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柳は緑、花は紅

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Twitterには書いてたけど
  • 彼と口げんかして、「君はガラパゴス的な人だね」といわれたw 外の影響を受けず、、、人と関わって柔軟になることなく、独自の進化を遂げた感じだとか。たしかに!(笑) posted at 23:47:05
  • 最近、2つのNGワードを言わないことを心がけていた。「~ねばならない」と「でも、」。「~ねばならない」は文末だから比較的避けるのは楽なんだけど、「でも」はつい口走っちゃう。 posted at 23:49:12
  • 何を言っても「でも~」って言うものだから、彼はいつも自分の意見が否定されている気がしていた模様・・・。そこで、これからは「そうだよね」で受ける癖をつけることにした。「~を言わない」より、「~を言う」ほうが簡単。 posted at 23:52:57
  • #quote 人間関係でいちばん大切なのは、 「そうですよね、わかりますよ」という言葉by 斉藤一人 posted at 23:56:53
  • で、斉藤一人さんの講演を抜粋してるブログによると、「これは、口ぐせにしないと、なかなかこの技は使いこなせません。だから、ひまなときに、「そうだよね、わかるよ」とシャドーボクシングのようにね、繰り返して言ってみてください(笑)」って。 posted at 00:00:31
  • ルイーズさんが"I LOVE MYSELF"って、一日最低300回言うようにって、、、、、、そのとおりやってわかった。それは癖にするためだったんだって。癖になれば、その言葉は自分の一部になる。自分にかける言葉だけじゃなく、人にかける言葉も一緒かー。 posted at 00:03:55
  • 言葉がクリエイティブだというのは、そういうことか。 posted at 00:04:14

「そうだよね(そうですよね)」を意識して使うようにしたら、人間関係がめちゃめちゃスムーズにいくようになった・・・。こんなことだけで変わるのか?というくらいに。

アファーメーションやり続けたおかげもあるのだろう。これまで唱えていたのは、「自分を認める」言葉だった。

同じことを、「他の人を認める」言葉でやったら、世界が変わり始めた!でも斉藤一人さんが言うように、普段いわない言葉って口癖にしないと自然には出てこないもの。そこに、アファーメーションのテクニックが応用できる。ルイーズさんから学んだことは、唱え続けた言葉は、自分の一部になるってことだった。

私はいまだに会話が得意ではないけど、「人を認める」ようなリアクションをあらかじめ準備しておくだけで大きく変わるんだ。(そうしないと無意識に出るのは否定する言葉だからね・・・)。これ続けていけば、その優しい言葉がきっと自然に出るようになって、私そのものになるんだよ。言葉って本当に「クリエイティブ」なのだと心から思う。

この一連の気づきのきっかけになったのがこの本。

リズ山崎
サンクチュアリパプリッシング
発売日:2008-08-08


「『でも』を禁句にする」とか、「『すみません』をほかの言葉に言い換える」とか、ちょっとした意識だけでできて、即効果を実感できる生活の知恵がたくさん(こう書くと、ありきたりに聞こえるけど、結構対人恐怖者を念頭において言葉選んでるんじゃないかと思える部分があり、やってみようっていう気になりやすかった)。

私はたまたま「言葉」が取っつきやすいのでそっちに目がいってるけど、「物音を立てずに動く」とか、特に言葉の使い方に限らないアドバイスも多い。
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最近、男の人が親切にしてくれるようになってきた。先日も実家に帰ったとき、デッキに立ってたら、わざわざ「席あいてますよ」って呼びに来てくれた男性の人がいたりして(さすがに怖いから笑顔で断ったけど)。会社でも、男性社員の態度、変わったと思う。それは私が会話に構えなくなったせいなのか、外見のせいなのかはよく分からないけど。

本当に若かった頃、綺麗な格好してなかったから、そういう経験なくて・・・今、すごく新鮮。外見ってそんなに大きいのか!!!

今対人恐怖の人いたら、お金と時間かけるところはメンタル面じゃないよって言いたい。カラーカウンセリングいくなり、メイク習うなり、ショッピング同行してもらうなりして、強引に装いを変えるといいと思う。絶対。

だって、男性に丁寧に扱ってもらえたり、褒められたりしてれば、自信なんて後からついてくるから!メンタル面の変化を直接起こそうとするのは、効率的に見えて、実は遠回りかもしれない。
今日はこの記事に書いた人からメールが来た!近々会うことになりそう。嬉しい!!!友達といえる人と会うなんて!!!(知り合いと友達の境目ってなに?)

メールのやりとりして思ったんだけど、なんと楽に、早く、心を込めてメールを書けるようになったことだろう。そういうところにも、自分の変化を感じる。対人恐怖の氷解の効果って、しゃべるときだけじゃない。

メールのやりとりのコツは、このブログのコメント欄で育てていただいたと思う。今だから言うけどコメント欄のやりとりって得意じゃなかった。なにを書いたらいいんだーってなっちゃって。雑談できない思考回路と同じだもんね。途中コメント欄閉鎖してた時期もあった。

でも今は、いろんな反応いただけるのが楽しいし、その返信も楽に、楽しんでできてる。ブログに育ててもらったなあと思う瞬間。感謝!!!

そういえば最近このブログのプロフィールを変更したいなーとずっと思ってる。対人恐怖が問題じゃなくなりました、ってちゃんと書きたい(対人恐怖は「治る」ものじゃなかった!)。
私はずっと人目が怖かった。人に見られるのが怖いと、人を見ることもできなくなるのだ。他人の視線が自分にとって凶器だから、その凶器を自分が振り回すなんて、そんな申し訳ないことできない、ってことなのかな。。。(ちょっと違う?うまく説明できない)

物理的には目を開きながら、いかに目の前のものを「見ない」ことにエネルギーを注いできたことか。見たくなかった。たぶん、何かに気づいてそれに対処しなければならないのが怖かった。

今好きな人は、人の事をよく見る。彼のことを好きになるずっと前から、彼が私の席のそばを通り過ぎるとき、私のモニターに映ってる内容、机の上に出てる資料、私の表情、何から何までぜんーぶ見られているようで、正直、ものすごく居心地が悪かった。今だから告白するけれど、、、、、、12月にキネシを受けたときの一番聞きたかったテーマの一つだった。その人が苦手です、怖いです、緊張しないにはどうしたらいいですかって!!(キネシの結果は、「ただ性格が違うだけ。合わないものは合わないと割り切る。特に気を使う必要はない。普段の自分でいればいい。」だった)

