necox beta2.0

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(あいからわらず)昼ごはんが苦痛だ。3人以上なら相槌打ってればいいけれど、2人だと何話していいかわからない。今日もある人と2人で食事、その人が話すのをずっと聞いてた。その人は最後に私の話題にしなくちゃいけないとでも思ったのか「会社に1人は心を許せる人がいないとね」「necoxさんは○○さんと一番仲がいいから、たまには○○さんと2人で食事して本音話すといいよ」って言った。

わたしは確かに席が近いから○○さんと一番話すけど、会話は表面だけ。そんなこと、その人だって知ってると思う。その人は○○さんのことが嫌いみたいだし。

心を許せる人がいる、っていう感覚がわからないんだ。友達づきあいの意味がわからない。友達がいるっていう状態が想像できない。何にも興味なくて、ただ生きてるのが億劫ってことしか考えられないのに、人と何話すの?また「私は普通の人が普通にもってる何かが欠けてる!」っていう思いが頭をかけめぐって叫びだしたくなる。

そういうぐだぐだな精神状態に触れずに場を持たせたいんだったら、テレビ見るか新聞読むかして、世間話のネタを仕入れる努力をすべきなんだろうね。。。ああすべてが面倒くさい。

今は友達なんかほしいと思ってない。めんどくさいし、怖い。そのくせ、”人に壁作ってる”ことをそんな風に指摘されると、暴力的な衝動すらおこる。叫びだしたくなる。私は人が怖いことを隠そうとしてる。認められない。でも怖い。

怖くていいのにね。ニンゲン全般を怖がってます、だから生きるのが毎日苦痛ですってことをカミングアウトしたら、私は何を失うだろう?
対人恐怖っていうレベルではもうないと思ってる。でも、相変わらず「不自由」だ。ハンデがある。人間に対して構えていないらしい人にたいして、嫉妬する。。。

笑さんの以下の文、まったく同じでびっくりした。

そうまでして「情報」をやっと手に入れ、何をするかといえば、「最も”適切そう”なレスポンスを返す」。笑う、頷く、眉をひそめる、視線の方向、自分の声音、話し方、返す内容、等々…「”反応”として考えうる、全ての選択肢」から、ベストでありそうなものをチョイスして、それを出す。

もちろん、反応の選択肢は「私が思いつく限り」の範囲にしかなくて、それが有限であることを、どこかで知っているんですよね。
だから、そうまでして提示したレスポンスに対して、相手がどう反応してくるかを、また「全力で」待ち構える訳です。

返ってきた反応を見て、先ほどの選択が「正しかった」かどうかを厳しくチェックし、「合格」か「不合格」かの判断を下します。(「不合格」だったら、内心、一瞬凹み、また怯んだりします・苦笑)

そうしつつ、また自分が次に出すべきチョイスを行い…以下ループ。


その反応をいくら完璧にやっても、心を開いている人々の自然な反応には絶対かなわないことが分かってることからくる変な劣等感。罪悪感ですらあるかも。しかも、頭の約半分がそっちに割かれているから、人の倍以上頭を回転させても追いつかないというか。

本来、会話の内容に集中しているはずのときに、「私の目の奥が笑っていないことに、この人は気づいているんでは?」と全力で考えていたりする。話した内容よりもそっちを覚えていたりする。

自然でいるっていうのがどういうことなのか見当がつかない。本当は彼といるときだけ、自然体でいられるんだけど、そのときの感覚をほかの人にも拡大するっていうのはちょっと想像できない。笑さんと同じで、親との関係ですでに緊張してるんだもの・・・。だからといって、親に恵まれなかったとかいう話じゃないっていう気は最近してるんだけど。
10年前の私、「話し方教室」に行きたくて東京に出てきたんだった、、、、、、大学入学のため引っ越してきた次の日に生活費をつぎ込んで入学手続きした。

