お母さんは喜んでくれるだろうか?私はそのためなら、働ける気がする・・・
どうも、無職であることを両親に内緒にしているnecoxです。

親からは連絡をよこさないと約束したはずなのに、たった今、母親が家に電話してきたのです。開口一番、「あんた今日会社行った?」と聞く母。「行ったけどなんで?」私の声は絶対震えてたと思いますね。。。。。。「東京03から怪しい電話が何度かかかってきて、出る前に切れちゃうから心配になって」

そんなことで、私が会社行かないと勘ぐるな!私は無断欠勤は絶対しないのに!いまだに私を信じてくれてないんだ。。。

。。。信じられるに値することをしていない私ではありますが。

私は両親を憎んでいるようで、実は、両親が期待する基準に至らない自分を一番憎んでいるんだろうな。
母:無自覚に過干渉するタイプ
父:?(自己中心的)
私:敏感に受け止めすぎるタイプ

背景

実家を出て10年近くが経ちますが、私は親から逃げたい、距離を取りたい、それだけを考えて過ごしてきました。親は、いつまでも、どこまでも、追ってこようとしました。

今年のお盆、親は私の住むところまで来ると言いました。「心配だから」私が一番恐れる台詞を乱用する母と父。かたくなに拒否する私に母が言いました。「避けられる理由がまったく分からない。一度本音で話をしたい」と。

ブログに来てくださる皆さんの助けを借りて、私は、思うところを箇条書きにすることができました。→お母さんへ: 今まで隠してたこと

言葉の頼りなさ

両親との話し合い

話は最後まで聞いてもらうことができました。その後、両親の反応を聞いて、いかに言葉が頼りないものであるか、を痛感しました。

言葉が言葉どおりに伝わっていない。
同じ日本語を話しているとはとても思えない。
立ちはだかる経験知のズレ。
リアルタイムで話していても、共有されない知識と経験。。。。。。

まさに「異文化コミュニケーション」だと思いました。

それでも、涙だったり、眼差しだったり、表情だったり・・・・・・ボディランゲージには、言葉を超える力がありました。言ってることは、言葉では伝わらなかったけど、気持ちは、ある程度、伝わったことが分かりました。

分かり合えないことが分かった

母:「あんたは10聞いただけで、20聞いたような気になるんじゃないの」
私:「お母さんは、20言って、5しか言ってないような気になってるんだってば」

分かったこと

私が恐れていた母は、私の演技に騙される善良さ・素直さ・鈍感さを持っていること。私の嘘には、私には明らかに分かるアラがあるのに、それなのに、↑の話をした後でも、私の嘘に気づかない。だからこそどんどん広がっていく溝。

過干渉とはほぼ遠い。。。無干渉である父は、話し合い中も、自分は悪くない、そればかりでした。確かに悪くないよ。だって何もしてないもの。

母よりも、もしかしたら父との断絶のほうが深いかもしれません。。。

変わったこと

話し終わった後、自分が大きくなった気がしました。自分が大きくなった

6/23に【対人恐怖】 私にとって生きることとはで書いた絵を思い出しました。私にとって恐怖の対象である世間がまた少し、小さくなったのです。こうやって対人恐怖から脱出していくのかもしれません。

まとめ

話し合いがうまくいったのは、喧嘩にしない、という双方の意思が一致したからだと思います。喧嘩にしないために以下のことが役に立ちました。
  • 言うべきことを箇条書きにしていたこと
  • 話し始める前に、私が話す間は口を挟まないと約束してもらえたこと
  • 絶対に大声は出さずに、静かに話そうと決心していたこと
  • 地雷は避けたこと(だからまだついている嘘は多い)
  • 母親がノートを取りながら真剣に聞いてくれたこと
親からは連絡をよこさない、その代わりに1ヶ月に1度メールする、という合意も取り付けました。
両親との本音の話し合いは、皆さんがくれた知恵&勇気のおかげで、神がかり的に(笑)うまくいきました。

いいたいことを、言うことができ、真剣に聞いてもらうことができました。

昨日までのブログがあったから、一人で話してる気がしませんでした。タイミングや運やいろんなものが味方してくれました。詳しくは帰宅後に書きます。

みなさまに心から感謝しています。
みなさまにもラッキーがありますように(*^-^*)
並んでないのに。めちゃくちゃラッキーです。

前エントリへたくさんコメントいただいてどうもありがとうございました。すごく勇気づけられたし、知恵を授かりました。

圏外でコメントができないのでここにいろいろ書かせてください。

>ぶらうざさん
再投稿ありがとうございます。とても参考になりました。偏った、とありますが、私寄りに偏っていて^^おっしゃることにはいちいち納得しました。

私も親に否定的意見をいって、良い方向にいった記憶がありません。だからこそ、距離をとりたい、関わりたくない、と思ってます。

なぜ今まで良い方向にいかなかったか、その大きな原因は、感情的になってしまったことにあるからだと思いました。(あくまで私の場合。女同士だから特にかも)
感情的になってつい余計なこと言って火に油注ぐの避けるため、前エントリの箇条書きをつくりました。