まさかその数ヶ月後にこんなに変わるなんて。だって、今私その人から仕事内容じーっと見られても平気。むしろ嬉しい。赤くなっちゃうこともあるけど、それでも構わない。だって見られて赤くなるのが私なんだもん。ぐちゃぐちゃに書き込んでた手帳を見ようとしてきたとき(もちろんそれは黙ってじゃなく、話しながら)は、手で隠してだめですーって、それで平気。

で、前のエントリとも関係するんだけど、人に優しくするには、まずその人について知らないと、何も始まらないんだよね・・・。

自分が見られることに過敏じゃなくなってきたら、あ、人を見ていいんだって思った。むしろ、見ることから始まるんだ。。。目を開こう。見て分かる情報に意識を向けていこう。

いかに今までふわふわ現実離れしてたかってことだよね。はっ、、、もしかしてこれがグラウンディング効果?
思い切って、ある多人数参加型の講習会みたいなものに今日、明日と参加。まだ明日もあるので詳しく書かないけど、、、、、、少し自分に負担をかけてしまった。

いろいろできることが増えたとはいえ、まだこういうのは自分にはハードル高いんだな、とわかった。キネシにしてもリバーシングにしても、ここ数年、マンツーマンのしか選んでこなかったのは、今まで数え切れないほどクラス形式の学校、講習会などに挫折してきたから。

久々に参加した講習会的なもの、今までに比べれば驚異的に元気で過ごせたんだけど、、、、、、やっぱりまだ周りの人からの影響を受けやすくて、疲れてしまう。人目、気になる(ほんと以前に比べたらまったく問題ないんだけどね、たぶん、普通の人でも、アウェイの状況だとそうなるっていうレベルなのかも)。ほんとは1時間過ぎたくらいでもう帰りたくなってた・・・。

それに、何度も眠りそうになってしまった。(そういえば前回のリバーシングでも何度も眠りかけて、りょうこさんから、それは無意識に抵抗してるんだって教えてもらった。うん、今日もそうだったんだと思う。)

帰りに満開の桜を見れて嬉しかった。


なんだか最近とても眠いのね。今日明日、徹底的に眠る日にすればよかったなぁ。。。でも明日も行く。せっかくの機会だし。そう思えるっていうのも進歩だと思う。

好きな人のことが気になってメール送りたいけど、疲れてるときに送ってもろくなことないから我慢・・・。
わー昨日も何もせず寝てしまった・・・。副業の仕事がないのが久々で解放感にひたってるということもあるんだろうけど。。。。(ローフードの順番にしたがって)バナナ1本たべただけで、サラダも食べずに寝てた・・・。

昨日は、一日が終わってみても、好きな人からの初メールによるHappy感のまま過ごせた感じ。仕事が忙しかったので、好きな人ともそんなにはしゃべれなかったけど、その人だけにとどまらず、社内の多くの人と自然な感じで会話できるようになったことを、いろんな局面で感じた日。

あ、そのまんまの自分、出していいんじゃん、ということが腑に落ちた。なんで今まで出せなかったのかな?ここまでは出していい、っていうレベルがどんどん下に落ちてきてる。まだとっさに保身に入ったり、ごまかしちゃったりするけれど、それは習慣的なもので、これからどんどん手放していけばいい。

ほんと、生きるのが劇的に楽になった。

急に楽にしゃべれるようになった変化って、今の私の感覚だと、口でも喉でもなく、頭(脳)の働きが変わったのが大きいと思う。思考のクリア感がハンパじゃない。

今までは、霞の中で考えているようなものだった。全身緊張してるから頭だって働かないし、その働かない頭で、人にどう思われるかとか、赤面してるだとか、ほんといろんなことを考えてて、頭の中ぐちゃぐちゃだった。話の内容そのものに振り向けられてた思考能力なんてほんの少しだったみたい。

そうか、ブロックは、緊張だったのか。

私最近ほとんど緊張してない。相手がイライラしてても微笑んでいることができるくらい。今好きな人がいつも落ち着いている人で、その人の態度を無意識にモデリングしてるっていうのもあるんだろうな。緊張していないポーズ、をとるだけで、緊張しなくなるっていうのは確かにある。わたしの場合は基本いつも笑顔なので、それが消えてたら、あ緊張してるってわかり、とりあえず口角上げてみる。

緊張感が緩和されために、本来の頭の回転、働きみたいなのを、人の中にいても出せるようになってきた、ってことらしい。
今日はちょっと傷つくことがあり、また涙が止まらなくなり、こんなの楽しめるわけなくない?とか思いそうになったけど、これはゲームなんだ、こんな日にも、いくつ楽しいことを見つけられるかっていうゲームなんだって自分に言い聞かせた。

すると降りてきた、またアイデアが。「苦しんでるのは私だけじゃない」って・・・。タテマエ以上の意味でこの言葉を理解したのは初めて。

昨日の記事の続きになるけれど、人が「あえて」楽しもうとするのはなぜだろう。。。。。。苦しみや不安や悩みを抱えてるからじゃん!私から見れば普通に見える人も、みんな何かで悩んでて、もがいてるけど、それ見せないだけじゃん。楽しむっていう意思で、目の前のことに向き合ってるんじゃん。。。。。。

だから、私も笑っていようと思った。

対人恐怖者以外の人の「苦しみ」が初めてリアルにイメージできた。
そう、さっきの仕事の記事にも書いたけど、楽しむって最近のキーワード。

好きな人の行動を観察してたら、いつも楽しもうって「あえて」工夫してるのが分かってきた。

けっ、対人恐怖じゃない普通の人って、お気楽でいつも笑っていていいよね!とか思ってたけど、、、、、、、そうじゃないことに31歳にして初めて気づいた。楽しもうという意識があるかないか、そこにエネルギーと頭を使うか、っていう問題だったみたい。

どんなときも、面白いことに気をとめられる心の余裕を作っておくこと。ありふれた日常の中でも、面白いこと、楽しいことを積極的に見つける努力をすること。良い面、明るい面を見ようと心がけること。どう思われるかなんて関係なしに、それを表現する勇気を持つこと。

つまり、生きる態度の問題だったんだ。

だから私も、次はそうなっていきたい。ようやく人目も赤面も気にならなくなったから、次は楽しむ方向へ。(実際は毎日赤面してるし挙動不審になるよ!でも自分的にはもう文字通り「気にならない」の。自分が人前でうまく振る舞えないことは、もう大した問題じゃないの。対人恐怖からの脱出がこういう形で起こるとは、、、、、頭では知っていたけど、本当にそうなった)