その頃私は、何気ない、普段の雑談の仕方を教えてほしいと思ってた。「友達」といわれる人々とのコミュニケーションの方法がわからなくて、劣等感を感じていた。私はほかの人と何かが違うと思い続けていた。悩みに悩んだ末の結論が「私は話し方が悪いに違いない」だった。。。。。。

これしかない、と思い飛びついたけれど、当時は、「話し方教室」といえば人前でのスピーチを教えるところだった。1年弱通って、私が求めてることを教えてくれないことがはっきりしたから、やめた。

話し方教室に来てるほとんどの人たちの悩みと、私の悩みとは違ってるようだった。雑談を苦にしてそうな人も少しはいたけれど、それは見るからにオドオドしてる人。。。。。。先生は、そういう人を馬鹿にしたような口ぶりで叱った。。。さまざまな年齢、性別、職業の受講生がいたけれど、輝いてる人は1人もいなかったんじゃないかな。あ、いた、1人、別格の輝きオーラを放って近づいてきた美しい人は、マルチ商法の勧誘目的だった。そう、それで勧誘されてはまった人が異様に、不自然に、明るくなったんだっけ。

例の"How to Win Friends and Influence People"を聴いていると、そんな頃のことを思い出してしまう。あの頃の私に必要だったのは、こういうTIPSだったんだと。仮にあの頃これを読んでいてもピンときたかどうかは分からないけど。

今からでも実践するのに遅くないことは分かってる。けれど、あの頃の必死さや勢いがほしい。。。それほど大きく行動を変えなくちゃならない。こういうこと、誰も教えてくれなかった。父も母も、絶対こういうこと知らない。自分ができないことは教えられないものね・・・

How to Win Friends & Influence People
発売元: Simon & Schuster Sound Ideas
価格: ¥ 4,306
発売日: 2000/01


日本語のオーディオブックも出てるらしい。超お高いけど。。。↑の英語はかなり聞き取りやすいし、iTunesなら2,950円なのでおすすめ・・・
耳で聞くD・カーネギー人を動かす オーディオCD版
発売元: 創元社
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副作用みたいなのもある。会社で「できる」人の行動、、、、、、今まで素直にすごいなぁ、って思ってたのに思いきり種明かしされた気分。「うぁ、でた、褒めるテクニックだよ」とか、「やる気にさせるテクニックに今私思いきり自分から乗せられたよ」、とか。。。。。。もちろん、その人はテクニックとは意識してないかもしれないけど、私みたいな承認欲求が見るからに強い人間は扱いやすいだろうな、と冷えた笑いがおこってしまう。

私も今日、先日あるお仕事を手伝ってもらったAさんに心から感謝の意を伝えてみた、そしたら、頼みもしないのに、他のこともやってくれると。。。。。。ある意味、怖い。人との関わりって、意志と方向性のセッティングだけで、ここまでコントロール可能なものだったのかと。で、これはそのセッティング例をくどいくらい説明する本。
ネタたまりすぎなので一気に書く。

今日気づいてびっくりしたんだけど、そういえば最近、朝、吐き気してない。むしろ、おなかすいてる!しかも、目覚まし鳴る前に目覚めてる。なんじゃこりゃ。いつからなんだろう?

実際、「朝なんてとても食べられない」って思いこんでたから用意もしてなくて、今日まで気づかなかったわけだけど、気づいたからには行動を変えなくちゃね。
どうやら風邪じゃない。喉は変なんだけど。今日もストレスのかかりそうな出来事のある日だったんだけど、2月はじめに「初めて」を終わらせてたので2回目。2回目って楽だ。例によって、先の見通しが立ってなくて行き当たりばったりで、まずいな、と思い続けてる。でもそれだけ、後は変な度胸で乗り切ってる。