こう書いてるうちに今回の目標が決まりました。
「大声出さない」

これをモットーに人体実験楽しんでこようと思います。そう思えばもう怖くない♪

かなり鋭い指摘だなあと思ったのは
「勝手に過失みつけて干渉を正当化」
「干渉拒否することに罪悪感」
それは確実に彼らのいつもの手口です。
「干渉がアイデンティティ」というのもいいえて妙です。
対策これから考えます。どうもありがとう。

>ふぅさん
ありがとう。チャンスをものにしてきます!
ピザで無理やり、胃袋にもう何も入らない状態を作り出したら、どうにか不安で動けない状態から抜け出した。お腹は完全に壊れてるぅ・・・

ブレーンストーミング中・・・

今考えてるのは、最初は、感謝している、「完璧な」母親だったよね、と持ち上げる方から入って、でもそれは裏返すと、子供の自由を奪ってることでもあったよね、ともってく。

恐怖

ずっと家の中に居場所がなかった。

お母さんが怖くてたまらなかったけど、そんなそぶりは見せられなかった。

お母さんを喜ばせるために、無邪気な子供のフリをしていた。幼稚園の頃からその記憶がある。

お母さんは、外では優しい顔をしているくせに、家ではいつも人の悪口をいっていた。

お父さんの前ではお父さんのことをたてる癖に、いかにも汚らしいものを触るかのような顔をしてお父さんの体を触ったり。誰に対しても否定的なことを言った。

何か変われば、私も悪口の対象になってしまうのではないかと恐れた。お母さんに好かれる自信が持てなかった。


不安

部屋のドアを閉めて独りでいる時だけが落ち着いた。

すべてにルールが決められていて、「遊び」の部分がなかった。

家の中は見張られていて、息苦しかった。

私の行動で、お母さんの気分が左右された。

お母さんが笑ってくれるように、いい子を頑張るようになった。

私はお母さんの精神安定剤みたいだった。

お父さんは、いるかいないか分からなかった。

自信喪失

小さい頃は、何もかもできるお母さんを尊敬していた。お母さんみたいになりたかった。

お母さんは何もかも、頼まなくてもやってくれた。言い換えれば、自分の裁量で物事を決めることがまったく許されてなかった。

私の意見はあってないようなものだった。たとえば、ご飯おかわりいるか?と聞かれて、「いらない」と答えても、気づくと盛ってある。

お母さんの趣味に合わないものを好きになると怒られた、否定された。趣味の押しつけ。

お母さんの好きなものを、好きでないとは怖くて言えなかった。お母さんの機嫌が悪くなるよりも、好きでないモノを使うほうが良かった。

自分の思うことはいつも間違っている、他人はいつも正しいという価値観を持つようになった。

「好きなようにやっていい」という安心感がなかった。

好きなようにやることに恐怖感を覚えた。お母さんの意見を聞かないと不安だった。

お母さんの基準(趣味)は私には分からないから、いつも怒られるかびくびくして不安だった。でも、1つだけ確実に分かったのは、成績が良かったり表彰されたりすると喜ぶってことだった。私が勉強する理由はそれだけだった。

勉強以外においては、私が自分の意見を否定すれば(=お母さんの意見に従えば)、お母さんは喜ぶんだと思った。(実際そうだった)

そのうち、自分で何かをしたいという意欲もわいてこなくなった。

私はいつも顔色をうかがっていなければならなかった。

私はお母さんのペットみたいだった。

いつも見張られていて、信頼されている感じがしなかった。

断絶

私の言っていることを、表面的なことしか受け入れてもらえなかった。

「あなたのため」「あなたが心配だから」などの優しい言葉で、真綿で首をしめるように私を縛った。

今まで↑を訴えても、「そんなことは覚えていない」私の記憶違いのように言われた。
実家が怖いのだ。取って食われそう。でも明日、帰らなければならない。帰らないと、向こうからこっちに来る気だ。泣きそうだ。

言いたいことを箇条書きにすべきだと分かってるけど、思い出すのに耐えられない。他ごとをやってごまかす。誰か同じような人いないかと、検索すると、実家に帰りたくない人、結構いるじゃん。(ほっ)

もう消えてしまったらしいある掲示板に、「自分の実家に帰りたくない」というスレッドがあったのを発見。
美輪明宏さんが「家族ドラマみたいなことはしなくていいのよ。皆があんなわけないでしょ。珍しいことだから皆ドラマで見るのよ」みたいなことを言ってたんだって。親に「普通の親子はこんなんじゃない!」と耳が腐るくらい言われている私は、それで少し楽になった。

今日は、何もできない。食べるのが止められない・・・不安感に押し潰されそう。毎日の目標は、今日はどうでもいい。
もうすぐ8月15日、終戦記念日だ。

今60代以上の人達は、子供の頃、明日自分が死ぬかもしれない恐怖を生き抜いた。お父さん、お母さん、友だち、恋人・・・・・・昨日まで元気だった人が次々と死に、いなくなっていく。どんなに怖いことだろう!それに比べたら、今私のもつ恐怖なんて!!