仕事(家&会社)も、人との関わりも、成長も、恋も、生きる時間すべてを楽しみたい。(理想は高く、ということで^^)
Q&A: 私は他人を見下す、傲慢な人間です。 | 福島麻紀子のハッピー・メッセージ

私と似た道程にある人(たち)発見。やっぱり勇気が必要なんだね。ひとりじゃないっていうだけで勇気出る気がする。ありがとう。
対人恐怖関係の情報の検索なんてもうずいぶん長いことしていなかったのに、今日「対人恐怖症が治りました 」というサイトに辿りつけた。まさに今私が求めていた情報、、、、、、ほんとに必要な情報は与えられる。

今の会社での課題はもっぱら「会話」。被害者ぶって落ち込む段階は乗り越えた。目指すべき方向は分かってた。"Bless ○○さん with love" (○○さんは、緊張の対象=そのとき話してる相手。) (もちろんYou Can Heal Your Lifeからの発想なんだけど、先日立ち読みしたオノヨーコの「今あなたに知ってもらいたいこと」にも、そうやって厳しい時期を乗り越えたとあってびっくりした。)

目を合わさないこと、見もしないことが、「愛を与えない」選択で、LOVEとは真逆の態度だってことは認識してた。でも見るのが怖い。せっかく話しかけてくれても固まってしまう。なにも言葉が出てこない。しょうがないからいつもとびきりの笑顔だけは心がけてるから、たぶん、悪い方には思われてない、、、、、、(アホだと思われたとしても)。でもその甘えを抜きにすれば、「人を人とも思わない振る舞い」になってしまってて、どうにかそんな自分を変えたかった。

一度、我慢することに力を注ぐのをやめて、本音で真剣に会話することに力を注いでください。きっと楽しいはずです。本を読めばいろいろ書いてあって理解は出来ますが、実行しなければ先へは進めません。

勇気をもって本音で話をして下さい。
薄々わかってたけど、、、ていうか実際のところ、最近その方向にむかって少しずつしてるけど、怖くて、言語化できてなかった。本音で真剣に。お茶にごしたり、一見スムーズな会話とかじゃないんだ。「勇気」出すべきところだったんだ。

誰かと会話する時は、自分を成長させるチャンス

・プラス思考で考えて会話する
・人の話を真剣に聞く
・人と話す時、相手は自分からの愛情がほしいのだと思って話す
・出来るだけ自分のプライベートのことを話す
・相手を自分の鏡だと思って話をする(自分の悪いところを発見してくれて、自分に教えてくれるという意味です。例えば、朝、起きた時に寝癖がついていて自分では分からずに、そのまま会社に行くと恥じをかきますが、鏡を見ることで、寝癖に気付いて自分で寝癖を治すことができます。)

誰かと話をしていて少し疲れたなーと思ったら、自分のことばかり考えていると思うと良いと思います。良く考えると疲れる原因は、自分が相手にどう思われているのかとか、嫌われないかとか、自分のことばかり考えている時があります。
ちょっと長いけど、重要だと思ったので引用。
わたしは人と話すだけでテンパる。それはいいとして、そのときは、とりあえず人の話を真剣に聞けばいいんだ("With LOVE!")。

でも相手がコミュニケーション能力高い人であるほど、私に話を振ってくる・・・何か聞かれると、私、それだけで、襲われたような気分になってしまい、笑ってごまかすか、どうでもいい定番回答が思いつけばそれを言ってる。。。。。

プライベートのことや本当の気持ちを、私は絶対いわない。(人はわかるのか、私にプライベートのことを聞く人はいなくなってしまった。)プライベートのことって話せない、怖い、はあ・・・。でも、そうなんだろうな。いいなーこの人みたいに話せるようになりたいなーってうらやましく思うような人って、大体、聞いてもいないのに、プライベートなこと話してくれるものだもんな。。。そっちの方向なのか・・・怖い。。。。

例えば、なぜか意識してしまう人が隣に居たとしたら、その人に対しての愛情が足りないということなので、意識しないように努力(間違った努力)するのではなく、愛情を持って会話する努力をしましょう。うまくいけば、気分が晴れてきて心が満たされるはずです。
これとかって、対人恐怖へのもう唯一といっていいくらいの解決策なんじゃないか?

迷惑は、充分かけています。いまさら気を使うこともないでしょう。愛情を持って話さない方が、これから先もっと迷惑かけるはずです。自分のことばかり考えないで、人はあなたからの愛情がほしいのだから愛情を与えてあげましょう。
ほんとにそう。私は最近、いつもこころの中でまわりの人に謝ってる。。。。。。こんな扱いにくい人間でごめんなさいって。迷惑かけてごめんなさいって。謝るくらいなら、素直に愛を表現・・・・(怖い!)。でもすぐできなくたっていいんだよね。とりあえず、目標地点はこれなんだ。

この人も、「自分を好きになること」を強調されてる。年末に"I approve of myself"のアファーメーションを集中的にやったおかげで、「自分が大好きです」についてはついに違和感なく思えるようになった。この方向でいけば、対人恐怖もそのうち緩和されるんだ。希望が出てきた!
今日いつものように自席でガチガチになってるときに、ふと思いついた言葉。

「全身を緊張させてるのは、私を守るためなんだよね。ありがとうね。」

・・・何かが氷解。

それで、赤面したり、挙動不審になるたびに「緊張してくれてありがとう」「守ってくれてありがとう」って言ってあげることにした。不思議と体が緩む。息(緊張状態になると息がしにくくなる)を普通の状態に整えてくれる、つまりリラックスするみたい。赤面もいつもより早く引いてくれた。

そうだよね。今まで、緊張することを悪いことだとばかり思っていて、対人恐怖を「克服する」とか言って、敵対するスタンスで長年もがいてきた。ここ数年、ルイーズさんの影響もあって「自分を否定しない」を最優先にしてからもせいぜい、対人恐怖から「抜け出す」と言ってた。でもそれも、不運にも落ち込んでしまった不本意な状況から脱出したいっていう魂胆は同じだったんだ。

***

本当のわたしはこんなんじゃない・・・(!)私は、自分の対人緊張を「異常」なものだとずっとずっと思っていた。緊張してしまう自分と、それを矯正しようとする自分とで、いつも分断されていた。でも「私のことを思ってる」っていう意味でわたしは一つだったんだ。