あーそれにしても人間関係って面倒くさい・・・。まぁ、そう思うこと自体成長なんだけど。「普通の人の毎日も大変だ・・・」と強く思う。対人恐怖と闘ってた頃は、この怖ささえなくなれば楽になるに違いないと思ってた。確かに、前みたいには消耗しなくなった。だけど、前は考えなかったことを考え、気を揉み、行動に移すから、以前よりある意味ずっと大変。

とはいっても、今までみたいに仕事終わったらうつ状態で何もできないとか、そんなんじゃなくなってきて、じゃあその時間どう使うの?って今までの癖で何もしない日々。

今の私は目標もなくて、かといって大きな悩みもなくて、ふらふらしてる。復讐をやり遂げてしまった人みたい。
失敗するに違いないという確信 - 手放したくない?
自己像のズレ
自己像のズレ 2

を経て、1月に入って始まった(本当はもっと前からか?)激流の向かう先の1つが「自信持て」ってことなのだと気づいた。

私は過剰に自信ない面(A)と自信過剰な面(B)の両方の要素を元からもってるんだけど、Aの底上げ。そして、Bを前向きに使うこと。

US滞在中の1/8の夜手帳に書いたこと。
What I think is always wrong.
What I do is always wrong.
(私の考えはいつも間違っていて、私がすることはいつも場違い。)

これは私が母から刷り込まれた私のベースだった。

1/9にはこうなる。
I like to be "right".
But what's so right about not making a mistake?
(私は「正しい」ことにこだわってるけど、「間違わない」、ってことは、そんなに「正しい」ことなのか?)

最近、自分の考えをいうときに力を込められるようになった。だって間違ってもいいんだもん。そしたら、今までより、意見がスルーされることが少なくなった。以前は、私が言ったのと同じことを後に自信ある人がいって「それいいね!」とか決まることもあって悔しい思いをしてたのに。

チームワークで一番良い成果を出せばいいのなら、自分1人でベストなアイデアに辿りつく必要はなく、ただ自分が思うことをリアルタイムに「自信もって」言えばいいだけ。自分のアイデアが採用されるかどうかは問題じゃなく、チームとして一番いい方向に決まればいいだけだから。

同時に、普段の何気ない雑談がぐっと楽になった。薬を飲まなきゃいけないような精神状態のときは別だけど、普通の精神状態のときは、構えずにリラックスしていられる。びっくりなのだ。

自分のいうことが「間違って」いてもいいなら、上の1/8に書いたような思い込みがまだ生きていても、だからなんだ、ってことになる。これ、アグリモニー効果でもあるんだろうな。
Morningstarエッセンス関係検索してて、ある人の過去の日記を読んではっと気づく。(なんとなくリンクをするのが憚られるのでしないが)

友達がほしいかも、って言っても、私には「友達を大事にする」経験もなければ、覚悟もできてない。昔も今も明らかに「自分が一番大事」なのに、それをおおっぴらには言えない。

「今日は気分が乗らないから行きたくない」とか自分勝手なこと思いまくりのくせに、そんなことは夢にも思わないかのような、行きたいフリ、楽しいフリ。だから、友達を持つってことは、私にとってめちゃめちゃ面倒くさいことだった。だから、ほとんど全員、いなくなって、正直ほっとしたんだった。離婚したときも、関わらなきゃいけない人が激減して、ものすごく解放感を得たんだった。正直、親とさえ、つながりを断ち切りたいと思ってた。私は今年も、1枚も年賀状を出さない。そういう今の状態が、自由で、楽だ!という嬉しさすら今もある。。。。。。

面倒くさいから人と関わらない。人と関わる中でそういう自分の本質的な身勝手さがばれるのが怖いってのが、私の実体か。

それなのに、最近は、人と関わりたい、という贅沢な思いが芽生えてきて、本当に身勝手にも程があると思う。だって、面倒くさくならない範囲でっていう条件付きなんだから。

友達を大事にして、なおかつ、自分も大事にするって、どういうことなのか、イメージがわかない。今から作るなら、持続可能な友人関係を築きたい、って思うんだけど。