この平和な日本に生まれたのは、宝くじに当たるくらい貴重なことかもしれない。

人々は「戦争」と対比して「平和」を語る。「平和」は「幸せ」の象徴とされている。

でも私は、今幸せを感じられない。

それは私の感覚がおかしいの?

自分を、動物園で飼われている動物のように思うことがある。
外敵におびえることはない。
餌も十分与えられ、
生き抜くために狩りをする必要はない。
そんな”恵まれた”環境にいる動物達の社会に、今の平和な日本は似ていないかと。

確かに爆弾は落ちてこない。
明日もあさっても10年後も、両親は、彼氏は、高い確率で生き続けているだろう。
それでも、私は、なぜこの辛い世の中を生き続けなければならないのかと疑問に思う。

爆弾は落ちてこなくても、私は恐怖に怯えながらずっと生きてきた。どこへ行っても、何をしていても人の目が怖かった。私の目に映る世界は、恐怖や苦痛の種で溢れている。私の感覚がおかしいの?
今でも、一番怖いのは母親だ。過干渉でヒステリック。敬うべき存在が、一番の恐怖の対象。私の感覚がおかしいの?

幸せを感じ取るためのセンサーが鈍ってるって?平和って幸せなんじゃないの?
タグ: 幸せ
親と喧嘩した後はこのCDがいい。聞くともなしにひたすらぼーっとしていたら、なんとか復活。

Nurturing Your Inner Child
アーチスト: Steven Halpern
発売元: Steven Halpern's Inner Peace Music
価格: ¥ 1,883
発売日: 1994/03/28
今はもう落ち着いた。なんだか、お盆に帰省することになってしまったけど。

さっきの電話の毒出し

(お盆に会いたくないという話をした後)
母:普通の親子ってこんなんじゃないよ。あんたはどうしてこんな子に・・・
私:普通って、私が小さい頃の話をすると、普通の人はみんなびっくりするよ。
母:たとえば?
私:たとえば・・・洗濯物を干すとき、必ずハンガーは左向きにしないと怒られたとか。
母:怒ってない。ただ注意してみようかなと思っただけ。
  しかも、あんたが一体何回洗濯物干してくれた?
  滅多になかった!
  洗濯物干してもらったことなんてほとんどない!!
私:そんなこと関係ない。とにかくそういう些細なことで怒られてばかりだったということ。
母:そんなことした記憶はない。被害妄想じゃないの?

まるでセクハラ訴訟のようだ。いつものパターン。辛かったことを正面から言おうとしても、「記憶にない」か、別の話にすりかえられて終わってしまう。

「あんたのためを思って」全部してきたのに、避けられる理由がまったく分からないんだって。一度本音で話をしたいという。私もいい機会だから、このお盆には実家に帰って対決してきたいと思う。

それまでに、苦しいけど、親に対して思うことを、紙に、箇条書きで、書いておこう。作戦会議だ。
昨日は本当に夜10時に寝た。目が覚めたら4時半で、「あ、まだ寝れる」と思った。「オイオイ、起きるんでしょう」と理性がツッコミを入れると
「起きるのもったいないじゃん!!!」
と強烈な反撃が。なんだコレは。

睡眠時間の問題ではないのだ。朝5時に寝て11時に起きる時には感じたことのない抵抗感。

これは、本当に朝が怖かった日々に染みついた、ココロの癖だな。仕事や学校が嫌で朝起きるのが怖かった。今は、何も怖いものはないのに、朝起きることへのものすごい抵抗感。

こんなココロの癖は損だな。本当は、朝起きるのって、気持ちがいいことのはずなんだ。

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私は昔納豆が食べられなかった。でも見栄を張って、友達に、私も食べれるようになった、って言ってしまった。食べてみろ、ということになって、平気なフリして食べていたら、おいしさが分かるようになってしまった。

だから、案外、食べ物そのものの好き嫌いよりも、食べさせられている(強制)か、食べようとする(意志)のかによって、苦痛か快楽かが変わってくるのではないか。

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朝起きるのが死ぬほど辛かったのも、無理矢理起こされていたからじゃないかと思う。

「子供を起こしてあげるやさしい母親」???冗談じゃない。「自分で起きる」機会を奪い、「起こされる」苦痛しか与えなかった。その結果、起きることへの恐怖感を植え付けたのだ。それもかなり幼い時点で。

もちろん、甘やかされていただけともいえる。確かに私にも選択権があった。だけど、私は、親の影響をものすごくうける性格だったから、そういう受け止め方になってしまう。

これから、その呪縛を解くんだ。絶対。

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