対人緊張を克服しないと、自分の人生は始まらないと思っていた頃もあったけれど・・・・・・私は、もしかしたら、死ぬまで、人と気負わずに接するなんてことはできないかもしれない。うん、少なくとも、生まれつき人間大好きっていう人がそうであるようにはなれないや。それは、私がいくらがんばったって歌手みたいに歌えるようにはならないだろうっていうのと同じで。

結局、ハンデのある人生なんだ。人との関わりでハンデがあるってほんと痛い。。。。。。イタイ。気のおけない友人っていうのも、一生できないかもしれない。でも、そういう自分で死ぬまで生きるとして、じゃあ、どういう環境を選べば生きやすいの?どんな仕事だったらやりやすいの?仕事以外の時間は何やってたら楽しい?っていうのを本気で考えたいと思う。それが自分に与えられた人生だから。
「笑顔を振り撒く」 vs. 「ただ微笑んでいる」

「笑顔を振り撒く」が私がこれまでやってきたこと。対象に向けてのサービスとしての笑顔。気に入ってもらうための、嫌われないための、よく思われるための。これからその笑顔を使わないとは言わないけど、あまり綺麗な動機からくるものではない、ということは意識していよう。

これから心がけるのは「ただ微笑んでいる」ことだ。何の理由もなくても、誰に見せるためでもなく、自然発生的にいつも微笑んでるような状態にしたいな。

You Can Heal Your LifeのDVD見て良かったと思うのは、最初の方で大きな花束持った超幸せそうなおばちゃんが歩いてくる映像があって、そのおばちゃんの姿がなぜか目に焼きついたこと。(DVDそのものはね・・・私はよくわかんない。なぜそんなに絶賛されてるのか。時間をおいてまた見てみるつもり)

見てからずいぶん時間経ったけど、気づくとそのおばちゃんが私のお手本になっていた。
今週、特に役立ってると感じるのは「幸運体質になれる瞑想CDブック」のp66に載ってる「オーラを広げる」エクササイズ。その最後にポジティブな言葉を言うんだけど、その言葉が強力。

本に書いてあるのそのままじゃないんだけど、「光、愛、平和(←その時の気分でいろいろ)だけが私の中と周囲(←オーラのイメージ)に存在できます。すべての恐れ、不安、心の中の暗闇(←その時の気分でいろいろ)は祝福され、癒され、宇宙に解き放たれます」みたいなの。会社で対人恐怖に捉われそうになると、心の中でこれ唱える。

最初これ読んだとき、光?愛?平和?そんな嘘くさいこと言っても意味ないんじゃと思ったんだけど、とにかく書いてあるとおりにやってみてその効果にびっくりした。

人に会いそうな場所に行くとき、心の中で「怖くない、怖くない」と言い聞かせるのが癖になってるけど、それってアファーメーション的にもNG。恐怖を恐れながら、恐怖のことしか考えてない。それほどまで関心を向けてる対象が、頭から消えるはずないじゃない?

だから、恐怖を和らげるには、恐怖にフォーカスするんじゃなく、自分の中にあってほしい感情をイメージするといいみたい。とはいっても、恐怖に捉われながら恐怖以外のものをイメージするのは本当に難しい。だから、嘘くさくても「白い光」や「愛」や「平和」や「調和」や「喜び」が、自分の中に存在するって言葉で表現してみる。言葉にするとイメージできる。イメージできると、自然と怖さが消えていく。
久々に布団を上げたら布団の裏がかびだらけだった。ジーパン買いにいったら、ウエスト71.5cmのしか入らなかった。それに、歩くだけで膝の関節痛いし、体もだるいのだ。

いくとこまでいくと、、、心からやばいって思うと、ようやく、重い腰をあげられるから良い。正直ほっとしてる。

今日はかなり部屋を片付けられた。彼が手伝ってくれた。愛想尽かさない彼は偉い。それにしても私は一人だと何をどうしたら片付くのかがさっぱり分からないのだが、彼に指示をしてもらってそのとおりにするとなぜか片付く。

それにしても胃が痛い。おなかもここ数日ずっと壊れてる。お腹痛い。頭も痛い。明日が怖い。どうしたらいいんだろうね・・・。行くしかないのなら、嫌々じゃなくて、楽しめたらいいんだけどね・・・人とどう接したらいいんだか、本当にわからない。。。

前よりも雑談みたいなのがラクにできるようになった。以前だったら「そうですね(にっこり)」だけで会話が途切れていたところを、今は何か言う。会話が続く。最初はそれだけで嬉しかった。

でも、私の言葉を受けて、相手の顔が呆れているような、蔑んでいるような表情に変わることが多い・・・。それだけじゃなく、急に嫌味を言われたりする。ワタシは何か間違ってることを言ってるみたい。何がいけないのか私には分からない。心がくじけそう。何も言えないときのほうが楽だった。
一歩抜け出したと書いたけど、、、だからこそ、まだ辛い。

人との関係の中で生きてるっていうことが、おぼろげながら理解できるようになりつつあって、見える世界が変わってきてる。その見える世界のおぞましいこと。

自分のやったことがそのまま自分に返ってくるだけだ、ということは理解した。自分が変わればいいだけなんだったら、ポジティブになれそうじゃん?ところがそれが難しい。

今は自分の未熟さゆえに、人に毒を(今までの習慣で)投げつけてしまい、それがそのまま返される。仕返しされる。それだけじゃなく、私は今までみたいにオドオドしてばかりじゃなく、はっきり思ったことを言ってしまったりする。人は、恨みを持った人は本当に怖い。なんでそんなことするんだろうということを、する。今までは私は部外者だったから、人がそれをするのを傍観してただけだった。今は自分も攻撃対象にされる。人間がまた別の意味で怖くなりつつある。

それでも、それはただ自分の問題が投影されているだけで自分が変わればなくなること、、、、という視点を持っているから、人を恨まずにすめることは幸いだけど・・・・・・やっぱりすべてを許すのは難しいし、まだ、時間がかかる。その場ですべてを受け止められたら本当にラクになると思うんだけど・・・


ただ、本当にオトナな人(という言葉はおかしいけど)は、こんな私にも優しい。それだけは本当にそう。私みたいな未熟者に対して、みじめな気持ちにさせるような言動は絶対しないし、逆に重要感を持たせてくれる。私もいつかそっちの側に立ちたい。
このところ、買い物したらレジの人に「ありがとう」って言おう!っていうプチ目標に励んでた。

でもどうしても、「どうも」とか「ありがとうございます」になっちゃう。「ありがとうございます」はニュートラルな言葉だけど、「ありがとう」って目上から目下へか、対等な関係でしか使えない言葉。私は自分が店員より上に立つ感じがする言葉を使うことに抵抗があって、自分より年下の店員に対しても「ありがとう」って言えない・・・。

かといって、「ありがとうございます」って、店員が客に向かっていう決まり文句で、それを客が言うのってどうなのよ?という思いもあるし、対等な立場に自分を位置づけられない自信のなさを露呈しているような気がして余計挙動不審に。。。。。。

今日100円ショップに行ったとき、とても若い、高校生?って思うようなレジの女の子に勇気をふりしぼって「ありがとう」って初めて言った。

なんだかあっけなかった。そして理解した。あるシチュエーションで使う言葉を1つに決める必要ないわ。やっぱり、私が年上の店員さんに「ありがとう」って言うのは不自然。言葉は相手に合わせて、そして自分に合わせて変えるべきなんだ。会話とは決まったセリフを吐くことじゃないらしい。

その後、別の店では微笑みながら「どうも」って言ってすごーく自然に店を出れた。そんなんでいいらしい。

レジで微笑んでいられるようになったのは、ごく最近の私の進歩。そもそもこれまでは緊張しててガチガチな状態で、そんな怖い顔で口だけ「ありがとうございます」って言われてもねえ・・・。

どこでも微笑んでいられるのは幸せ。あとは、、、目が自然に見られるようになるといいんだけど。


ずいぶん前に本は買って積読になってたんだけど、本人朗読のオーディオブックが出たというので買って聞いてみた。

いろんなヒントはいただけたけど、、、疲れた。。。。

この人は上昇志向のかたまりのような人だ。この人の情報の見せ方は私は好きだし、こういう方向に共感もする。でも私とエネルギーが違いすぎるせいか、聞いてるだけでひどく疲れてきてしまう。今だってともすれば死にたい、消えたい、という方に思考が向かってしまうのに、この人エネルギッシュすぎ。

この人に限らないけど、人生楽しんでる人の目を通して見る世界には、対人恐怖的な思考や悩みがまったく登場しない。私が人生の大半を注ぎ込んできてきた「努力」は、、、私にとってはこんなにリアルに存在してるものなのに、ないことになってて。知らない街に迷い込んだような違和感がある。

その世界では、、、、私が必死に「視線をどこへやるべきか」とか考えてる間に、はるか上の次元で(と対人恐怖的な私には見えるが、実際には上ではなく、単純に今目の前の現実について)悩んだり努力とか積み重ねているわけで。それを思うとなんだか途方にくれてしまうのだ。

そういう私的な事情がなければ、きっと面白く聞けるオーディオブックだったんだろうな、、、と思う。本人朗読って、読みが上手い下手は別として、その人のエネルギーが強く伝わってくるから、今の私はエネルギー負け?してる以上、余計辛かったんだと思う。素直に本で読む分には情報だけ入手できたのに。

同じ本人朗読のLouise HayさんのYou Can Heal Your Lifeは読みも上手いんだけど、やはり内容が、徹底的にLOVE YOURSELFのメッセージなので、弱ってるときに聴くと元気付けられるんだと思う。だから何度も、何度も、何度も繰り返し聴いてる。情報を得るためじゃないものね・・・。ただ癒されるために聴く。するとふと気づきが得られる瞬間がある。
人との会話はいまだに苦手。そんな中でほっとする一時は決まり言葉を言うとき。

「おはようございます」
「お先に失礼します」
「お疲れ様でした」
「ありがとうございます」
「申し訳ありません」

決まり言葉だから、決まってるから、これだけは自信持って発言できる。最近では、「あけましておめでとうございます、本年もよろしくお願いします」なんて長文は、自分がちゃんとした人間になったみたいで最高に気持ちよかった・・・・・・。普段そんなに長い間自信もって発言してることないんだもの。

挨拶なら、私は単純に記号だと思ってるし、大概の人もそうだろうから特に良心の呵責なんて感じない。でも「ありがとう」や「ごめんなさい」は・・・・・・。

私が「ありがとうございます」って言うときの、私の目の中は空洞だと思う。表情はそりゃもう、心から感謝してるような顔作ってるけどさ。演技なの。

良心の呵責というわけじゃないな、、、、、、私の頭の中には、相手に失礼と思われないための決まり文句がストックされてて、単純にそれを組み合わせて作文してるだけ。普通の人(って言いたくないけど)は、きっとこんな風に会話してるんじゃないんだろうな、という引け目。
小さい頃から他人との接触で感じていたもやもやが突然、「まともに相手にされてない」感だと気づいた(言葉になった)。

あーこいつに話しても無理だ、という諦めの顔。ほかの(共通言語を話す)人がきたときの安堵の顔。(あれ、具体的にはまだよく表現できないな。)

そして、そういう扱いをする「みんな」に対しての怒り。もっと私を重要人物として扱ってよ・・・!

私の中には、自分でも気づいてなかった怒りがいっぱい溜まってる!!!

今までその発想はなかった。
軽んじられることに腹を立てるなんて格好悪すぎ、みじめすぎだろ、ってところかな。
大きな変化が起こっている途中なのに、一方でものすごく冷めている。
こないだ本棚が来てからというもの、暮らし自体が変わってしまったかのよう。
一言で言うのは難しいけど、私にとって「ウチ」というものの意味が変わってきてる。
忌まわしいもの、手出しできないもの、じゃなくて、自分の好きなように変えられるものとして見られるようになってきているみたい。

相変わらず家の半分はゴミ部屋なんだけど、もう私の頭の中に、プランがある。
少しずつ「好き!」って思えるもので塗り替えていく。
それになにより、それに注ぐエネルギーがある!

最近は洗濯物干すのもそれほどは苦労しなくなったし、
皿洗いも前みたいに1ヶ月近くためることはなくなった。1週間くらいは平気でためるけど。
らでぃっしゅぼーや毎週とって、少しずつ台所に立つ機会を増やしてる。
(相変わらず食材捨てることは多いけど)

冷静に考えると、大きな変化が起こってるらしいのに、
私ってものは変わらないんだな、って思う。

人の中にいるときの疎外感や劣等感。
疎外感。
私は何しにここ(地球)に来たんだっけ・・・。
相変わらず、私は完全にここで迷子なのだ。

特に何もしたくないし、ここに居残る理由が見つからない。
でも、特にこの世の中でひどい目にあっているわけじゃないから、
積極的に死ぬほどの意味も見つからない。

ここにまだいなければならないとすると、最低限のお金が必要で、とりあえず会社行くよね。
人との会話が怖いから、うわべだけ取り繕って、仕事の「中身」だけやって帰ってくるよね。

私は友達とかいないから、そのまま家帰ってきて、
上に書いたみたいに、なんか最近バタンキューしなくてよくなったから、
じゃあ、ゴミ部屋脱出プロジェクトなんかやっちゃって、
インテリアでこれ好き!ってのをそろえてみたり、
自分の好きな料理くらいは作れるようになったりしてね、、、、
そうだね、いつかは猫も飼いたいな。

って、そんなことに何の意味があるのか分からない。
いなくなれるのなら、いなくなりたいのに、消えれないから仮の住処を居心地良く・・・
人生そのものが壮大なひまつぶし?

人との心の交流みたいなのが、欠けているらしいけど、あったらあったで面倒だ。
勉強会も、会社も、相変わらず、ものすごい緊張感と劣等感感じながら、
世間に一応参加させていただいてますけど、、、、、、
疎外感を感じるばかり。
2008.09.26 00:55 | 対人恐怖 | トラックバック(-) | コメント(-) | edit |
過去との決別もいいけれど、今、一番興味があるのは、なぜこんなにも私は人に興味がないのか、ってことだ。

ほんとに、自分を観察してると、いかに視線が内面にしか向いていないかにあきれ果てるほどだ。視線恐怖っていうよりか、自分の視線をどこにやればいいか恐怖。他人の視線になり代わって、自分が自分を見続けている。他人なんか実はまるで見てないし、ほんっと、どーでもいいと思ってる。自分に危害を加えさえしなければね。人が動かしているらしい?社会の出来事にもさっぱり興味がない。

大体、よくパニック映画とかが作られるらしいけれど、私は地球が明日滅亡したとしても、別にどーでもいい。でも明日自分が路頭に迷ってひもじい思いとか、痛い思いとか、屈辱的な思いとかをするとしたら大問題!

なんでそこまで外の世界、自分以外の人に興味がないのか。それに今とても興味がある。いやなぜかなんてどうでもいい、どうしたら人に純粋に興味を持てるようになるのか。興味を持とうと意識して頑張るんじゃなくて。

あ、それと、ヒプノセラピーというキーワードだ。
2008.09.23 23:50 | 対人恐怖 | トラックバック(-) | コメント(-) | edit |
今日の勉強会の後の飲み会の間、なぜか何度も泣き出しそうになった。(実際は涙ぐんだだけ)「憐れみ」という感情が噴き出してきて。誰に対してかって、自分に対して。周りの人の会話を観察してて、普通の人っていうのは、なんて自由に会話をしてるんだろうって、不思議に思った。これを言っちゃいけないだとか、そういう制限何も自分にかけずにしゃべってるんじゃないかって。(実際には気配り、配慮の領域でいろいろあるんだろうけど、あくまでも私にはそう見えた)"Don'ts"にがんじらめになってる私が、あまりに不自由で、可哀想になった。

その憐れみが噴き出す前にまず考えたのは、ああ、自分って馬鹿なんだ、っていうことだった。文章や机上のテストでは、こんなの分からないなんて馬鹿じゃないか(失礼)、って思うような人が、会話の中では、私よりもずっとずっと頭よく感じる。ああ、きっと、会話と読み書きでは、使う頭の領域が違っていて、私は、読み書きの方に偏ってる、会話馬鹿なんだろう、って思った。

でもなんだかしっくりこない。まあ、私は部分的にでも馬鹿じゃないと信じたいってのもある。それで足かせ、ブロック、そんなものにがんじらめになってる自分のイメージがわいてきた。そして次に憐れみ。「正しいことしか表現してはいけない」から、自由に表現できなくなってる。だから、何話していいか分からないのか。

正しくあることに対する強烈なこだわりがすべての邪魔をしてる。私はいつも正しくありたい。間違ってはならない。だから人の間違いも指摘してしまう。人に疎まれる。間違ってはいけないから、どうあるべきか分からない、見本のない、経験のない場所では、固まってしまう。コンピュータみたいに。この「正しくあるべし」というこだわりを捨てたら、なんか、ものすごく大きな変化が起こるんじゃないの?現在の最大のブロックを突き止めてしまった気分だ。



ところで、全然話は変わるけど、FESのトランペットヴァインはすごいかも。これをブレンドしたときは特に深く考えていなくて、ただ、なんとなく写真にひかれただけだったんだけれど、今改めてフラワーエッセンスレパートリーを見てみると、
トランペットヴァインのエッセンスは、話し方が単調で機械的だったり、平板、あるいは萎縮している場合に適用され、どもりなどの言語障害にも有効なことが多い。直接恐れや神経質さを扱うのではないが、威圧されがちだったり恥ずかしがりのために表現を抑えてしまう多くの人に有益だ。(中略)そして、「他人がどう感じるか」「決めつけられるのでは」といったことばかりを気にするよりも、自己の表現そのものに気づきと興味を向けることができるようになる。
これそのままの変化が起こったようだ・・・・・・。ここまで解説の言葉が文字通り効いた!とはっきり分かるのは珍しい。しゃべるのがなんて楽になったことだろう。言葉を発するときに、ほとんど震えなくなってるもの。確かに、「恐れ」が弱くなってる。楽にしゃべれるってことは、結果的にそういうことだから。

しかも、いかに今までの自分(今の自分も)が自由に表現できていなかったかということも、今日、見えた。トランペットヴァイン、盲点だったな。ぴったりな選択だったみたいだ。本当に今、楽。
2008.09.07 01:41 | 対人恐怖 | トラックバック(-) | コメント(-) | edit |
在宅の件が動き出してる。(時間の区切りをつける練習として、今日は2時間で強引に止めたんだけど・・・・・・それでブログ書いて夜更かししてるんだから世話がない)。

私が在宅で仕事をしたいのは、コミュニケーションとはとてもいえないような、「ただ人の中にいること」、、、、、、、たとえば、廊下すれ違うときに目を合わせるべきか否か?今コピー室には誰もいないよね?今のうちに行ってこよう!トイレでもなんでも、席を立とうとするたびに周りの状況窺って、みたいな変な緊張。。。。。。そういうのから逃げ出したくて、なのだ。

で、実際の実務のコミュニケーションはどうかっていうと、実は、一応結果は出せている。やるべきことは、進められている。でも、自分の都合押し付けるばっかりの、気配りのない、失礼なやり方でしかなく、、、、、、、若さと頼りなさで、年上の人の恩情を頂戴してカバーしてるだけだから、全然信頼関係なんか築けてないと思う。

どっちが痛いか、って、まぁ、どっちも痛いんだけどさ、その「コミュニケーション」ってやつ、いくら駄目駄目でも、向いてなくても、若いといえるうちに、場数踏んでおいたほうがいいんじゃないの?ていうか、わたし、これ以上人から離れちゃって本当に大丈夫?って思うんだよね。

スピリチュアルなことからは、最近離れてしまっているけれど、でも、生まれてきたのは、人と関わるためなんじゃないの?って、私の場合は特に、思ったりするのだ。

もちろん、在宅でも人との関わりはあるわけだけど・・・・・・避けようという魂胆で計画的に動いてる自分、なんだかやましい。。。
2008.09.01 22:50 | 対人恐怖 | トラックバック(-) | コメント(-) | edit |
(あいからわらず)昼ごはんが苦痛だ。3人以上なら相槌打ってればいいけれど、2人だと何話していいかわからない。今日もある人と2人で食事、その人が話すのをずっと聞いてた。その人は最後に私の話題にしなくちゃいけないとでも思ったのか「会社に1人は心を許せる人がいないとね」「necoxさんは○○さんと一番仲がいいから、たまには○○さんと2人で食事して本音話すといいよ」って言った。

わたしは確かに席が近いから○○さんと一番話すけど、会話は表面だけ。そんなこと、その人だって知ってると思う。その人は○○さんのことが嫌いみたいだし。

心を許せる人がいる、っていう感覚がわからないんだ。友達づきあいの意味がわからない。友達がいるっていう状態が想像できない。何にも興味なくて、ただ生きてるのが億劫ってことしか考えられないのに、人と何話すの?また「私は普通の人が普通にもってる何かが欠けてる!」っていう思いが頭をかけめぐって叫びだしたくなる。

そういうぐだぐだな精神状態に触れずに場を持たせたいんだったら、テレビ見るか新聞読むかして、世間話のネタを仕入れる努力をすべきなんだろうね。。。ああすべてが面倒くさい。

今は友達なんかほしいと思ってない。めんどくさいし、怖い。そのくせ、”人に壁作ってる”ことをそんな風に指摘されると、暴力的な衝動すらおこる。叫びだしたくなる。私は人が怖いことを隠そうとしてる。認められない。でも怖い。

怖くていいのにね。ニンゲン全般を怖がってます、だから生きるのが毎日苦痛ですってことをカミングアウトしたら、私は何を失うだろう?
対人恐怖っていうレベルではもうないと思ってる。でも、相変わらず「不自由」だ。ハンデがある。人間に対して構えていないらしい人にたいして、嫉妬する。。。

笑さんの以下の文、まったく同じでびっくりした。

そうまでして「情報」をやっと手に入れ、何をするかといえば、「最も”適切そう”なレスポンスを返す」。笑う、頷く、眉をひそめる、視線の方向、自分の声音、話し方、返す内容、等々…「”反応”として考えうる、全ての選択肢」から、ベストでありそうなものをチョイスして、それを出す。

もちろん、反応の選択肢は「私が思いつく限り」の範囲にしかなくて、それが有限であることを、どこかで知っているんですよね。
だから、そうまでして提示したレスポンスに対して、相手がどう反応してくるかを、また「全力で」待ち構える訳です。

返ってきた反応を見て、先ほどの選択が「正しかった」かどうかを厳しくチェックし、「合格」か「不合格」かの判断を下します。(「不合格」だったら、内心、一瞬凹み、また怯んだりします・苦笑)

そうしつつ、また自分が次に出すべきチョイスを行い…以下ループ。


その反応をいくら完璧にやっても、心を開いている人々の自然な反応には絶対かなわないことが分かってることからくる変な劣等感。罪悪感ですらあるかも。しかも、頭の約半分がそっちに割かれているから、人の倍以上頭を回転させても追いつかないというか。

本来、会話の内容に集中しているはずのときに、「私の目の奥が笑っていないことに、この人は気づいているんでは?」と全力で考えていたりする。話した内容よりもそっちを覚えていたりする。

自然でいるっていうのがどういうことなのか見当がつかない。本当は彼といるときだけ、自然体でいられるんだけど、そのときの感覚をほかの人にも拡大するっていうのはちょっと想像できない。笑さんと同じで、親との関係ですでに緊張してるんだもの・・・。だからといって、親に恵まれなかったとかいう話じゃないっていう気は最近してるんだけど。
10年前の私、「話し方教室」に行きたくて東京に出てきたんだった、、、、、、大学入学のため引っ越してきた次の日に生活費をつぎ込んで入学手続きした。

その頃私は、何気ない、普段の雑談の仕方を教えてほしいと思ってた。「友達」といわれる人々とのコミュニケーションの方法がわからなくて、劣等感を感じていた。私はほかの人と何かが違うと思い続けていた。悩みに悩んだ末の結論が「私は話し方が悪いに違いない」だった。。。。。。

これしかない、と思い飛びついたけれど、当時は、「話し方教室」といえば人前でのスピーチを教えるところだった。1年弱通って、私が求めてることを教えてくれないことがはっきりしたから、やめた。

話し方教室に来てるほとんどの人たちの悩みと、私の悩みとは違ってるようだった。雑談を苦にしてそうな人も少しはいたけれど、それは見るからにオドオドしてる人。。。。。。先生は、そういう人を馬鹿にしたような口ぶりで叱った。。。さまざまな年齢、性別、職業の受講生がいたけれど、輝いてる人は1人もいなかったんじゃないかな。あ、いた、1人、別格の輝きオーラを放って近づいてきた美しい人は、マルチ商法の勧誘目的だった。そう、それで勧誘されてはまった人が異様に、不自然に、明るくなったんだっけ。

例の"How to Win Friends and Influence People"を聴いていると、そんな頃のことを思い出してしまう。あの頃の私に必要だったのは、こういうTIPSだったんだと。仮にあの頃これを読んでいてもピンときたかどうかは分からないけど。

今からでも実践するのに遅くないことは分かってる。けれど、あの頃の必死さや勢いがほしい。。。それほど大きく行動を変えなくちゃならない。こういうこと、誰も教えてくれなかった。父も母も、絶対こういうこと知らない。自分ができないことは教えられないものね・・・

How to Win Friends & Influence People
発売元: Simon & Schuster Sound Ideas
価格: ¥ 4,306
発売日: 2000/01


日本語のオーディオブックも出てるらしい。超お高いけど。。。↑の英語はかなり聞き取りやすいし、iTunesなら2,950円なのでおすすめ・・・
耳で聞くD・カーネギー人を動かす オーディオCD版
発売元: 創元社
価格: ¥ 12,600
発売日: 2005/07


副作用みたいなのもある。会社で「できる」人の行動、、、、、、今まで素直にすごいなぁ、って思ってたのに思いきり種明かしされた気分。「うぁ、でた、褒めるテクニックだよ」とか、「やる気にさせるテクニックに今私思いきり自分から乗せられたよ」、とか。。。。。。もちろん、その人はテクニックとは意識してないかもしれないけど、私みたいな承認欲求が見るからに強い人間は扱いやすいだろうな、と冷えた笑いがおこってしまう。

私も今日、先日あるお仕事を手伝ってもらったAさんに心から感謝の意を伝えてみた、そしたら、頼みもしないのに、他のこともやってくれると。。。。。。ある意味、怖い。人との関わりって、意志と方向性のセッティングだけで、ここまでコントロール可能なものだったのかと。で、これはそのセッティング例をくどいくらい説明する本。
ネタたまりすぎなので一気に書く。

今日気づいてびっくりしたんだけど、そういえば最近、朝、吐き気してない。むしろ、おなかすいてる!しかも、目覚まし鳴る前に目覚めてる。なんじゃこりゃ。いつからなんだろう?

実際、「朝なんてとても食べられない」って思いこんでたから用意もしてなくて、今日まで気づかなかったわけだけど、気づいたからには行動を変えなくちゃね。
どうやら風邪じゃない。喉は変なんだけど。今日もストレスのかかりそうな出来事のある日だったんだけど、2月はじめに「初めて」を終わらせてたので2回目。2回目って楽だ。例によって、先の見通しが立ってなくて行き当たりばったりで、まずいな、と思い続けてる。でもそれだけ、後は変な度胸で乗り切ってる。

あーそれにしても人間関係って面倒くさい・・・。まぁ、そう思うこと自体成長なんだけど。「普通の人の毎日も大変だ・・・」と強く思う。対人恐怖と闘ってた頃は、この怖ささえなくなれば楽になるに違いないと思ってた。確かに、前みたいには消耗しなくなった。だけど、前は考えなかったことを考え、気を揉み、行動に移すから、以前よりある意味ずっと大変。

とはいっても、今までみたいに仕事終わったらうつ状態で何もできないとか、そんなんじゃなくなってきて、じゃあその時間どう使うの?って今までの癖で何もしない日々。

今の私は目標もなくて、かといって大きな悩みもなくて、ふらふらしてる。復讐をやり遂げてしまった人みたい。
失敗するに違いないという確信 - 手放したくない?
自己像のズレ
自己像のズレ 2

を経て、1月に入って始まった(本当はもっと前からか?)激流の向かう先の1つが「自信持て」ってことなのだと気づいた。

私は過剰に自信ない面(A)と自信過剰な面(B)の両方の要素を元からもってるんだけど、Aの底上げ。そして、Bを前向きに使うこと。

US滞在中の1/8の夜手帳に書いたこと。
What I think is always wrong.
What I do is always wrong.
(私の考えはいつも間違っていて、私がすることはいつも場違い。)

これは私が母から刷り込まれた私のベースだった。

1/9にはこうなる。
I like to be "right".
But what's so right about not making a mistake?
(私は「正しい」ことにこだわってるけど、「間違わない」、ってことは、そんなに「正しい」ことなのか?)

最近、自分の考えをいうときに力を込められるようになった。だって間違ってもいいんだもん。そしたら、今までより、意見がスルーされることが少なくなった。以前は、私が言ったのと同じことを後に自信ある人がいって「それいいね!」とか決まることもあって悔しい思いをしてたのに。

チームワークで一番良い成果を出せばいいのなら、自分1人でベストなアイデアに辿りつく必要はなく、ただ自分が思うことをリアルタイムに「自信もって」言えばいいだけ。自分のアイデアが採用されるかどうかは問題じゃなく、チームとして一番いい方向に決まればいいだけだから。

同時に、普段の何気ない雑談がぐっと楽になった。薬を飲まなきゃいけないような精神状態のときは別だけど、普通の精神状態のときは、構えずにリラックスしていられる。びっくりなのだ。

自分のいうことが「間違って」いてもいいなら、上の1/8に書いたような思い込みがまだ生きていても、だからなんだ、ってことになる。これ、アグリモニー効果でもあるんだろうな。
Morningstarエッセンス関係検索してて、ある人の過去の日記を読んではっと気づく。(なんとなくリンクをするのが憚られるのでしないが)

友達がほしいかも、って言っても、私には「友達を大事にする」経験もなければ、覚悟もできてない。昔も今も明らかに「自分が一番大事」なのに、それをおおっぴらには言えない。

「今日は気分が乗らないから行きたくない」とか自分勝手なこと思いまくりのくせに、そんなことは夢にも思わないかのような、行きたいフリ、楽しいフリ。だから、友達を持つってことは、私にとってめちゃめちゃ面倒くさいことだった。だから、ほとんど全員、いなくなって、正直ほっとしたんだった。離婚したときも、関わらなきゃいけない人が激減して、ものすごく解放感を得たんだった。正直、親とさえ、つながりを断ち切りたいと思ってた。私は今年も、1枚も年賀状を出さない。そういう今の状態が、自由で、楽だ!という嬉しさすら今もある。。。。。。

面倒くさいから人と関わらない。人と関わる中でそういう自分の本質的な身勝手さがばれるのが怖いってのが、私の実体か。

それなのに、最近は、人と関わりたい、という贅沢な思いが芽生えてきて、本当に身勝手にも程があると思う。だって、面倒くさくならない範囲でっていう条件付きなんだから。

友達を大事にして、なおかつ、自分も大事にするって、どういうことなのか、イメージがわかない。今から作るなら、持続可能な友人関係を築きたい、って思うんだけど。

   

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